こんにちは
のんびり秋田からvisionです。
96歳で亡くなった祖母の話。
とても苦労人だったと思います。
2度結婚して、最初のおじいさんは若い時に事故で亡くしています。
その後、島根県出身で電気工事をしていた方がどういうわけで秋田にやって来たのかはわかりませんが2度目のおじいさんになりました。私が赤ん坊の頃よく可愛がってくれたそうです。しかし、そのおじいさんも病気で亡くなりました。
うちのおばあさんは負けず嫌いというか。仕事は人一倍出来る人でした。
苦労した話もたくさん聞きましたが、旦那を亡くすことの悲しみがどんなに辛いことか、親戚の葬式でしみじみと語っていたことを思い出します。
おばあさん自身も、もうだめかもしれないという大病が何度もありました。
しかし口癖は「冬は必ず春となる」で、どんな試練があっても立ち上がっていく人でした。
とともに家族のしあわせを祈って何時間もお題目を唱えていました。
おばあさんが亡くなった後、仏壇の引き出しから手帳が見つかりました。おばあさんの書いたカタカナ文字です。
「カゾクガシアワセニナルヨウニ」
「〇〇チャンガゴウカクスルヨウニ」
「〇〇サンノビョウキガナオルヨウニ」
「ミンナナカヨク」
晩年は自宅で介護を続け家族で見送りことができましたが、私たち家族はおばあさんの祈りで守られていたのだと思います。
今は感謝の気持ちを込めて家族で手を合わせています。
介護は人の手を借りて無理をしないことだと思います。
うちは農家なので時間のやりくりができたのだと思います。
でも祖母が亡くなってから母に鬱の症状が出まして5年以上も苦しんだようです。
20年近く介護をしているとその喪失感の反動があったようです。
今はいい先生と巡り会えたって喜んでいます。
よろしくお願いします。
仕事との両立で家での介護は最後までできませんでした。今でもこれが「残念」で気持ちの整理がなかなか・・? 秋田からの情報、楽しみにしています。
相互ファオローして頂けますと嬉しいです。
宜しくお願い致します。
コメントありがとうございます。
人生の大事なことを教えてくれるのはおばあちゃんじゃないかと思います。
父方母方ともおじいちゃんが早く亡くなったものですから‥。
その大事、大切なことは次の世代に引き継いでいかなければなりませんね。
ただ現実はないがしろにされているように感じます。
おばあちゃんと日向ぼっこする余裕があって欲しいと思います。
日本の現在の繁栄は、家族の幸せだけを願い、充分な食べ物も無く、粗末な家で質素な生活を営んで来た方々が築いたものなのでしょう。
学歴がどうとか、収入を他人と比べてどうとか恥ずかしい限りです。
過去の人々からの恩恵を享受するだけではなく、
未来の人々に住み良い国を残さねばならない。
今さえ良ければ…と、決して負債を背負わせてはならないと感じます。