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今から465年前(西暦1549年)聖フランシスコ ザビエルが日本に伝えたキリスト教 その尊い教義典礼をまもりつづける

人の死について(四終):公審判と私審判 59/68

2017-08-06 | Pictureカテキズム
絵の説明
●この絵には、我らの死するときに行われる私審判の有様が書いてある。

●まず、左方は善人の審判で右方は悪人の審判である。
 イエズスキリストの裁判所は、この二人が今息の絶えた部屋の上である。そして善人の親類は
 まだ彼のために祈っているのである。

●守護の天使は、聖マリアと聖ヨゼフのとの後について、善人の霊魂を、
 イエズスキリストの御前に導いている。
 イエズスの右方に一位の天使が、片手には善人のために栄福の冠を持ち、
 片手では秤で善悪をはかっている、ところが善のほうが勝っているので、
 イエズスキリストは彼をよくもてなし、彼のために利益となる裁判をくださるのである。

●悪人の霊魂も無上至尊の裁判官の御前に引き出されるが、羞恥のあまり、仰ぎ見ることができず、
 顔をかくすのである。悪魔たちは彼がくくられている鎖を引いて、地獄へ落とそうといたしている
 のである。その上方に天使が、やはり、秤をもって善と悪とを量っているが、罪悪のほうが
 至って重く、また、天使がもっている生命の書の中には、一つもその人の善行がしるされていない
 から、イエズスキリストが彼を見捨て給うて、彼のうえに永遠の刑罰を受けるべき宣告をいたされるのである。

※注意。公審判、天国、地獄の図解は、使徒信経の末尾にしるしてあるから、第10図、第16図、第17図参照のこと
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