カレーです。
今般の感染症禍は、ワクチンの実用が始まりつつある一方で、
感染拡大そのものはまだまだ収まるところはなく、
今しばらくは“新しい生活様式”と向き合いながら、
歯を食いしばり、耐える時間が続くことと思われます。
かくいう私東京都民の端くれ、
感染リスクの前線にいていつ何が起きてもおかしくないと思いつつも、
未だに自身の感染、感染疑い、濃厚接触等がないことに胸を撫で下ろし
…でも、これはもはや、単なる“運”の問題で回避できているだけ、
そうもどこかでは割り切っています。
責任を“自粛要請”という謎の区分にパッケージされてしまったこの国で、
リスクについてはそれぞれがそれぞれの考えで
向き合わなければいけない、という、
なんというか…割に合わない判断を迫られる中で。
個人的には、都内に関してはともかくとして、
仕事以外の用事で県外、関東外に出ることについては
(緊急事態宣言以降特に)躊躇があり、
…一方で、9月以降特に怒涛のように増えた土日祝日の出勤で
着実に仕事と世界へのヘイトを、“ヘイトポイント”を貯め込んだ私は、
このポイントを(自主的に)マイルに変換して、
“ポイントが貯まると遠征に行ける”という、
謎の自分ルールを例年発動しているのですが、
今年に関してはとにかく。
情勢がどうあれとにかく一回。
“一回だけ絶対遠征する”
と、心に固く決めていました。
で。
その一回の機会として訪れたのが、
12.13九州プロレスアクロス福岡大会“筋肉せいもん払い”。
毎年恒例の1DAYタッグトーナメント“華味鳥杯”の観戦でした。
九州プロレスは、九州を拠点に活動するプロレス団体。
K-DOJO出身の筑前りょう太選手を理事長とし2007年に
世界初のNPO法人プロレス団体として設立され、
2008年7月に旗揚げ。
2018年7月には台風直撃に見舞われながらも
10周年記念大会となる福岡国際センター大会を成功させ、
その有様は日本、世界各地でレフェリングをする
吉野恵悟レフェリーをして
「ローカル、インディーという括りではなく、
九州の中にメジャーがある」
と形容されました。
週刊プロレスの裏表紙等で見かけた方をいらっしゃるかもしれませんが、
2028年、20周年をドームで迎えることを目標に、“夢”に掲げ、
活動を展開しています。
個人的に九州プロレスは、
親族が九州に住んでいる関係で、
“九州プロレス凄い”としばしば聞かされており、
また、Twitter上で紹介されるそのリング上の出来事を見るに、
興味とワクワクが止まらなくなってしまい、
2017年の12月にこの華味鳥杯タッグトーナメントを観戦。
…以来、このトーナメント観戦はこれで四年連続になりました(ハマった)。
此度の感染症禍、NPO法人として活動する九州プロレスにとっては、
高齢施設や学校、幼稚園、保育園への訪問が著しく制限されることになり、
大変厳しいものであったことと想像します。
例年7月に開催する周年大会も、
今年は再び福岡国際センターで開催する予定でしたが、
この情勢から会場を移し、無観客での開催となりました。
…しかし一方で。
You Tubeでの無料配信では1000人を優に超える
同時視聴を集め、改めて“九州のメジャー”であることを
ヒシヒシと感じさせてもくれました。
2020年も後半に入って、
九州プロレスも興行を再開しましたが、
その大会の多くは、抽選による無料招待で行っており、
12月のアクロス福岡大会は、10ヶ月ぶりの有観客、有料興行。
…にも関わらず。
チケットは大会1月前に完売する盛況ぶりは、
なんというか、さすが九州プロレス。
私、12/13がギリ休めることになったので、
それが決まった瞬間チケットを押さえましたが、
翌日には完売になってました。
さて、何が私をこうまでして九州プロレスに駆り立てるのか…
“九州プロレスの魅力”を語ろうとすると、
もはやどこから語り始めていいのかわかりません。
マスクを脱ぎ去り、“九州最強の男”として君臨する、
玄海のあまりにも底知れないプロレスと、
一方で九州愛と子煩悩さとお茶目さに満ち溢れてるギャップ。
めんたい☆キッドの、あまりにも華やかで、子供やお年寄りや女性からも
大きな声援を集める圧倒的な“陽”の空気感。
阿蘇山センパイの、年齢を重ねても圧倒的な肉体と
抜群のコンディションのよさから繰り出される大迫力。
ばってん×ぶらぶらと名前を変え、
“自称・博多の有名人”として多くの人から愛されつつ、
相変わらず決めるとこをしっかり決める、
ばってんらしさ。
桜島なおきのとても真っ直ぐでありながら、
ドロップキック一発で一気に会場の目を引きつけるような、
一つ一つの技の美しさ。
佐々木日田丸の、敵であろうと味方であろうと誰であろうと
牙を剥きバチバチに蹴り合い殴り合い…
かと思えば“大嫌いだけど大好き”なんて
語っちゃうツンデレぶり。
“怪童”野崎広大の23歳という若さからは想像もできない身体の厚みと、
その巨体から展開する圧巻の迫力と、
裏腹に意外性として発揮する抜群の運動センス。
そして、
筑前りょう太理事長の九州への、プロレスへの愛情と情熱。
…と、唐突に試合をすることになったとしても、
決して衰えを感じさせない、たゆまぬ研鑽。
所属選手だけ切ってとったとしても、
語る言葉に中々尽きないところです。
でも、選手の素晴らしさ、試合の素晴らしさも然ることながら…
九州プロレスが作り出す“空気感”に惹きつけられ、
私はどうしても、足を運びたくなるのです。
“空気感”という言葉だととても曖昧かもしれませんが、
とにかく、九州プロレスはとても居心地がいい。
今このご時世では中々に伝えづらいところではありますが、
一番わかり易い特徴は、“声”だと思います。
というのも、子どもの声援が著しく多い。
やはりプロレス会場にいるファン層って、
どうしても一定より高めの年齢層、20代後半〜50代くらい、
特に男性に多いんじゃないかな、
と想像するわけですが、
九州プロレスの会議で聞こえる声援は、とにかく、声が高い。
2018.7.7に行われた“筋肉山笠”福岡国際センター大会メインの模様が
おそらくは一番わかり易いと思うのですが、
玄海にボロボロにされるめんたい☆キッドを、
それでも諦めることなく、終始高いトーンの声援が後押しし続けています。
これがもし“大人”のファン層だったら、
展開とか空気を読みながら、声援の強弱がつくところですが、
もう、終始、全力100%の声援が飛び続けるこの空気感。
とても、素晴らしい。
また本当に九州プロレスファン、
特に、九州プロレスファンキッズたちは、
凄まじくプロレス偏差値が高いし目も耳も肥えていてですね。
昨年9月の玄武會興行、出場選手の多くがXとして隠されて行われた大会で、
第2試合の3WAYマッチでヒットした曲を聞いて、
キッズたちが嬉々として叫ぶわけです。
「…ッ!!三原だ!!」
前年に九州プロレスタッグ王座を獲得しながら怪我で返上することになり、
この日が九州プロレス復帰戦となった常連参戦選手・三原一晃の参戦を喜び、
本州からヒョコヒョコやってきた
そこそこプロレス見てるオジサン(私)よりも
圧倒的な瞬発力で、Xの存在を言い当てる様に、
いや、もうホントに君たちは凄いな、そして、素晴らしいな、と、
感動が止まりませんでした。
また、第1試合では玄海がシングルマッチで政宗と相対し、
“戦国”対決となったのですが、
政宗が巧みなインサイドワークと反則も駆使した戦術を見せると、
やっぱり声が、響くんですね。
「お前余所者のくせに…!なにすんだ!」
“なにすんだ”の前にはおそらくは。
「俺たちの玄海に」という言葉が多分、
含まれていると思います。
また、一昨年の福岡国際センター大会の時の話に戻りますが、
私2階席で見ていたんですけれど、
開場して20分くらいでしょうか。
高校生ぐらいの5〜6人くらいの一団が入ってきてですね。
会場を見渡して言うわけです。
「おお…!!入ってる入ってる!
この間のDRAGON GATEの時と同じ…
いやそれより入ってるかもしれん。
さすがに新日んときは入っとったけど、
入ってる、入ってる。」
九州プロレスが、大きな会場で大会を開催する。
その事実を、我が事のように喜ぶのです。
プロレスに対する感受性も、目の当たりにする新鮮さも、
何もかもをありったけに楽しんでいる、
そして、自分の住む土地に“九州プロレスがあること”を
誇りに思う、九州プロレスファンのキッズたち。
なんていうか、プロレスというコンテンツの素晴らしさとか、
未来そのものを感じさせてくれるこの会場が、
たまらなく素晴らしくて、大好きです。
今般12月の興行も…
別に僕がいちいち観客の声に聞き耳を立ててるわけではないんですが、
聞こえて来るんだからしょうがない。
そして、そのフレーズがまた、
とっても印象的なんだから、しょうがない。
感染症禍の開催ということで大きな声での声援は自粛しながらでしたが、
You Tubeでの配信があったこともあり、
会場内は比較的静かな時間がありましたので、
会話くらいの声でも度々聞こえてきました。
筑前りょう太理事長が週刊プロレス裏表紙にも掲げた“夢”、
2028年、九州プロレス20周年大会でのドーム進出について語る中で、
「8年後、皆さんはおいくつでしょうか」
と呼びかけました。
8年後、42歳か…厄年だな…
なんて、まあ、多くのプロレス会場ではちょっと沈んだり、
ともすれば乾いた笑いも起きようという場面ですが、
私の耳に、左斜め前くらいの席から聞こえてきた声は、これでした。
「8年後…18歳だ!」
2020年という年は、万人にとって辛く厳しい年だったと思います。
とりわけ地方で活動するプロレス団体にとっては、
そもそも人を集めて大会を開くこと事態が敬遠され、
活動の機会そのものが失われたであろうことは
想像に難くありません。
それでも筑前りょう太理事長は語ってました。
「皆さんがいなければ、この“夢”は持てなかった」
だからこそ、“夢”をファンとともに紡ぎ続けようとする、
そんなプロレス団体が、九州にあります。
東京の片隅にひっそりと暮らす一人ではありますが、
“九州プロレスがある”ということについて、
九州の皆さんが、心の底から、羨ましい。
そしてその“九州プロレスがある”ということの営みが、
長く永く続き、未来を、夢を紡ぎ続けんことを。