うちの実家の猫が亡くなって一年経ちました。
あまり人の感情にマイナスになるようなことをするのは
ここ数年、趣味ではなくなっているので、
どこに書こうか迷ってましたが、
書かなきゃボクが落ち着かないので、
まあ、一番影響力が少ないであろうブログに
少し思うところを綴っておきます。
うちに猫が訪れるようになったのはボクが多分高校生のぐらいの頃で、
妙に美形の野良猫が二匹、うちの庭にちょいちょい遊びに来るようになりました。
そのうちメスの一匹が身籠り、翌年の春ぐらいにたくさんの仔猫を連れて、
ワラワラと遊びに来るようになりました。
まあ、もしかしたら近所の色んな家にも
その愛想を振りまいていたのかもしれません。
そして社会マナー的にはおそらく色々あるとは思うのですが…
その辺にはまあ…1回、目を瞑って頂くとして。
言っても仔猫達は野良猫ですから、
ケンカしたりなんだりかんだりあったりして、
そのうち家に寄り付かなくなったりしました。
その中で、一番大人しく、一番地味で、
…一番運動神経のいいメスの猫がほぼほぼ完全に居着くようになり。
我が家でなし崩し的(?)に保護することになりました。
親猫が美形だったので、この猫も顔立ちがキリッとしていたのですが、
如何せん鳶色という中々表情の読みにくい毛柄で…
…まあ、呼ばれてた名前は大変書き難いのでここには記しませんが…
以来、十数年に渡って、ボクにとっては猫のいる日常は
当たり前のものとなりました。
ボクは元来人見知りで、まあ、それは今も対して変わらないのですが、
それは、“未知”にどう対処していいかわからない、という、
実に面倒くさい性質によるところが大きいです。
そしてそれまで生き物を飼ったことのないボクは、
そもそもが“未知”である、動物というものが大の苦手でした。
ただ、猫と接する日常の中で、
猫にも性格があり、意志があり、意図があり、
コミュニケーションが可能であり、また、必要である、という…
よくよく考えれば当たり前のことを教わりました。
…ただし、この家のヒエラルキー的に、
ボクは完全にこの猫の下だったのは間違いない気もしますが…
(猫の目で訴えかける要求にボクが従う、みたいな場面が圧倒的に多かったり。
また、いつもは母親の上で寝ていましたが、
母親の旅行時はボクの部屋のドアを蹴破り、
ボクの鳩尾に遠慮なく乗ったり。)
人格形成、とまでは言いませんが、
猫と過ごしたことで学んだことってたくさんありましたし、
なんなら仕事をし始めてからも、
“猫に会うため”と、定期的に実家に帰る理由でもありました。
色々なことを教わったし、学んだ猫との生活の中で、ただ一点。
できなかったことがあります。
ボクには、命と向き合う覚悟が、全然なかった。
いや、何かが無くなってしまうことへの耐性が、未だに、全然ない。
3年ほど前から、猫にとっての不治の病である腎不全の診断を受け、
悪くなることはあっても良くなることはない。
それでも当たり前に猫のいる日常を重ねながら、
昨年3月。
次第に猫が食欲を失い、押し入れから中々出てこなくなり、
出てきたかと思えば洗面台に座り込んだり、
という状況になりました。
このとき、別れのときが近い、という覚悟を持った…ふりをしてました。
しかしその後、できる限り体温を高く保たせるよう、
温かい環境を整備したことで若干復調し、
それまでと同じような振る舞いが戻って、安堵した時期もありました。
が、ゴールデンウイークを終えたあとに、再び容態は悪化。
昨年6月28日。
母から「亡くなりました」
と、LINEが来ました。
前々日に、弱った猫の頭を撫でつつ、
多分、これが最後だろうと思いながら実家を出て。
その間ずっと、母が夜通し、猫の様子を見てくれていました。
翌日も、当日も、本当は帰ることもできたのに。
仕事の付き合いの会合に出てたりして。
向き合う勇気が、ありませんでした。
ボクが母からのLINEに、辛うじて返せた言葉は「ありがとうございました」だけ。
それはもちろん母への感謝。
辛いはずなのに、ちゃんと最後まで、命と向き合ってくれて。
そしてやはりもちろん、猫への感謝。
利己的な話で本当に申し訳ないのだけれど、
彼女が居た日常にボクは救われ、
多分家族も救われ、(これでも)幾ばくか成長もされてもらえ。
でも本当に根っこ残ってる感情は、ごめんなさいばかりで。
もっとちゃんと、向き合えなくて、
ごめんなさい。
今はペットに対する供養や埋葬も大変整備されていて、
翌日実家に帰ったときには、もう事は済んでいて。
でも、お墓(お寺)には未だに行けてない。
なんとなく、未だに猫のいた日常の、
その“質感”は生きていて。
毛並みも、重みも覚えてて。
受け入れるとか、受け止めるとか、
そういう段階に全然ないというか。
1年経ってもその実感はあまり変わらない、
ということがわかりました。
あの日、向き合えなかったことの後悔…というか、
感謝と、謝意。
それが今も、忘れることのない日常の質感とともに、
感情として、生き続けています。
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