1994年は獅子年だ。
「いや、何言ってんの戌年だから」とか「獅子は干支にいないけど」、とツッコミたくなるところだが、1994年(平成6年)の日本では獅子にまつわる2つの大きな出来事があった。
1つ目は、大人気ディズニー映画『ライオンキング』(1994)が公開されたことだ。1994年7月23日(土)に日本で公開され(アメリカは同年6月24日公開)、世界興行収入は約9億8千万ドル(日本円で約1兆円(当時のレート))、日本の配給収入は約19億6千万円という大ヒットを果たした。そして1994年のアカデミー賞では2冠(作曲賞、主題歌賞)、ゴールデングローブ賞では3冠(作品賞、音楽賞、歌曲賞)を果たすなど『ライオンキング』は、1994年に最も大ヒットしたアニメーション映画となった。
2つ目の獅子にまつわる出来事は、プロ野球の西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)が5年連続のリーグ優勝を果たしたことだ。前年に日本一を逃した西武は、日本一を奪還しようと1994年のシーズンに挑んだが、前半戦はケガ人が続出、さらに投手陣が不調になるなど苦しい戦いが続いていた。しかし、後半戦に入ると投手陣が復調し、優勝争いの佳境を迎えた9月に11連勝を果たし、見事に5年連続の優勝を成し遂げた。
『ライオンキング』に西武ライオンズ。片やアニメーション映画で、片やプロ野球チームという全然違う者同士だが、たまたまそれらの名前には「ライオン」という文字が入っており、さらに1994年に両者は、それぞれの世界で大活躍を果たすという奇跡を起こした。
奇跡を起こすミラクルレオたち。しかし、彼らの奇跡は他にもあった。それは、両者ともに日本一になれなかったことだ。
『ライオンキング』は、1994年のアニメーション映画で世界興行収入1位を獲得したが、日本では海外ほどヒットはしなかった。なぜなら、同作の公開1週間前にジブリスタジオが製作した『平成狸合戦ぽんぽこ』が公開されたからだ。『~ぽんぽこ』の国内配給収入は約26.5億円と、『ライオンキング』より多かった。そして『~ぽんぽこ』は、1994年の邦画ナンバーワンヒットという快挙を成し遂げた(当時のマスコミは、「タヌキ対ライオン」と報じていた)。
一方西武ライオンズは、日本シリーズでセ・リーグ王者の巨人を相手に2勝しかできず、2年連続で日本一を逃した。それに伴い、チームを長年指揮し、ライオンズの黄金時代を築いた森祇晶監督は勇退(在任中は優勝8回、日本一6回)。さらにオフには、チームリーダーを務めたベテランの石毛宏典選手、エース投手の工藤公康選手が揃って、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に移籍するなど、西武の黄金時代はついに終わりを迎えた。
残念ながら日本では頂点を取れなかった2頭のレオたち。しかし、この両者はその後も不思議な運命を共に辿るのだ。1994年から4年後の1998年、日本の劇団四季が『ライオンキング』のミュージカルを上演を開始、そして大ヒットとなった。同じく1998年、西武ライオンズは2年連続でリーグ優勝を果たし、新たな黄金時代を迎えようとしていた。
これは何かの偶然か、それとも起こるべくしておこったことなのか。『ライオンキング』と西武ライオンズの間には、不思議な絆が結ばれ、2頭は奇跡を起こすミラクルレオだった。
「いや、何言ってんの戌年だから」とか「獅子は干支にいないけど」、とツッコミたくなるところだが、1994年(平成6年)の日本では獅子にまつわる2つの大きな出来事があった。
1つ目は、大人気ディズニー映画『ライオンキング』(1994)が公開されたことだ。1994年7月23日(土)に日本で公開され(アメリカは同年6月24日公開)、世界興行収入は約9億8千万ドル(日本円で約1兆円(当時のレート))、日本の配給収入は約19億6千万円という大ヒットを果たした。そして1994年のアカデミー賞では2冠(作曲賞、主題歌賞)、ゴールデングローブ賞では3冠(作品賞、音楽賞、歌曲賞)を果たすなど『ライオンキング』は、1994年に最も大ヒットしたアニメーション映画となった。
2つ目の獅子にまつわる出来事は、プロ野球の西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)が5年連続のリーグ優勝を果たしたことだ。前年に日本一を逃した西武は、日本一を奪還しようと1994年のシーズンに挑んだが、前半戦はケガ人が続出、さらに投手陣が不調になるなど苦しい戦いが続いていた。しかし、後半戦に入ると投手陣が復調し、優勝争いの佳境を迎えた9月に11連勝を果たし、見事に5年連続の優勝を成し遂げた。
『ライオンキング』に西武ライオンズ。片やアニメーション映画で、片やプロ野球チームという全然違う者同士だが、たまたまそれらの名前には「ライオン」という文字が入っており、さらに1994年に両者は、それぞれの世界で大活躍を果たすという奇跡を起こした。
奇跡を起こすミラクルレオたち。しかし、彼らの奇跡は他にもあった。それは、両者ともに日本一になれなかったことだ。
『ライオンキング』は、1994年のアニメーション映画で世界興行収入1位を獲得したが、日本では海外ほどヒットはしなかった。なぜなら、同作の公開1週間前にジブリスタジオが製作した『平成狸合戦ぽんぽこ』が公開されたからだ。『~ぽんぽこ』の国内配給収入は約26.5億円と、『ライオンキング』より多かった。そして『~ぽんぽこ』は、1994年の邦画ナンバーワンヒットという快挙を成し遂げた(当時のマスコミは、「タヌキ対ライオン」と報じていた)。
一方西武ライオンズは、日本シリーズでセ・リーグ王者の巨人を相手に2勝しかできず、2年連続で日本一を逃した。それに伴い、チームを長年指揮し、ライオンズの黄金時代を築いた森祇晶監督は勇退(在任中は優勝8回、日本一6回)。さらにオフには、チームリーダーを務めたベテランの石毛宏典選手、エース投手の工藤公康選手が揃って、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に移籍するなど、西武の黄金時代はついに終わりを迎えた。
残念ながら日本では頂点を取れなかった2頭のレオたち。しかし、この両者はその後も不思議な運命を共に辿るのだ。1994年から4年後の1998年、日本の劇団四季が『ライオンキング』のミュージカルを上演を開始、そして大ヒットとなった。同じく1998年、西武ライオンズは2年連続でリーグ優勝を果たし、新たな黄金時代を迎えようとしていた。
これは何かの偶然か、それとも起こるべくしておこったことなのか。『ライオンキング』と西武ライオンズの間には、不思議な絆が結ばれ、2頭は奇跡を起こすミラクルレオだった。