競歩をより多くの人に広めたい

競歩をより多くの人に広めるためのblog

インターハイの後

2020-03-06 09:06:00 | 日記
おはようございます。

yukiです。

前回の続き

インターハイが終わり

地元の新聞に掲載された私は

少し有名に。

そして静岡の競歩ランキングで

ついに1位となり

国体の選手として選ばれた。

国民体育大会。

都道府県の選ばれた代表選手が

集まり戦う大会。

オリンピックの規模が小さくなった

感じの大会。

中学生から社会人の人が

一緒のチームとなって戦う。

そんな大会に私は少年A競歩男子5000m

の選手として選ばれた。

一年前まで

駅伝メンバーにもなれず

選手として戦えないと思われていた

私が

静岡県の代表選手にまでになった。

しかし

ここから私は勘違いをし

どん底へと向かい始める。

国体の結果は9位。

得点が取れずチームに貢献することが

出来なかった。

その後

高校駅伝のメンバーにはなれなかったが

大学進学の内定を

競技の結果とコネでもらい

特に自分自身が動かなくても事が

進んでいった。

これがいけなかった。

自分がプロの選手みたいな

扱いに味をしめてしまった私は

競歩だけをやっていれば

いいと言う考えと

結果が出れば周りは称賛してくれる

と自分で勝手に思い込み

勉強を疎かにし全国大会にはそこまで

練習しなくてもいけるからと

練習をサボるように

そして学生の最大の敵。

ギャンブルに手を出してしまった。

全国大会には行けたものの

結果は振るわず。

今考えれば当たり前だ。

ろくに練習もせず勉強もせず

授業をサボり仲間と遊び

全国行ってるのに大学は

何もしてくれないと

自己中心的な考えをして。

天狗になっていた私の鼻を

へし折る事が出来ず

大学を卒業し

社会人になりもう一度と思い続けるが

4年間の代償は大きかった。

それでも自衛隊体育学校のトライアウト

を受けに行き

27歳で自己ベストを2分更新した時は

少し望みを感じたが

あの環境が自分1人で作れるわけでもなく…

競歩を始めて天国も地獄も味わえた。

今は競歩を引退したが

今後復帰するかもしれないし

しないかもしれない。

どんな形であれ競歩、陸上競技には

生涯関わっていくだろう。
















インターハイ決勝

2020-03-03 23:12:00 | 日記
こんばんは。

yukiです。

昨日の続き。

インターハイ決勝の朝

後輩と2人で朝練に行くが

臀部を痛みが残っており

歩ける状態ではなく

後輩と近くの川辺で座って

おしゃべりをしていた。

いわゆるサボり。

もうなんかここまで痛いと

逆に練習しないほうが

いいんじゃないかと思ったから

歩くのをやめた。

朝練から帰り、朝食をとり

競技場へと向かった。

アップの前に後輩の予選のレースが

あったのでそれを見た。

後輩は惜しくも予選敗退。

次は俺の番か。

気持ちはやる気ではあったが

それを痛みがかき消してくる。

副顧問にも痛みはないと嘘をつき

スタート地点に行く準備をした。

ちょうどその時

中学の同級生が静岡から

わざわざ埼玉まで応援に来てくれた。

素直に嬉しかった。

とにかくゴールできるよう

痛みよ止まってくれ

私はバックにつけてた人形にまで

痛みを止めてくれと祈った。

それほど痛かったのだ。

不安と痛みに耐えながらスタート地点に

立った。

今までに味わったことのない緊張感

そして決勝の舞台に立ったという実感が

混ざり合いなんとも言えない感覚だった。

その時には頭の中に臀部の痛みに対する

不安がなぜかなかった。

とにかくこのスタート地点に立てた

ことに親を始め頭の中で思い浮かぶ人

全員に感謝の気持ちを込めた。

ありがとうございます!

今から頑張ってきますと。

そしてスタートの合図がなった。

これまた不思議なことにアップの時まで

あった臀部の痛みが全くなくなっていた。

アドレナリンの力なのか。

そう思いながら

痛みの心配がなくなった私は

積極的にレースを進めた。

優勝候補の2人は先に行き

私を含め5.6人で3位集団を形成しながら

レースは進んでいった。

それしかレースの思い出がない。

途中どうだったのか全く記憶がない。

最後はこのままいけば入賞だ。

誰にも抜かれないっと思ってゴールした。

結果は5位。

小さくガッツポーズをしてゴールしたのは

覚えている。

そしてゴールしてスタンドから

後輩が

先輩最高です!

と言って私は拳を高々と挙げた。

嬉しいというかなんというか。

ゴールできたことに安堵した。

副顧問もかなり興奮していた。

そして新聞記者の取材、某大学監督から

直々にスカウトのオファーと

ゴール後表彰式まで色々とあった。

そして臀部の痛みは

全くなくなっていた。

あの痛みはなんだったのだろう?

あまり練習をさせないための

神様から忠告だったのか。

今でも謎なまま。

ちなみに私は競歩を始めて

1年で全国入賞を果たしたが

競歩を始めて3ヵ月で

入賞していた選手がいて

上には上がいるんだなと思った。

まぁ今では2008年インターハイで

表彰式に乗った選手はみんな

競技を引退してしまったが。

とこんな感じで私の最初で最後の

インターハイは終わった。

常に目標と向き合えばその目標は

達成すること。

常に挑戦する気持ちを忘れずに。









インターハイ予選

2020-03-02 22:40:00 | 日記
こんばんは。

yukiです。

だいぶご無沙汰ですみません。

インターハイに出場した時のことを

今日は書いていきます。

陸上部でインターハイを決めたのは

私と後輩2名だけ

そのため他の部員は学校で練習。

副顧問と私たち2人は

埼玉県熊谷市に向け出発。

新幹線、電車を乗り継ぎ

熊谷市に到着。

レンタカーを借りて競技場へ

競技場についてそのデカさに

驚いたのを覚えている。

軽く体を動かし全国大会に来たんだな

と実感が湧いてきた。

しかし

私の心の中は焦っていた。

大会1週間前に

臀部を痛め、この1週間まともに

歩くことができていなかったのだ。

この日も軽く動いただけでも

まだ痛みが残っていた。

どうあがいても痛みが消えない。

焦りと不安が私を襲った。

ホテルに行く途中で

コンビニに寄ってもらった。

そこで榮倉奈々さんに似てる

店員さんを見て後輩と私は

テンション上げ上げ

その時だけは痛みを忘れていた笑

夕食を終え、少し夜の散歩を後輩と

して就寝した。

大会当日。

インターハイは競歩も予選がある。

各地域で行われるインターハイ予選では

一発決勝で行われていたが

インターハイ本番は予選で勝ち抜かないと

決勝には行けない。

予選は2組

各組6着までに入れば決勝進出

あとはゴールタイムが速い順で8人が

決勝進出できるという

システムとなっている。

私の組には優勝候補の1人の選手が

いた。

こいつにゴールまでついていけば

決勝に行ける。だから意地でも離れない。

そんなことを思いながらスタート地点に

立った。

相変わらず臀部の痛みは消えていない。

予選がスタート。

恐る恐るスピードを出して歩いてみたが

さっきまであった臀部の痛みが

嘘のように消えていた。

いける。これならいける。

頼むから途中で痛みが出ないでくれ。

そう身体に言い聞かせながら

あの選手に絶対ついて行こうと

私は必死で優勝候補に食らいついた。

結果は予選を2着で通過。

無事に決勝へとコマを進めた。

ゴールした瞬間臀部に

強烈な痛みが走った。

普通に歩くのがやっと。

ベンチに戻り、副顧問にマッサージ

してもらいながら臀部をアイシング。

ここまでかな〜

決勝にも行けたしやることはやれた。

決勝はビリかもしれない。

それぐらい激痛で辛かった。

唯一救いだったのが決勝が

その日に行われないことだった。

長距離種目は予選をやった次の日に

決勝を行う。

そのため決勝の

スタートラインに立つまで

時間がある。

スタートまでに出来るだけ

痛みをなくせるようにした。

痛み止めの薬を飲めば早い話だが

薬に頼ることだけはしたくなかったため

痛み止めは飲まなかった。

そして決勝の朝が来た。




インターハイに出場するまで

2020-02-14 18:39:00 | 日記
こんばんは。

yukiです。

今日はバレンタイン。






中島公園のある場所で見つけました。

かわいかったので撮ってみました。

さて

前回の続き

日本選手権を終えた私は

無事に高校3年生に上がり

インターハイを狙う最後の年

常にインターハイを意識して

練習をしてきた。

自分の机にインターハイ出場と

落書きするほど。

インターハイに出場するには

各予選会を

勝ち上がらなければいけません。

日本選手権とは違い

標準記録を突破した人なら

誰でも出場できるわけではないのです。

競歩の場合競技人口が少ないのと

人数が多いと審判が

正確にジャッチできない

理由(わたしの考え、
正確な理由はわかりません)で

当時は各予選会上位3名しか

出場できませんでした。

今現在は上位4名に変更になりましたが。

他の種目は上位6名。

競歩だけインターハイに出場する人数が

少ないのです。

競技人口が少ないとはいえ

狭き門なのです。

私の場合

静岡県西部予選上位3名
静岡県大会上位3名
東海大会上位3名
インターハイ

という流れで

勝ち進んでいかなくてはならず

なかなか厳しい状態ではあった。

それでも東海大会までは行ける

自信はあった。

静岡県内ではライバルが

1人しかいなかったし

そのライバル以外では

負ける気がしなかった。

県大会ではライバルに負けはしたものの

県大会2位で初の東海大会に

出場が決まる。

東海地区は意外と競歩が盛んな地区で

特に愛知県は強い選手がたくさん。

東海大会のプログラムには

各県予選で出した

タイムがランキングになって

上位6名が表示される。

もちろん私はランク外。

出場するメンバーの中で

下から3番目ぐらい

だった気がする。

これが逆に開き直れたのかもしれない。

思いも残すことなく全力でやろう。

それしか考えていなかった。

レース前日に

後輩がインターハイを決めた。

レースの前々日に顧問のマッサージを受け

もみ返しがひどく

前日の最終ポイントも

もみ返しが痛すぎて

全然歩けず顧問のマッサージを

受けなければよかったと

後悔しながら本番当日を迎える。

朝練の時も痛みがあり

もう終わったと思った。

しかしアップを始めると

身体が軽く今までの痛みが全くない。

腕もスムーズに動く。

これは行ける。となぜか自信が出ていた。

レースの記憶はほとんどない。

覚えているのは

ラスト2周

6人ぐらい集団でレースが進んでいき

ペースが遅い感じた私は

集団を抜け出し

ペースを上げた。

すると集団が一瞬のうちにバラバラに

残り1周の鐘が鳴り

無我夢中でゴールを目指した。

1人に抜かれ

残り200m

歩形を気にしてる余裕はなかった。

抜かれないように必死に歩いた。

そして2位でフィニッシュ。

タイムは21分42秒

22分台を出したことがなかった私が

いきなり21分台

さらに競歩を始めて1年で

インターハイ出場を決めた。

奇跡でしかなかった。

ゴール後は

新聞記者の取材。

翌日の新聞に自分が載った。

とにかく嬉しかった。

夢の全国出場が現実になった。

しかし

私の快進撃はこれでは終わらなかった。

ドラマのようなホントにあった話。

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

次回はインターハイのことを

書いていきたいと思います!





日本選手権

2020-02-10 17:50:16 | 日記

 

こんばんは。

yukiです。

2月16日は20K競歩の日本選手権が

神戸市六甲アイランドで開催されます。

この大会は私が競歩で全国大会を目指す大きなきっかけを

くれた大会でもあるのです。

今回はその話を書きたいと思います。

当時高校2年生の私は日本選手権に出場できることを

顧問の先生から聞き正直信じられなかった。

何かの間違いではないかとも思った。

走りでは県大会に行くのがやっとの選手。

そんな選手が初めて半年で

競歩の全国大会に出場できるなんて

周りはもちろん自分自身も予想していなかった。

不安と動揺、少しのわくわくを抑えながら

日本選手権まで練習をした。

試合前日

学校で最終ポイントを行った。

私は焦っていた。

身体が思うように動かない。

重い。

1000mを2本行ったが

4分30秒で2本

設定タイムはそれよりも10秒速い

4分20秒

設定タイムで行けなかった。

さらに初の全国、初の10Kという距離。

大会1日前にして

心の中は不安と焦りしかなかった。

みんなに見送られながら

会場へと出発。

会場に着きコースの下見。

そこには陸上マガジンで見た選手たちが。

この時全国大会に来たのかと実感。

当時は今の直線の周回コースではなかったが

1周2Kのコースを2周して終わった。

身体が重く歩く気にならなかった。

受付を終えホテルへ。

夕食を食べたが物足りない。

母親が買ってくれたコンビニのパンを食べ

ベットに入った。

食べすぎだとは思ったが気にしなかった。

ただ相当緊張はしていることは分かった。

朝5時に朝練。軽く歩いて動きづくりを多めに行った。

まだ重さがあり身体が動いてない感じだった。

会場に入りアップ。

そこでも緊張しすぎているからか

あまり歩きたくなくひたすら動きづくり。

そして人生初の全国大会のスタートラインに立った。

全員同じ高校生なのに同じに思えないぐらい

堂々としていた。

ピストルがなり選手が一斉に飛び出していった。

私は顧問の先生から

10Kは長いから後半ペースを上げていけるように

前半は抑えていきなさい。

と言われていたので集団の後ろからスタートした。

先頭はあっという間に見えなくなり

自分が今どの位置で歩いているのかもわからなかった。

とにかく10K歩き切る。

後半ペースを上げる。

この二つを目標に歩いた。

5Kの通過タイムが22分30秒

1K4分30秒のペースで歩いていた。

あれ?

意外と歩けてる?

そこまできつくない。

後半ペースを上げれる。

そう思い前を歩いている選手を追い抜いて行った。

結果

ゴールタイム44分51秒

順位12位

県大会に行くことが目標だった自分が

全国大会で12位?

4分30秒ペースで5000m歩いたことがなかったのに

10Kで4分30秒切って歩けた。

この結果は大きな自身となった。

そしてある人から

インターハイを夢でなく本気で狙っていきなさい。

と言われ私は

この大会の結果を機に

インターハイ出場を目標に掲げていく。

 

私が競歩を始めインターハイを本気で目指すきっかけを

作ってくれた日本選手権。

今回この大会は東京五輪20K競歩代表選考会を兼ねています。

男子20K競歩の代表枠は残り2枠?

その2枠を狙って男子86人がエントリー。

女子20競歩も代表の座を狙い46人がエントリー。

当日はライブ配信も予定。

五輪にかける選手たちの歩きをその目で見てください。

 

長々とありがとうございました。

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