ばりん3g

マイクラ補足 兼 心理学のつぶやき

オンライン授業を展開するときに気を付けて『いた』ポイントとは。

2022-01-26 | 旧記事群

2006年に発表された論文によると、オンラインを用いた学習では、滞りなくほかの人と交流できる技術とそれを用いた授業が学生の満足度を向上させるとのこと。

これは「オフライン学習で得ていた交流の欠如を、どのようにしてオンライン学習で補うか」という題材のもと行われた研究で、その結果として『グループディスカッションのような同級生と協同で行う学習』と『共同で行う学習が実現可能な技術やサポート』が必要であるという、いたってシンプルな回答が得られた。

この研究を参考にする限り、オンラインで十分に交流できる場が用意されており、さらにその用意された場での交流を推奨し、また推奨できるだけの技術面と精神衛生のサポートがあれば、オンライン授業に参加する生徒の満足度が向上するらしい。特に即答性と同期性に重きが置かれているらしく、「きちんとおんなじ時間軸で」「問いかけに返答がすぐ帰ってくる」というオフラインでは当たり前のことがオンラインではかなわず、不満点として挙がっていたらしい。

要するに「オンラインで滞りなく会話できる設備作っちゃって、そこで授業すればええやん」「でもそれが難しいから、オンラインで授業するときは考えてちょ」というものである。

 

注意してほしいのが、この研究が2022年1月26日現在のようなオンライン学習が推奨・必須である環境で施行されたものではなく、オンラインでの交流はあくまでも任意で、普通にオフラインでの交流も行われていた2006年時点での結果であるということ。

そう、この研究は2006年のお話なのである。なのでこの研究結果が、実験でもやらないぐらい極端な物理的隔離がされ、そして当時のPC同等のスペックを手軽に持ち運べるようになった現在に当てはまるお話かといえば……正直微妙なところである。

ーーーしかし、Zoomを用いた会議やDiscordでの交流が増えた今でも、

「オフラインでは感じなかったような」孤独を訴える人は少なくない。

その孤独の原因究明がより求められるようになった今、専門家は必死になっている。

ちょうど、サンプルに困ることもなくなったから、というのもあるだろうが。

 

 

参考文献

Hyo-JeongSo,Thomas A.Brush (2006) Student perceptions of collaborative learning, social presence and satisfaction in a blended learning environment: Relationships and critical factors.


巷で有名な「アッシュの同調実験」を解説。

2022-01-25 | 旧記事群

1955年に発表された論文によると、基本的に人間は集団内での決断の際「多数の意向に属していない」ことからくる不安を動機に、決断の志向を変えるという。

論文内の実験を引用する。1人の被験者を含む集団は3+1枚のカードを提示され「このカードに書かれたものと同じ長さの線が描かれたカードを3枚のうちから選びなさい」と伝えられる。初めのうちは全員が同じカードを指さしていたが、ある時から被験者と多数派が指さすカードに違いが出始めた。それも、多数派は明らかに違う長さのカードを指していた。だが被験者は「多数派と違うカードを指さしている」という不安に駆られ、やがて多数派と同じように明らかに間違っているカードを指すようになるという。

多数派と同じように明らかに間違っているカードを指す人は被験者全体の七割強にもなった。彼らは指すカードを変えた動機として「私が間違っている可能性を考えて」「多数派の人を邪魔したくない」というものを掲げ、また指すカードを変えた現象(つまり、多数派からの圧力=同調圧力)の原因を内在化する傾向にあったという。

残りの被験者は「被験者自身が持つ意志が固かったから選択を変えなかった」というよりかは、周囲の評価を除外し真っ当な問題処理に専念した結果、多数派とは違う正しいカードを選んでいた。

また、被験者が自身と親しみのある人と一緒に参加した場合多数派からの圧力は緩和されるが、親しみのある人が多数派に同調したとき被験者はより多数派からの圧力に屈しやすくなったという。この場合の圧力への屈しやすさは被験者1人で行った時よりも強いものであるという。

 

ーーーこれが、かの有名なアッシュの同調実験の内容を要約したものとなる。

実験で示されたような同調圧力に屈しない方法は、

自分で情報を集め、判断を下せるような能力を構築することであり、

決して「周りに合わせず好き勝手に行動する俺カッコいい!」と愉悦に浸ることではない。

 

 

参考文献

Solomon E. Asch (1955) Opinions and Social Pressure.


詰込み型の授業が生徒に与える、好ましくない影響。

2022-01-24 | 旧記事群

2010年に発表された論文によると、詰込み型の授業は生徒の表層的な学習を促し、『良い授業』と表現される授業は生徒の深層的な学習を促すという。

詰込み型の授業、つまり学習内容の暗記と正確さに重きを置き、板書などの作業の量が多い授業は生徒に圧迫感を与え、「学習内容をただ暗記していればいい」という思考を作り出す。圧倒的な作業量に圧倒され、自発的な思考をする隙もなく生徒の満足度は駄々下がりするが、その作業量が功を成し定期テストの成績は向上する傾向にあるという。

『良い授業』とは適切な難度の学習内容を生徒と関連性を持たせつつ、なおかつ自己決定の要素も盛った授業であり、『良い授業』を受けた生徒は教えに触発され批判的思考を獲得する傾向にある。また俗にいう『副業』と言われるような学習内容にそぐわない内発的な行動を黙認したり、学習内容の延長線上に位置する発言を容認する姿勢が生徒の思考にゆとりを持たせ、生徒は学習内容に縛られないより一般的なスキル向上に力を注ぐようになり、結果として総合的な学習成績が向上するという。『良い授業』に身を置いた生徒の満足度は、言うまでもない。

面白いことに、どちらの授業形式をとっても定期テストの成績は向上する、なんなら詰込み型の授業のほうが成績向上が図れるのだ。基本的に授業内容をどれだけ覚えたかを計るテストを用いている場合、授業内容をただひたすらに覚えさせる詰込み型の授業のほうが、当たり前だが効率がいいのだ。

だが、生徒の満足度や関連性は授業態度に正に関係するステータスでもある。自分のお話に食いつく生徒が見たいというのであれば、授業内容に一計を案じてみるのはどうだろうか。

 

ちなみに、今回の研究では高校の成績と大学での学業成果の相関も計られたのだが、取り上げるほどでもない弱い正の相関だったことをここに書きしるしておく。

 

ーーー「お前らよぉ、なんで自分で考えて発言しないわけ?」

「こぉんなに考える材料渡してやっているっていうのにさぁ?」

その渡された材料の処理に手間取って考える余裕全部吹き飛んでるんだよ豚野郎。

 

 

参考文献

Alf Lizzio,Keithia Wilson et al. (2010) University Students' Perceptions of the Learning Environment and Academic Outcomes: Implications for theory and practice.


明らかに間違っている周囲の意見を肯定する人の、2つの理由。

2022-01-23 | 旧記事群

1996年に発表された論文によると、与えられた課題が高難易度かつ悪戯に重要度を上げられたものだった場合、人間は周囲の回答を全肯定してしまうぐらいに弱気になるという。

与えられた課題が高難易度だった場合、対象は能力不足などの(思うより純粋な)理由で決断の信頼性が得られず周囲の判断を鵜呑みにしてしまう。「格子QCDにおけるクォーク・グルーオン・プラズマの動的構造の研究(初田哲男 2006)」なんて話題を吹っ掛けられても大抵の人は理解できず、それについての周囲の言及の真偽を計ることもできないので、周囲の言及をそのまま覚えてしまうようなイメージだ。もしこの話題にぎりぎり追いつけていたとしても、今度は自分の判断の信頼性に不安を抱き、周囲の言及に頼ってしまうことだろう。

与えられた課題が悪戯に重要度を上げられたものだった場合、対象に過剰なまでの信頼性向上の動機が発生し大多数の判断に乗っかってしまう。「この四択クイズをクリアしたら100万円ゲットできます!」とあおられたとき、たとえ与えられた問題が対象にとって簡単なものだったとしても、失敗した時の姿を予測したことで起こる不安に煽られ、大衆の選択の分散度合いという情報に耳を傾けてしまうようなイメージだ。

もちろん、ここに出てきた事例には他人の回答の真偽に一切の言及はない。たとえ周囲が頓珍漢なことを述べていても、たとえ周囲が同じような不安を抱いていたとしても、上記の現象は発生する。

ゆえに、与えられた課題が高難易度かつ悪戯に重要度を上げられたものだった場合、周囲の回答の真偽に関係なく、対象は周囲の回答を全肯定してしまうのだ。

 

ーーー「『一万時間の法則に従えばどんな夢だって叶う』っていう、

ナントカ教授が書いた本を見つけたんだ。

なんたらの法則もこの偉そうな人も知らないけど、

この本の言うとおりにすれば大儲けできるってことだろ?」

……なんだかわからない法則に従うって、キミ中々怖いこと言ってないかい?

せめて一万時間の法則の概要ぐらい知ってから読もうぜ、私も一緒に調べるからさ。

 

 

参考文献

Baron, R. S., Vandello, J. A., & Brunsman, B. (1996). The forgotten variable in conformity research: Impact of task importance on social influence.


人にものを教えるのが上手な人の、ある特徴。

2022-01-22 | 旧記事群

1996年に発表された論文によると、洗練された認識論的信念(学習に対する考え方、思い込み)を持っている人は、享受側の誤答を修正する際に『なぜ誤答したのか』を突き止めることができたという。

また洗練された認識論的信念を持つ人は誤答に対して適切なものたとえや誘導を行うことができ、享受側の誤答に対し具体的に処理できていたという。地球平面説の保有をほのめかすような誤答に対しては、地平線の存在や世界一周達成時のエピソードを提示し、享受側が保有する説に享受側自身が疑問を抱けるような誘導を行ったのだそう。

そして洗練された認識論的信念をもつ人は効果的な学習戦略の使用頻度と評価が高く、このことが結果的に人にものを教えるときのプロセスを高品質なものにするという。「複雑で変遷し続ける知識の獲得に焦る必要はない」と悟る人たちが学習内容に対する批判的思考を否定することは、まずない。

別の研究では自主的で質の高い教えが享受側の学習戦略をより良いものにするという結果も出ており(Alf Lizzio 2010)、このことから、ものを教える人自身の学習に対する思い込みが、学習の質を左右する要因の1つであることが推測できる。

人にものを教えるのが上手な人は、たいていは「複雑で変遷し続ける知識の獲得に焦る必要はない」と悟っていることだろう。

 

ーーー「オマエタチには思考力が足りない、もっと自主的に学習しなさい」

では自主的な学習の具体案の提示を要求します、教授。

「教授であるわたくしにそんなこと聞くんじゃないわよ、自分たちでどうにかしなさい」

……言葉を選ばずに言いますが、そーいうとこだぞ豚野郎。

 

 

参考文献

Maher Z. Hashweh (1996) Effects of science teachers' epistemological beliefs in teaching.

Alf Lizzio,Keithia Wilson et al. (2010) University Students' Perceptions of the Learning Environment and Academic Outcomes: Implications for theory and practice.