うた。の消したい備忘録。

思い出供養の為に始めました。
思い出話や何か思ったことを書きます。

読書感想文 老人と海

2022-04-29 14:43:38 | 日記
ヘミングウェイの言わずと知れた名作。
Kindleで安く買えたので読んでみました。


内容は、老人が魚を捕りに漁に出掛ける物語。
不思議な島や不思議な魚も出てこない。
本当にシンプルな小説。
きっとgooブログにも日曜な内容のブログがあるでしょう。





不漁続きの老人はある日の漁で大物と対峙してついには釣り上げます。

対峙している場面の描写はさすがは名作と誉れ高いだけはある不思議な描写でした。

心理と現実の入れ混じる描写は、自分が経験したかのような錯覚をもたらすほど。

上手くは行かない現実に対して、楽観的ではあるが悲観的な空想と欲求が暴走し目の前の出来事に集中できない様子などは思わず嫌なことがあった日の仕事を思い出しました。

そんな自分に幾度も負けそうになりながら、何度もその事を考えては集中しようとあがく老人の姿。

面白くないのに、面白い。
まさに技量のなせる技と言っても良いでしょう。

面白い話題に対して、面白くするのはそれほど難しくはないでしょう(話題を探すのは大変だろうけど)
そもそも話題が面白ければよほど下手な文章を書かない限りはそう起こり得ない。

しかし、その話題が日常にありふれる普通の話題であればそうはいきません。
日常にある話題や出来事を小説に昇華させるためには、卓越した文章の構成と適切な言葉選びが最低条件。
その上で、自信の感情をのせれる場面作りや先述したような心理面の描写が必要となってくるわけです。


この理論に乗っとれば、老人が漁にいく話など漁師が書かない限りは面白くなりようがないわけです。
ここにヘミングウェイの技術の高さの一端を知りました。



例えるなら和菓子のあんこ。
小豆を煮ただけの単純な料理ではありますが、その奥深さは世界でも有数でしょう。
ただ甘くすれば良いわけでもなく、ただ煮れば良い訳でもない。
なのに、甘くなければならないし、ただ煮なければ始まらない。

料理の行程の違いは少ないけど、その少ない違いで個性が出る。

そうして熟練の職人が丹精込めて作ったあんこは「甘くないのに甘い」という不思議な評価を得るに至ります。



私は老人と海に対して似たような感想を持っています。
「面白くないのに面白い」

文芸とは如何なる物か教えてくれてありがとう。
そうヘミングウェイに伝えたい。



くそみたいな読書感想文だね。

大連休 予定がないよ 寂しくない!

2022-04-29 13:48:01 | 日記
だいたいゴールデンウィークに予定があるのはおかしい。

普段の仕事のストレスを休めるために休日がある。
なのにも関わらず行楽地へ渋滞も省みずに向かう。

仕事も企業のため、休日も企業のため。
現代の経済的特攻隊だね。


私も連休があるわけですが、予定はありません!
寂しくなんかない!

体も脳みそも休めて、新たな詩作や思案への準備を進めてるのです!
寂しいなにもない!


でも、ゴールデンウィークってなんなんでしょうね。
普段死ぬほど働いて、休日も遊んでるとなると、それは果たして本当に休めているのでしょうか?


気分は休まってるでしょう。
気心の知れた連中と遊んでいるわけですから。

しかし、脳はどうなるのかな?
遊びと言えど、脳みそは外部からの情報を処理していますよね。
そこに仕事との違いはあるのでしょうか?


私が言いたいのは、ゴールデンウィークこそ世間に負けず寝る連休を実施しましょう!!
体は替えが効きません!

失った細胞は元に戻らず!
健康的に生きていくために体も頭もしっかり休めましょう!


まぁパイプを肺喫煙してる私が言ってもなんの説得力もないですけどね。

名前のない料理 夜の和食

2022-04-17 20:00:00 | 日記


じゃん!!!
結構美味しそうでしょ??

私は料理が好き。
だって一人で出来るもの。

料理は、その過程の何処かで「禅」に繋がる。
私はそう思う。

料理をしているとき。
つまりは、目的に向けていくつかの複雑な過程をこなしているときに人は無心になれる。

もちろん、仕事だって同じようなもの。
だけど、その目的が他者のためか己のためかの違いがある。


この違いは大きい。
人間は自分のために動く時は納得できる。
他人のためにやっていることでも、遠くにいる自分のために動く。

納得できない動きはストレスになる。
上記の仮説(?)に当てはめれば、本当に他人のために動く時に人間は「不条理」「理不尽」という言葉を思い付く。
つまり、納得できてないってこと。

どれほど便利な世の中になっても、親子の虐待はなくならない。
まぁ、そういうこと。

だから「親がちゃ」なんて言葉が出来たんだろうね。



そんなことを考えながらつくりました。

星空に何も見いだせなくなって久しい。

2022-03-22 03:29:34 | 日記
お久しぶりです。
うた。です。

また色々書きたくなったのでブログ再開しようと思います。




うた。流 詩の作り方。
私はTwitterで詩を書いてます。
詩を作る作業は簡単ではないと最近痛感していまして。
中々詩を作れず欲求不満状態。


詩を書けない理由をこれから書こうと思っているのですが、まず前提として、このブログを読んでいる人全てが詩人ではないと思います。

なので、詩作とはどういうものかを自分なりにリスト化してみました。
大体以下の通りに私は詩を作っています。


1 ありふれた日常の中でキラリと光るもの発見する
2 それを自分色に染める
3 発光する自分色の物体に対する感想を文字にする
完成!!

という手順を私は踏んでいます。
詩の作り方はこれぐらいにしておいて、なぜ今の私は詩が書けないのかを書こうと思います。




夜空に何も感じない状態
まず、今の私は仕事が忙しい。
本当に忙しい。
休み時間ですら気が抜けない状態が続いています。

困ったことに、その状態にあるのは現場の責任ではなく経営によるものなのでイライラもしています。
現場の責任であれば、私にもその一端があるのでしょうから府に落ちます。
しかし、今回の忙しさは経営陣の責任によるものなので腑に落ちない所か尻拭いをさせられてる始末。

イライラしてるし忙しい。

だからでしょうね。
日常が無いのです。

仕事と就寝で今の私は作られています。
その二つだけで生活が構成されているので、詩なんて作れません。

仕事の中で詩のネタを探そうともしましたが、イライラポイントが目につくばかり。


そう言うわけで今の私は詩が作れていません。




詩人としての失明
私のような素人詩人は、日常の中から気になったものを探すぐらいしかネタ探しが出来ないのです。

それを仕事の忙しさで奪われてしまうのは、失明に等しいのも。

目で探す詩人が視力を奪われてしまった。
詩を作る以外に趣味の無い私にとって非常に辛い事です。


いっそのことフリーランスとして生きていこうかとも思いましたが、この社会状況かつ生来の病により数字が苦手。
中々厳しい状態。


つまり、私は夜空に何も見えないのです。
輝く星も、それを遮る雲も。


腰も痛いし頭も痛い。
そんな状況。



でもいつか、いつの日にか「そんなことあったね」と笑い詩として昇華できる時を今は待ちたいと思います。

うた。は頑張りますよ!!

パパがガンになっちゃった2 弱った父は尚も。

2022-03-08 07:21:00 | 日記


入院準備のため三年半ぶりに実家へ
実家につくまでの間、なにも考えられませんでした。

緊張もあった、でも、それ以上に未来への明確な不安があった。

一応大黒柱の父の収入を失えば弟の進学に支障が出てくる。それだけは避けたかった。
いかに回避するか。どのように回避するか。
それだけを考えていたのを覚えています。


実家について父と対面。
言葉がでなかった。

中肉中背だった父が、痩せて骸骨みたい。
驚くのと同時に、今までの親子の軋轢を気にしてる場合ではないことがわかったのです。

気軽に会話が出来る状態ではなく必要なものを伝えられそれを用意しているうちにその日は終わり。
三年半もあってなかったとは思えないほど、感傷も思い出すものもな買った日だったのを覚えています。

翌日父はタクシーで入院。
短期の入院とはいえ手術もある。
もしもの事を考えるとくつろぐ気にもなれず、そわそわしたまま過ごしていました。





冗談を無理して言う親子。
退院の日が近づくにつれ、どういう顔をして迎えに行けば良いか分かりませんでした。

実家についたときは、やることがあってイチイチ気にしていませんでしが、よく考えれば三年半会話の無かった父。
どういう顔をして話せば良いのかわからないのです。

気の効いた冗談を言えれば良かったのですが、そんな教養もなく。
なんとか思い付いたのが「物を使ったメッセージ」でした。


退院当日、私はタクシーで病院へ向かい、父の入院したお部屋へ急ぎ足。
部屋に到着すると、弱々しく痩せてオムツをはいている父が居ました。
「俺はCalvin Kleinしか履かない」と思春期の私に突然報告してきて怒らせた父とは思えない姿でした。



私は「まだ生きてたの」と言いました。
今までの事を清算するため、精一杯の皮肉。
「まだでした」と父。

そんな会話を聞いていた看護師さんは苦笑いをしていた。


お医者さんから体調と術後の経過の説明を受け大事がないことを確認。

それも終わり私が荷物をまとめていると、父がお手洗いをを済ますためお部屋から出ている隙に、私は菊を一輪置いておきました。
不謹慎きわまりない冗談。
でも、これしか考えられなかったのです。



そして、父が部屋に帰ってきた。
机に目をやった。
菊を見た。

父は笑いながら私の頭を叩いた。
「まだ早いよ」

威勢だけは元気。
それでも、叩いたことでよろける父。
私は痛くも何ともない。



子供の頃、よく父に頭を叩かれた。
あんまりにも痛くて泣いたことだってたくさんある。
はっきりいって父の手は私にとって暴力の象徴。
それがどうだろう。
今や痛みは感じず、乾いた手が触れた程度。
形式上、叩かれてはいるけどその中身は変質していた。

暴力による教育から無理をして張った見栄に変わったと私は思う。
なによりも、お父さん弱くなったなぁと実感した。

それがどうしょうもなく悲しい。



しかし、その様子を見ていた看護師さんは苦笑いをしていた。




世代交代の儀式
家に帰るため、一緒にタクシーへ。
荷物を積めながら、父は「会社に挨拶に行くから帰るのはその後だ」と言い出した。

いつもいつもこうだ。
父は行き先を相談せず勝手に決める。
それが昔から嫌だった。

だから、今回は私が行き先を勝手に決めた。
「そんなの後にして、会社にも迷惑。さっさと家に帰る」と言った。



他の人からすれば何て事ない言葉かもしれない。
でも、私の家族の中では世代交代の意味合いを持つ。

「家に帰る」という言葉。
それは、責任を持つものが許される発言でした。

例えば買い物。
金を出すものの意向が優先され、その庇護にあるものはそれに従う。

父が「もう帰る」と言えば帰らなきゃいけません。
逆に私が「もう帰る」と言っても意味がありません。

私が「家に帰る」というのと父が「家に帰る」というのでは意味合いが違ったのです。
私の発言は単なるわがままで、父の発言は決定事項の周知。



だから、遠方から帰宅し入院の準備をして迎えにまできた私に今回は責任があるのです。
病人を無事に家まで届けるという責任が。

家族のルールに則れば、タクシーの行き先を私が決めたのは決定事項。
父の発言は会社の地位を気にした単なるわがまま。

父もその事を何となくわかったのでしょう。
少し笑いながら「わかったよ」と呟きました。
世代交代が完了したのです。

でも、なぜ笑っていたのか今でも私にはわかりません。
どんな感情があったのか。

当然ですが私は父と違います。
「父が決定事項しか口にしなかった過ちを、今は踏むまい」。
私はそう思いました。

私は相互理解のため父の同意を求めました。
「家にまっすぐ帰るよ。いいね?」



父と私がすれ違ったのは相互理解が原因。
これまでたくさんすれ違ったんだからもういいでしょう。


父は「はいはい、わかったよ」と不満の表情をせかしらに見せびらかしてきました。
私は「わかればいい」と昔の父の真似をして言いました。


私たちはタクシーに乗り込み家に向かいました。



本当に、本当に遅い相互理解。
でも、遅すぎた訳でもなかったな。






終わりに。

蒙昧な思い出を形にして書いてきました。
しかし、思い出はまだまだあるものの、形にできていないのが多いためしばらくブログ休みます。
二週間とか一週間ぐらい。

興味をもって貰えたらフォローして次の再開をお待ちいただければ幸いです。

皆様に幸せがたくさんありますように。