前回
昨日は、良い天気でバイクだと上下メッシュでOK
しかし、どこも混んでいたね
本郷道り沿いには、
観光バスが連なり路上に停車していて
とても入る気は、しないので、いつもの東大へ
此処までもいっぱいでバイクの停める場所もないほど
しかし・・
東大の警備員さんは、親切
「すいません・・
何処にも置く所 ないので、ここ・・いいですか」と尋ねると
面白い回答が、
「仕方がないですよね、いいですよ・・
でも、誰かに尋ねられたら
私が良いと云ったと‥云わないでくださいね」と
…微妙なご回答
今回も彼方此方とぶらついたが、前回までの続きを・・・では、
本郷キャンパスは植物が多く、四季折々の風景が楽しめます。
一番季節を感じることができるのは、この三四郎池でしょう。
三四郎池は、当時の当主前田利常によって園池が築造され
たのは、1638年、綱紀がさらに補修した。
池の形が「心」という字をかたどっており、この池の正式名称
以来、三四郎池の名で親しまれています。
様々な形をした石の段を下りていくと三四郎池
池の畔に立つと周囲の建物は木々の陰に隠れ、この木々は
小さいながら森を形成しています。
この森には100種近くの植物が存在し、季節によって様々な
表情を見せてくれます。
三四郎池は受験生が一人で行くと
浪人してしまうというジンクスもある
山手台地を浸食した谷に湧出する泉
この池は、江戸時代は加賀藩邸の庭園の一部だったが、
明治に入って東京帝大に移管された。
現在の赤門から池にかけての一帯の地は、大坂の役後に
将軍家から賜ったもので、この屋敷は、明治維新後に大部分
が新政府の官有地に転ぜられるまで存在していた。
八景、八境の勝があって、その泉水・築山・小亭等は
数奇を極めたものだと言われている
江戸諸藩邸の庭園中、第一の名園とうたわれた
この屋敷は安政二年(1855)の大地震で大損害を被り、
明治元年(1868)四月の火事で大部分の建物が類焼して、
無残な姿になってしまう。
明治七年に東京医学校(本学医学部の前身)へ移転される
直前の敷地は、「荒漠タル原野」と化していた。
度重なる災害の中でも、育徳園の池と樹木は残存していた。
現本郷キャンパスの建物の配置は、この旧加賀藩邸の敷地の
配置に大きく影響されている。育徳園の池は現在の三四郎池で
あり、その東に広がる馬場は明治三十二年頃拡張されて現在の
運動場となった。育徳園と馬場の保存は、おのずからこれらの
北と東を限る道の保存につながり、これらがキャンパスの敷地の
骨組みとなったそうな。
夏目漱石の長編小説「三四郎」の一節
「三四郎は左りの森の中へ這入った。
其森も同じ夕日を半分脊中に受けてゐる。
…三四郎は池の傍へ來てしゃがんだ」
なぁ~んて・・思いながら そぞろ歩くと楽しい
一周しても残念ながら
もの思いに耽る若者の姿は、、無かったが
周りを森に囲まれた三四郎池は、
現在でも学生の憩いの場となっている筈
都内にも随所に名園と呼ばれる庭園は、あるが
なんとなく落ち着く雰囲気のある空間だ
暑い日には、サンドイッチ&アイスコーヒーと
ソフトクリームをもって来たい・・・・・
そう・・東大のソフトクリームといえば此れだ、、、、
は、次回に
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