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“岩手軽便鉄道”

2014年04月15日 08時14分11秒 | 日記


 先日(4月12日)ご案内しました「いわて鉄道物語」の中から、“岩手軽便鉄道”194ページを紹介させていただきます。ちょっと「通」になっていただきますね。
 花巻市出身の宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」に登場し、そのイメージモデルであったといわれている。花巻市から遠野市を経て仙人峠、沓掛を越えて釜石に通じる構想であった。岩手県の内陸から三陸沿岸に結ぶ重要な路線として、大正元年(1912年)に一部開通した。 < この時、賢治は16歳である。>
 大船渡線も山田線もまだ開通していなかったので、横断路線として重要な意義を持っていたが、難所といわれた仙人峠の手前で終点となっていた。その難所は、人間は徒歩かかごに揺られて移動し、荷物は索道、ロープウェーで釜石側の日鉄釜石鉱山の大橋まで運ばれていた。
 その後、そのルートを国鉄が買収し、上有住経由で難工事を完成させ、1950年(昭和25年)花巻~釜石間の釜石線として開通させた。
< 賢治没後17年が経過していた。>
 国道283号線と交差する宮守村に入ると見事なアーチ橋、愛称「めがね橋」(宮守川橋りょう)がある。れんが造りの橋脚は軽便鉄道時代のものである。続き…(略)…。
 軽便鉄道の一部開通から今年で102年、全線開通から64年目にあたる。たまたま、小生の年齢でもありますが、ちょうど賢治の生涯の2倍生かしていただいたことになります。。

 <盛岡タイムス社 大内 豊氏著の書籍紹介>
 □昭和の動乱を探る太平洋戦争   □牧庵鞭牛の素顔


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