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天皇陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前

2019-02-09 10:01:51 | 国内

平成29年1月24日 07:00

 

 天皇陛下が約6年半前に譲位の意向を示した当初、最後に譲位した光格天皇の事例を調べるよう宮内庁側に伝えられていたことが23日、分かった。陛下が譲位の具体例に言及されていたことが判明するのは初めて光格天皇は譲位後に権力から遠ざかっており、陛下が持たれている譲位のイメージに合致していた可能性がある。

光格天皇は江戸後期の1779年、閑院宮家から後桃園天皇の養子になり、第119代天皇に即位。1817年に皇太子だった仁孝天皇に譲位し、太上天皇(上皇)となった。

在位中は朝廷の儀式を再興させるなど近代天皇制の礎を築いたとされる。陛下は光格天皇の直系にあたられる。

陛下は遅くとも平成22年7月には、相談役の宮内庁参与らを集めた会合、いわゆる参与会議の場で譲位の意向を示したが、関係者によると、その前後に、宮内庁幹部らに光格天皇の譲位の事例を調べるよう依頼されたという。

関係者の一人は「譲位後の光格天皇は、中世の後鳥羽上皇らと異なり、権力をふるっていない。譲位の直近の事例で資料が残っていることもあるが、陛下の思い描く譲位後のイメージと重なる部分もあったのではないか」と指摘する。

陛下の譲位に関する政府の有識者会議で、宮内庁側は陛下が譲位する場合、象徴としての行為を基本的に全て新天皇に譲られるとの見解を示し、「象徴が二元化することはあり得ない」と説明している。

専門家の間で懸念される譲位後の天皇と新天皇が併存する権威の二元化を否定した形で、こうした考えには陛下の意向が反映されているとみられる。

別の関係者は「陛下は天皇の歴史を誰よりもよくご存じだ。歴史から学び、譲位の意向を徐々に固められたのだろう」と話した。

光格天皇 第119代天皇。閑院宮典仁親王の第六皇子として誕生。1779年に即位し、中世以来の神事の再興や朝権の回復に努めたほか、後の学習院の基となる公家の教育機関を構想した。1817年に仁孝天皇に譲位。1840年に70歳で崩御した。




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