カレー屋(EXA)

エキプロ5で遊ぶブログでした。もはやその名残りはほぼない。

Can yoU do this ?

2021-06-09 09:00:00 | スポーツその他
カレーです。



7.1に旗揚げを控える新団体GLEAT。

一時期プロレスリングNOAHの親会社でもあったLIDETエンターテイメント社により、
昨年7月にプレ旗揚げ戦的興行を開催し、
そこから約1年。
田中稔、松井大二郎、河上隆一、飯塚優、そしてSTRONG HEARTS。

札幌、そして新宿FACEでの“vol.0”的興行を終えて臨む戦いが…

6.9新宿FACE、全面対抗戦。

それはしかし、GLEATが“U”を掲げた以上は絶対に向き合わなければならない相手。

佐藤光留をプロデューサーとする、ハードヒットとの、
“潰し合い”の火蓋が切って落とされます。



ハードヒットは元々はDDTグループのイチブランドとして、
2008年に設立。

元UWFインターの和田良覚レフェリー監修の元、
KO、ギブアップ、ピンフォール、反則に加え、
ロストポイント制の採用されたルールとして行われ、
飯伏幸太やHARASHIMA、石川修司等DDTグループの選手から、
竹田誠志や長井満也に冨宅飛駈等等いわゆる“U系”の選手たちも参戦。

佐藤光留もその参戦選手の一人として戦ってきましたが、
2011年にこのハードヒットを自身の“城”とすることを
高木三四郎大社長に嘆願、
2012年より佐藤光留をプロデューサー体制となりました。

佐藤光留はハードヒットルールから3カウントフォールを廃止、
より、格闘技色…というか、“U”色の強いルールの興行として始動。
“赤いパンツの頑固者”をリングに引きずり出すことを一つの目的に掲げるとともに、
“U”ルールでのプロレスを継続的に開催し続ける中で、
“現在進行形のU”が、ハードヒットという大会、
引いては佐藤光留自身を表す言葉として、発信されていくとこととなりました。

2015年からは権利関係などを整理し、DDTから独立した佐藤光留体制が成立。

独立以降はより一層参戦選手が…
なんというか、幅広くなり、
プロレスルールを主に戦ってきたプロレスラーから、
キックボクサー、グラップラー、MMA、柔術家、さらにはミャンマーラウェイまで。

この場所を一つの契機にして、“プロレスラー・坂口征夫”が生まれ、
勝村周一朗がより一層プロレスにのめり込むようになり、
関根シュレック秀樹が武藤敬司のシャイニングウィザードを食らう、
という場面が生まれる発端となっていきました。

選手としては他にも松本崇寿、岡田剛史、唐澤志陽といった、
なんとなく“ハードヒット印”感ある選手たちが活躍の場を
その他のプロレスのリングにも広げていき、
野村卓矢、岩本煌史、阿部史典、阿部諦道、飯塚優や井土徹也といった
若い選手たちの成長、飛躍の場ともなり。

さらには、
青木篤志と和田拓也の遭遇、
内柴正人さんの招聘、
“リアル刃牙”平直行の参戦、
藤原喜明vs高橋“人喰い”義生、
川村亮vsKEI山宮、
鈴木みのると中井祐樹の邂逅etcetc

その活動の全てを目撃してきたわけではないのですが、
それでも、枚挙にいとまがないほどに、
絶えずリングに緊張感と驚きをもたらしてきた…

というのが個人的な見解です。



しかしながら、そこに。

2020年、青天の霹靂のように訪れた、2つの事象。

一つは、“赤いパンツの頑固者”の存在。
そしてもう一つは、新たに掲げられた、“UWF”の3文字。



GLEATのプレ旗揚げ戦、
個人的には完全な興味本位(朱里vs優宇のUWFルールが見たかった)
だけだったんですけれども、
会場に行く道中にパンフレット(PDFで無料配布されていた)をみながら、
団体として“U”を掲げ、また、そのスタイルで進んでいくことを初めて知りました。

そして、楽しく観戦しながら…

もうすでにプロレス界に存在している、無視できるはずがない人達、
“U”という名前を掲げることなく、
“U”という在り方を示し続けてきた人達が抱くであろう感情を、
そしてその帰結を。
頭のどこかで考えていました。

当事者たちからしてみれば大変不愉快で不謹慎な話かもしれませんが…
イチ観客としての立場からすると、
その不穏すらも含めて、
面白いことになりそうだ、と。



沈黙を破った…
…といっても、そこまで黙っていた訳ではないので、正確には、
腹の底にある感情が顕になったのは、2020年末。

初代ハードヒット王者を決めるトーナメントを制した、
和田拓也のマイクでした。

和田拓也は、ハードヒットの一番になったことを親友に報告するとともに、
“赤いパンツの頑固者”について言及。

ハードヒットの王者として戦いに臨む意志を暗に示したこと瞬間が、
もしかしたら口火だったのかもしれません。



すでに対抗戦開催の決まっていた、
5.2ハードヒット新木場大会。

佐藤光留vs川村亮(ランボー川村ではない)という、
佐藤光留体制ハードヒット始動戦メインと全く同じカードが、
メインイベントに据えられました。

大会名は“My Name is HARD HIT”。



リングで展開された戦いは、
まさに、“これがハードヒットだ”ということを、
あまりにも雄弁に示していたように感じました。











試合後、大会主催者として“今日リングに上がった選手全員”を呼び込んだ佐藤光留は、
「…大会主催者が“全員”って言ってんだ、出てこい!」
2度目の呼びかけの末、参戦選手であるGLEAT・飯塚優と、
そのセコンドとして来場した伊藤貴則、渡辺壮馬を、
ハードヒットのリングに上げることとなりました。

“U”という“名前”を掲げることなく、
しかし、“現在進行形のU”を体現してきたハードヒット。
そのハードヒットというリングに対して、
「お前たちのしたことは…ッ!」
と言葉を…飲んだ、と言っていいでしょうか。
佐藤光留は、
「続きは川村が言ってくれる。頼んだぜ、川村亮!」
と、盟友というか悪友というか、ある意味一番信頼(?)している後輩に、
バトン代わりのマイクを渡しました。



少し目を白黒させながら、川村亮は手にしたマイクを握り直し、
リングに入った伊藤貴則に、

「これ見た?これ。これがハードヒット。

これ、できる?」

…川村亮の口から少し甲高い声で発せられたこのコメントを、
ハードヒット関係者の皆様は、
“やっちまった”と感じたとのことですが…

…その言葉は、伊藤貴則には、“威”といて伝わったようです。

伊藤貴則は目の当たりにしたハードヒットを「現在進行形のU」と
(少なくともリング上の言葉の上では)認め、
そして、“UWF”という3文字を掲げる以上、
絶対に避けては通れない相手であるとの認識を示しました。

…また。

もしかしたら本筋ではないのかもしれませんが、
そのやりとりをそばで聞きながら、
川村亮をただただ一心に睨みつけていた飯塚優の印象は、
とりわけ強く残ったところです。







さて、本日6.9。

その過程におけるSNS上での論戦というか舌戦についてはもう、
これまた殺伐としておりましたので、
それぞれのSNSをご確認いただくのがよろしいでしょうか。

川村亮の示した“これ”ができるのかできないのか、
そもそも“これ”を目指すのか目指さないのか。
“これ、できる?”が起こした波紋は、
この日を前に大きく広がっているように思います。

できるか、できないかはひとまずさておいて。
やらなければ、または、超えなければ、おそらくは勝てない。

令和の世に本日新宿FACEで行われるのは、
殺伐とした、おそらくは大変殺伐とした対抗戦という名の潰し合い。

試合開始のゴングは、18:30。






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