大学を辞めてから暫くブランクがありました。傷跡は残るも不思議なもので、時間と共に薄れていき、今となってはほとんど思い出さなくなりました。
今振り返ると、必要な休息時間だと思うとともに、無駄な時間を浪費したとも思います。
身内が買ってくれた楽器、もう必要無いからと、一度手放そうとして購入した工房で見てもらうと、足元を見られ、購入当初に言っていた真逆の値段を提示され、私よりも母親の方が怒って断ってしまいました。詐欺師みたいなことして!とそれはもう憤慨していて…😅母の方が思い入れがあったと思います。母のことについては語りません。
それから、何度か恩師のお手伝いをしたりはしていましたが、相変わらずまともに弾かず。もういいやと思って離れた癖に結局弾きたいという欲求が出てきて、1人でやり続けるのもなんか違うなと、ちょうどいいリハビリ出来る場所はないかと、趣味でボランティア活動をしている団体をネットで見つけ出し、ここなら大丈夫そうという直感で選んだその団体のお陰で今の私が出来上がりました。
初日、練習場所最寄駅の改札前で出迎えてくれたリーダーの朗らかな姿を思い出すと、なんだか涙が出ます。今はその団体は解散しましたが、ずっと関係は続いています。何かしてもらったわけではないのですが、あの頃のあのメンバーたちの雰囲気に恩を感じてます。
それと同時に、趣味の方向けのレッスンも始めていました。私の1番弟子となる女の子が当時小学生でしたが、今はもう高校生です。時の流れが早過ぎて怖いです。
最小限のリスクで始め日陰でコツコツと自分のやりたい事を続けていたら、周りの協力もあり教室を開く事が出来ました。私の小さなお城です。
そして、人に教えたりたまに演奏しに出掛けたりしているうちに、もっと上を目指したいと思うようになりました。これは煌びやかな環境に行きたいというわけではなく、自分の腕をあげたいという欲求でした。むしろ華やかなところには興味が無く、どちらかというと映えよりも目的重視。この世界映えないとやっていけないですが、私はまあ別に、生活が出来たら日陰でもいいかなあ。優秀でもないですし、そっちの方がいいかも。
これもまたネットで検索をしました。
あまり遠過ぎても駄目、大学で教えているような先生だとお月謝が高過ぎて駄目、大卒の若手や音楽教室の先生だと私が求めている事は教えてもらえなさそう、となんだかんだボーダーを引き見つけ出す難易度を自分で上げていたのに、割と簡単に見つけられました。
例のボランティア団体から別の団体にも顔を出していた時に知り合った方がお話好きで、何の話だったか、たまたま彼女の昔習っていた先生のお名前を聞き検索してみたところ、経歴に有名な学校の名前が並んでいました。このお方なら教えてくれるだろうか、とお顔写真を見ながらぼんやり考えていたら、最後の文面に使用楽器:デルジェスの文字が。その一文ですぐに連絡を取りました。
自分の楽器もガルネリとアマティのあいのこのような楽器なので、好みが似ていれば相性が良いかもしれない。これまた直感でした。
定期的にレッスンに通って2年くらいとなりました。感の通り、相性は悪くないです。熱心に教えていただけて有り難いです。今まで指摘された事のないような知識を吸収しています。基礎が出来てなかったり、あまり上手に弾けてないと教えていただけないので、練習嫌いでもああちょっと練習しなきゃという意識になります。
先日「それだけ弾けるのに、昔先生に何も言われなかったの?」と少し不思議がられました。私の大学時代の話は詳しく話してないので、やはり中退となると腕が劣っているというイメージだったのでしょうか、あと見た目もパッとしないので、よく他人に下手そうと馬鹿にされたりもします。
勿論一流にはなれない腕というのは私も先生もわかっています。そりゃあパールマンやズッカーマンにはなれません。◯大の上位のレベルだみたいな褒め方はあまり良くないと思いますが、師弟関係なら特に嫌な気分にもなりません。ただランク付けしたい批評家のそれとは違い、我々の間での目安の話ですから、そうやって言っていただけることでちょっとした自信にはなりましたし、よく一緒に弾く人から音が大きくなったと言われるようになりました。大きくなったというのは力任せにフォルテで鳴らすという事ではなく、分厚くなったという事、私が望んでいる一つの目標でした。
自分の先生が褒めるから無条件で良い、これもまた必ずしもそうではないということは理解しています。私の+面に働いていた繊細さが新しいものを取り入れることで少し欠けてしまいました。
そんなこんなで新たなステップがまた現れたのですが、もっと先を目指すには結局道具を変えないといけないということ。弓です。
私の弓は柔らかく、まろやかで美しい音が鳴ってくれます。ただ、コンチェルトなどを肉厚な音で弾こうとすると弓が負けてしまいます。普通に弾く分には全く問題無く良い弓なのですが、一流のソリストが鳴らす弾き方を真似ようとすると、どうしても応えてくれません。全く応えてくれないわけではないのですが、弾き終えるまで全ての意識を右手に向け続ければ可能かもしれない、でもそんな事は私には出来ません。音程や指遣いも意識します。そもそも、楽器自体も室内楽向け。しかもガリガリと爆音を鳴らす人たちに囲まれてしまうと埋もれるタイプです。勿論ソロでも問題無いのですが、ストラドのようなはっきりした音はなかなか難しい。まろやか&まろやかでは、頑張ってもストラドモデルの音にはなれません。
テクニックについては、まだ習得しないといけない事が残っていますのでコツコツと。
音色(クオリティ)や音楽性はテクニックが無いと作れない。その通りだと思います。
現在の師匠はよく「細かな事についてはわかる人にしかわからないし、プロとして活動している人でもわからない、出来ていない人の方が多い」と仰います。聴衆は好き嫌いで決める、それでいいと思います。音楽を聴くことにルールなんてありません。
私個人としては、自分が積み重ねてきた事を感覚でもなんか違うなと感じてもらえる人と出会うことが楽しみでやっている部分もあります。
別にわかるわからないで人に優劣をつけたいわけではありません。感性が似ている人と話すと単純に盛り上がるじゃないですか、お互いに通じる!って。
勿論違う価値観の人とも抵抗無いですよ、ただ何もわかってない状態で人を馬鹿にしたり反対意見を全否定する人は嫌いですね。
とにかく、人それぞれ目指すところも価値観も違いますから、好きなところでその人が楽しく弾ける場所が大事だと思います。
この歳になって楽器や弓のステップアップの話が出るとは思わなかったです。学生の時に出る話じゃないですか、そういうのって。師以外の周りの人たちから楽器を持て余しているだの、楽器が良いからそんな音が出るだの散々言われてきて、そうか私には十分過ぎるものかと思っていたのに、出来る事が増えるともっと出来そうな事が増えて、可能性が広がっていく。上を求めたらキリが無いので、ある程度のところで諦めが肝心なのに。私もなかなかしぶとい。