競歩をより多くの人に広めたい

競歩をより多くの人に広めるためのblog

土肥合宿

2020-02-03 19:17:00 | 日記
こんばんは。

yukiです。

今回は土肥合宿を書きます。

高校2年の冬

期末テストも終わり

冬休みに入る直前に

副顧問から土肥でやる

強化合宿に行かないかと誘いを受けた。

静岡県で競歩をやっている高校生が

集まり合宿をする。

しかも県大会で上位に

入った選手が行ける合宿。

今まで他校の高校生と練習したことがない

私は

即参加を希望した。

その合宿には当時静岡県でナンバー1の

I選手も参加していた。

初日は現地に到着して

軽く体を動かして終わり。

2日目から本格的に練習が開始された。

私は練習中彼から離れないようにと

必死でついていった。

大勢でやると気分が良くなる私は

練習が楽しくてたまらなかった。

12キロのペース歩では

1キロ5分30秒設定で

先頭をみんなで回しながら

設定通り歩いていたが

私の時だけ5分15秒で回ってしまった。

そのおかげで

みんなからブーイング。

押さえようにも押さえ切れず。

それでも12キロ完歩。

と思ったらI選手だけ15キロ。

しかも残り3キロは5分ペース

余裕が少し残っていた私は

一緒にやればよかったと後悔。

と同時にさすが静岡県ナンバー1の男だ

と感心していた。

この男には勝てないだろうなと

勝手に思っていた。

この合宿では歩くだけでなく

ドリルの基礎や

浜辺で走ったりして脚力の強化

など様々なトレーニングを

行い合宿終盤。

インターバルトレーニングを

していた時

前半飛ばしすぎてしまったせいか

足を痛めてしまった。

私のいけないところだ。

走っている時も

合宿ではいつもそうだった。

終盤に必ず怪我をして

最後の仕上げのポイント練習が

出来ずに合宿を終える。

情けない話だ。

しかし

この合宿で得たものは大きかった。

何より自信がさらについた。

とはいえ

この時はまだ全国大会は目標ではなく

夢であった。

合宿が終わり年が明け

学校が始まってすぐに

保健の授業が始まり前に

顧問がクラスのみんなの前で

尾上お前全国大会行けるぞっと

突然言い出した。

私ははい?っと何を言われてるのか

わからなかった。

全国大会?この俺が?

そんなわけと思ったが

どの大会で出したかわからないが

日本選手権のジュニア10キロの

標準記録を突破していたみたいだ。

正直信じられなかった。

当時設定された標準記録は今より

遅かったが全国に行けるんだという

嬉しさと

こんな俺が言って良い場所なのか

という不安が出てきた。

今日はここまで。

次回は日本選手権を書きます。

最後まで読んで

いただきありがとうございました。

次回もお願いします。






初めて競歩で大会に

2020-01-31 17:31:00 | 日記
こんばんは。

yukiです。

今回は初めて競歩で大会に

出た時のことを書きます。

初めて出た大会は

高校2年の新人戦の地区大会だったと思う。

当時は競歩をやる人が少なく

とりあえず歩き切れば

県大会に出場できる。

そんなレベルだった。

勝ちに行くよりも

5000mを確実に歩ききることを

目標にスタートラインに立った。

スタートして1人だけポーンっと

抜け出した選手がいた。

商業高校の選手だ。

彼も怪我に悩まされて競歩に

種目を変えた1人。

その彼が優勝。私が2位に入った。

記録は25分半ぐらいだったと思う。

なぜあんなに速く歩けるのか。

1000mだけなら5分は切れる

しかしそのスピードを維持できない。

当時はフォームに自信がなく

失格しないようと

フォームを意識していた。

そのためスピードが出なかった。

いつか地区大会で優勝したい

そんな思いが出るようになり

私は練習に打ち込んだ。

次の県大会でもスピードを出す感覚が

分からず…

3位でフィニッシュ。

1位のI選手は22分半の大会記録で優勝。

私は24分台の自己ベストは出したものの

1位と2分も差をつけたれた。

I選手の活躍は

翌日の新聞に掲載されていた。

羨ましかった。

私もそんな選手になりたい。

なれる気が少しだけあった。

しかし

現時点で2分もの差がある。

どう追い越せばいいのか。

失格がある競技

今の自分ではスピードを出せば

ゴールすらできない

かもしれない。

そこから私はドリルを徹底的に

やり込み

ロングの練習では残り2000mからは

必ずペースを上げるように

していった。

それで5分切るのがやっと…

4分30秒を切ることがなかなかできない。

今みたいに動画を撮ったり

YOU TUBEを観てフォームを確認したり

他の選手のフォームを観る習慣が

なかったため私は

もがき苦しんだ。

この苦しみが後々大きなきっかけを

作るとは思ってもいなかった。

最後まで読んで

いただきありがとうございます。

次回は土肥合宿。

今回の一言

悔しいと思えるそれこそが成長の一歩


富士山合宿

2020-01-29 07:00:00 | 日記

おはようございます。

yukiです。

今回は富士山合宿での体験を書きます。

私の高校では

陸上部毎年恒例の富士山合宿が

ありました。

私たちにとってはとてつもなく

嫌で辛い合宿でした。

今となってはとても良い経験ができた

合宿だったんですけど。

夏休み初めに合宿がスタート

富士山麓の青年の家を拠点に

ひたすら走り込みをする。

青年の家の入り口付近から

富士山の5合目まで

16キロの登りを走ったり

こどもの国コースという

アップダウンのやるコースで

スピード練習をやったりと

かなり過酷な合宿でした。

しかし

競歩を始めた私は

一人で青年の家の駐車場から

入り口までの片道1キロのコースを

ひたすら往復。

行きは登り帰りは下りのコースを

多い時で10往復

いつ熊が出るかわからない環境で

2時間かけて歩き

みんなの帰りを待っていた。

途中妥協して

7往復でやめたりもしたが…

1人で辛い時もあった。

でも1人で歩きながら

自問自答しながら練習をし

常に自分と向き合うことにした。

自分と向き合うことで

自分の目標

今やらなければならないことが

明確になっていた。

そこで焦りは禁物

今の状況を把握してできること

から確実にやっていった。

それが最終的に良い結果を

出したのだと今は思っている。

合宿は辛いが

自分を変えるには最高の環境だと

今は思いますね。

今日の一言

自分自身と向き合えばヒント見えてくる。


次回は

競歩で初めての大会を

書いていきます。

最後まで読んでくれて

ありがとございました。

次回もお願いします。




もう一つの壁

2020-01-28 16:41:35 | 日記
おはようございます。

yukiです。

前回は競歩と私が出会い

競歩をやると決めたところまで

書きました。

今回はその続きです。

競歩をやると決めた日に

私は自宅に帰り

親にその話をした。

母親はあんたがやれることを

全力でやりなさいと言ってくれ

競歩を始めることに賛同してくれた。

しかし、

父親は反対した。

競歩を始めるって駅伝はどうするんだ?

駅伝をするために高校に行ってるんだろ?

と競歩を始めることに賛同を

してくれなかった。

幼い頃から私は父親の言いなりだった。

何をするにも

権限は全て父親にあった。

陸上を始めたのも父親がやっていたから。

私は他にも友だちや先輩から

バスケ、野球、サッカーを一緒にやろう。

と誘いを受けていた。

それを言えばやらせないの一点張り。

父親に歯向かえずいた私だった。

私の中で最大の壁であった。

しかし

競歩を始めた時だけは違った。

同じ陸上競技であり

走っているか歩いているかの違い。

それになぜか競歩をやることに

自信があった。

私はその時初めて父親の反対を

押し切り競歩の道へと歩み始めた。

今回の一言

自信を持てば人は強くなれる。

最後まで読んで

いただきありがとうございます。

次回は富士山合宿のことを

書きたいと思います…

次回もよろしくお願いします。










私と競歩との出会い

2020-01-27 18:24:00 | 日記
こんばんは。

yukiです。

今日は競歩との出会いを書きます。

疲労骨折をし

走れなくなった私は筋トレと徒歩

という練習の毎日。

だんだんなぜ陸上競技をやっているのか

このままやっても

駅伝メンバーに選ばれない。

部活を辞めたい。

2時間通うのが苦痛。

そんな思いが日に日に募っていくばかり。

親に相談した。

辞めてもいいよ。

ただ陸上部を辞めるなら

今の高校も辞めて

近場の高校に転学して。

陸上やらないならそこまで

お金はかけれない。

そう言われた。

高校まで辞めるのは

自分のプライドとして嫌だった。

そこから少しモチベーションを上げ

早く復帰できるように

できる限りのことをやった。

1ヵ月が過ぎた。

足は一向に回復しない。

徒歩の練習も飽きてきた。

そんな時に

歩くのが速くなれば走りも速くなると

聞き練習に早歩きを取り入れた。

1キロ7分ぐらいで

頑張って歩いていた。

それから数日後

インターハイ予選静岡県大会が

行われた。

そこで偶然アップをしている

競歩の女の人を見て

面白半分でその人の歩きを真似していた。

なぜならクネクネ動いているからだ。

正直当時の私は競歩を小馬鹿にしていた

長距離選手だった。

だから同級生と笑いながら

競歩の真似をしていた。

少しコツを掴んだ私は練習で

競歩の動きを取り入れて歩くようにした。

その方が歩く距離を稼げたから。

ある日、顧問と副顧問に

練習に呼び出された。

お前競歩やってみないか?

私は駅伝メンバーに選ばれて

駅伝をやるために

この学校にきたのに

競歩をやってみないかという言葉は

お前は選手になれないと

言われてると一緒だと思い断ろうと

したが

もし競歩をやらないなら

マネージャーだ。

どっちにしろ選手にはなれないんだ

と思い落ち込んだ私に

顧問はとんでもない言葉を

私に投げかけた。

今から1000m歩いてみろ。

タイムは5分切り

5分切れなかったらマネージャーに

決定だ。

まてまてまて

今まで必死に頑張って歩いても6分は

かかってたのに

いきなり5分切りとか無理だろ

と思いながらも

私はタイムトライヤルと準備をした。

準備をしている時に

やっぱりマネージャーよりは

選手として活躍したい。

そう思い私は必死で歩いた。

5分のペースで歩いたことがないから

無我夢中で1000mを歩き切った。

タイムは4分45秒。

人間って吹っ切れると

やれるもんなんですよね〜。

こうして私は競歩と出会い始める

ことになったのです。

しかしここで

もう一つ超えなければならない

壁が現れたのです。

それは次に書きます。

最後まで

読んでいただきありがとうございました。

次もよろしくお願いします。

今回の一言

人間吹っ切れると意外とやれる。