友人Yは、日本で結構頑張ってる同業者だった。
仕事もレギュラーで持ってた。
Yは、ある時、思い切ってアメリカへ行った。
アメリカで生活・音楽活動できるように頑張ると。
私は、こう見えても、意気地なしなところがあるので
親や友達や大好きな場所と物理的に離れることが寂しくて
そんな冒険は出来なかった。
元々、1つの場所にじっといちゃう性格だし。
Yは私の英語をいつも誉めてくれて
「これで、私も、たまに帰ってきたら
チャカと英語で話せるようになると思うと嬉しい」
なんてことを言ってくれた。
3年後、Yは、元気に帰って来た。
私は、Yがどういう時間を過ごしていても
元気で幸せならそれでいい。
NYで3年も暮らせて
私が日本では覚えられないような英語を覚えられて、
たくさんの人に会えただろうし、心から羨ましいと思った。
ちょうど、PSY・Sの4枚目のアルバム
Non-Fictionが出る頃だった。
Non-Fictionは多分、PSY・Sで最も売れた
アルバムで、ツアーも盛り上がった。
見に来てくれたYは楽屋を訪ねてくれて
なんとなく恥ずかしそうに言った。
「チャカがこんなに出世してるとは思わなかった。
すごいね。なんか遠い存在に感じるわ」
Yはその後、歌は趣味としてやっているみたい。
連絡を取ろうと思えば取れるという間柄。
でも、その時のYからは、なんだか
勝ち負けのようなものを感じて、私は少しだけ
ほんのすこ~しだけ、切なかった。
だから、その後も、特にこれ!と言った用もないから
連絡はしていないけど、元気で幸せにしていて欲しいし
趣味だろうが何だろうが、きっと大好きな歌を素敵に
歌っていると思う。
Yがアメリカへ行って
私は羨ましかったけど、
私は私で毎日の自分のことを頑張って
今の自分の足下を一生懸命掘り続けた。
そこに湧いた泉は、有名な温泉ほどの規模
ではなくても、私だけの泉。
決して、誰に対してコンプレックスなど
持たなくてもいい。
色々なところへ行く人も
諸事情で、じっと1つ所にいる人も
みんな、今の自分を毎日、瞬間瞬間頑張ればいいし
それしかない。
そうしたら、必ずそこには
素晴らしい自分だけの泉が湧くのだ。
雑草と呼ばれてしまう草たちは、誰もが知ってるひまわりに
あこがれてるかもしれない。
薔薇や牡丹は、ぺんぺん草に憧れてるかもしれない。
でも、いいんだよ。
一番悲しいことは、毎日毎日の自分を一生懸命生きることなく
後悔を残すこと。
私は人生の「成功者」という言葉の意味があまりよくわからないけど
Yは、私には自分より成功して欲しくなかったのか?
私は、どこか、他人を競争に駆り立ててしまう何かを持っているのか?
でも、その言葉、とても悲しい誉め言葉だったけど
Yは、私に大切なことを教えてくれた。
誰かや物に対しての憧れは憧れ、尊敬は尊敬として、その想いを大切にして
でも、自分は今いる場所で、工夫しながら、一生懸命自分のことを
やる以外にないし、それは必ず意味のある結果になるということ。
これからも、私はどこでどうしていようとも
目の前の一人を大切にし、自分の足下を掘り続けよう。
そこには必ず輝く泉が湧き上がるから。
仕事もレギュラーで持ってた。
Yは、ある時、思い切ってアメリカへ行った。
アメリカで生活・音楽活動できるように頑張ると。
私は、こう見えても、意気地なしなところがあるので
親や友達や大好きな場所と物理的に離れることが寂しくて
そんな冒険は出来なかった。
元々、1つの場所にじっといちゃう性格だし。
Yは私の英語をいつも誉めてくれて
「これで、私も、たまに帰ってきたら
チャカと英語で話せるようになると思うと嬉しい」
なんてことを言ってくれた。
3年後、Yは、元気に帰って来た。
私は、Yがどういう時間を過ごしていても
元気で幸せならそれでいい。
NYで3年も暮らせて
私が日本では覚えられないような英語を覚えられて、
たくさんの人に会えただろうし、心から羨ましいと思った。
ちょうど、PSY・Sの4枚目のアルバム
Non-Fictionが出る頃だった。
Non-Fictionは多分、PSY・Sで最も売れた
アルバムで、ツアーも盛り上がった。
見に来てくれたYは楽屋を訪ねてくれて
なんとなく恥ずかしそうに言った。
「チャカがこんなに出世してるとは思わなかった。
すごいね。なんか遠い存在に感じるわ」
Yはその後、歌は趣味としてやっているみたい。
連絡を取ろうと思えば取れるという間柄。
でも、その時のYからは、なんだか
勝ち負けのようなものを感じて、私は少しだけ
ほんのすこ~しだけ、切なかった。
だから、その後も、特にこれ!と言った用もないから
連絡はしていないけど、元気で幸せにしていて欲しいし
趣味だろうが何だろうが、きっと大好きな歌を素敵に
歌っていると思う。
Yがアメリカへ行って
私は羨ましかったけど、
私は私で毎日の自分のことを頑張って
今の自分の足下を一生懸命掘り続けた。
そこに湧いた泉は、有名な温泉ほどの規模
ではなくても、私だけの泉。
決して、誰に対してコンプレックスなど
持たなくてもいい。
色々なところへ行く人も
諸事情で、じっと1つ所にいる人も
みんな、今の自分を毎日、瞬間瞬間頑張ればいいし
それしかない。
そうしたら、必ずそこには
素晴らしい自分だけの泉が湧くのだ。
雑草と呼ばれてしまう草たちは、誰もが知ってるひまわりに
あこがれてるかもしれない。
薔薇や牡丹は、ぺんぺん草に憧れてるかもしれない。
でも、いいんだよ。
一番悲しいことは、毎日毎日の自分を一生懸命生きることなく
後悔を残すこと。
私は人生の「成功者」という言葉の意味があまりよくわからないけど
Yは、私には自分より成功して欲しくなかったのか?
私は、どこか、他人を競争に駆り立ててしまう何かを持っているのか?
でも、その言葉、とても悲しい誉め言葉だったけど
Yは、私に大切なことを教えてくれた。
誰かや物に対しての憧れは憧れ、尊敬は尊敬として、その想いを大切にして
でも、自分は今いる場所で、工夫しながら、一生懸命自分のことを
やる以外にないし、それは必ず意味のある結果になるということ。
これからも、私はどこでどうしていようとも
目の前の一人を大切にし、自分の足下を掘り続けよう。
そこには必ず輝く泉が湧き上がるから。
深く届きました。
きょろきょろしないで、
もっともっと、自分の泉を深く掘っていこうと
思いました。
ありがとうございます。
なかなかいかれないけど、春までには
名湯「CHAKA温泉」に浸かりにいきたいです!!!
『これからも、私はどこでどうしていようとも
目の前の一人を大切にし、自分の足下を掘り続けよう。』
という 心根のあるひとが
既に「人生の成功者」だと
思います。
チャカさんがノンフィクションの頃に放っていたものは、その抜きんでた個性とともに、ある種得体の知れない〈時代〉という大きなものとも共鳴するなにかも放っていた気がぼくはします。
チャカさんと松浦さんとの唯一無二の化学反応が、世間に広くその姿を知らしめていったあのスゴさは、もし身近で観ていたら眩しかったかもしれませんね。
しかしあれから長い時を経て鮮明に浮かび上がり実感するのは、チャカさんがサイズの音楽に吹き込んだ魂そのものだったり、松浦さんのメロディーそのものの力だったり。
とてもシンプルでまさに、音楽の源泉から涌いてくる最も力強いものです。
それらと不思議なサウンドアレンジとがピタッとハマっていた快感から、そのサウンドの新しさの方に当時は注目がいきがちだったかもしれません。
いまアコースティックにサイズの音楽を歌われても、実はその力は失われないのではないか。そんなことを最近は時折妄想することがあります。
日記からインスピレーションを貰って想いつくままに拙文、失礼いたしました――m(__)m