明日(日付的には本日)8月17日、
3月末から始まったチョコレートプロレスにおいて、
“さくらえみ25周年興行”が開催されます。
で。
その翌日の8月18日。
八月十八日の政変やら豊臣秀吉の死没日やら清原和博の誕生日やら
米の日やら…
重なっているこの日。
私、34歳の誕生日を迎えます。
誕生日周りは私、“書きたいことを好き勝手書く日”に
(ここ数年は)決めてるのですが…
こと今年に関しては、
とてもとても書くのが難しいことに手を出そう…というか、
出さざるを得ない、みたいな感じになってます。
何について書こうかと言えば。
“アフター”…というか、
“with”という感染症時代のプロレスを(おそらくは思いつきで)切り開き、
この程デビュー25周年を迎える。
さくらえみという人物について。
さくらえみ(以下さくらさん)は日本のプロレスラー。
千葉県は君津市出身のさくらさんは、本名の“元川恵美”で
1995年8月17日、IWA JAPANでプロレスデビュー。
“カルトヒロイン”という仇名で親しまれ(?)ますが、
その後紆余曲折の末FMWに移籍。
首の怪我による欠場、FMWの消滅に伴い、
“アクション体操”教室を開講すると、
その後教室生を中心に我闘姑娘を旗揚げ。
しかし紆余曲折の末に我闘姑娘を退団すると、
その後はアイスリボンを旗揚げ。
団体を定期的に後楽園ホール大会を開催する規模に育て上げますが、
2011年末、サムライTVでの生放送中に突如としてアイスリボン退団を発表。
翌年タイに渡ると、現地で“バンコク女子プロレス”構想を練り、
やっぱり紆余曲折の末に我闘雲舞を旗揚げ。
旗揚げから8年くらい、
その間に様々な選手との出会いと別れを繰り返しながらも団体を継続し、
2017年には複数年交際関係にあった男性と紆余曲折の末…破局。
そしてそれを大会中に公表するとともに、
“誰でも女子プロレス(以下ダレジョ)”構想を展開、実行。
2019年7月、8歳のデビューからともに過ごした“最高傑作”・里歩が退団。
直後8月、ダレジョから一挙6人同時デビュー興行を開催。
2020年3月末、予定されていた今後の大会の中止を発表、
と同時に新たな団体として“チョコレートプロレス(以下チョコプロ)”旗揚げを発表。
旗揚げ戦でいきなり鈴木みのるvsバリヤン・アッキというとんでもカードを放り込み…
その後興行を重ねること実に40大会。
本日に至ります。
…“紆余曲折”という言葉で大幅に端折りましたが、
その時その時の出来事についてもとりわけ濃いものが多く、
また私個人的にそんなにさくらさんに詳しいわけでもないので
こんな感じにしました。
が。
なんだこのプロレス人生。
略歴にしたってすでに波乱万丈が過ぎる。
8.17 25周年記念大会。
そもそも自身の記念大会とかを徹底してやりたがらないさくらさんが
チョコプロという新たなプラットフォームを得て、
この大会をやろうと決めたことも大変興味深いところですが、
そのこともここではさておいて。
記念大会に向けて敢行されたのは、
自身と大変関わりの深い、選手・関係者とのインタビュー企画「チョコトーーク」でした。
チョコプロ3に登場する予定ながら、
さくらさんのギックリ腰に伴いチョコプロ37に(4ヶ月を経て)登場した真琴選手、
さくらさんの我闘姑娘時代をともにした“プロレス少女”…
引退され、ご結婚され、さくらさんと“クイーン友達”となった希月あおいさん、
JWP所属ながら初期我闘雲舞のエースとして活躍し、
“ハートウォーミング系リフォーム”で同じユニットの仲間としても
活動をともにした、現PURE-J所属・中森華子選手、
そして時に代表として向かい合い、時にスタッフとして従順に働き、
かつては結婚騒動まで起こし、さくらアワードでは“数少ない友人”として
表彰されたこともある、東京女子プロレス代表・甲田哲也さん。
…もしかしたら当日までにさらなる追加があるかもしれませんが、
この稿を起こしている8月14日現在では、
とりあえずこの4人。
(その後、さらに高橋奈七永、帯広さやか、高梨将弘と続く。
全部面白いので全部観るのがオススメですが、
ボリュームあるのでアレかもしれない。)
それぞれがそれぞれに活躍の場を移し、
ともすれば現在さくらさんとのリング上での接点は乏しいわけですが、
にも関わらず、それぞれから展開される話はあまりに濃厚で、
あまりに、
面白い。
予定していた時間を余裕でオーバーして、
およそ3時間くらい話が止まないほどに。
それぞれがそれぞれに少しずつ接点をもちつつ、
語られる話はほぼほぼ全て異なるエピソード。
さくらさんをテーマにするのは、個人的には大変難しい。
もう、とんでもなく難しい。
難しいと思うには理由がありまして。
基本的にボクが書く感想文は、
対象者の“語り”に寄り添います。
が。
さくらさんは、
語りが、
多い。
多すぎる。
“語り”は“言葉”。
その印象的な言葉がどのような背景から導かれたのかを
想像するわけですが…
その印象的な言葉があまりにも多すぎる。
そしてなおかつ。
出来事があまりにも膨大すぎて、一貫性が掴みきれない。
捉えどころが見つからない。
だから、もう、無理矢理にでも切り口を見つけて、
その方向のみでこう、ひたすら思うところを綴っていこう、と、
決めたテーマが『超人考』になります。
本題に行くまでに5000字使ってしまった。
あと割と私さくらさんに詳しくないので、
時系列とか事実関係とかは割とフワッとしてますが悪しからず。
かなり雑に言ってしまえば、
とりわけ日本において、プロレスが興って以来、
プロレスラーは“超人”でした。
そもそもが神事である相撲界に身をおいていた力道山を祖に、
相撲文化の名残を残しながら、デカくて強い外国人を相手に奮闘する。
もちろんプロレスは表象の空間であるので、
プロレスラー(の属性)に自身を投影し、集合的沸騰に埋没するわけですが、
それぞれのプロレスラーはそうした大衆の理想を体現する“超人”として、
リングに立つ。
“とりわけ日本においては”と申し上げましたが、
別に海外だからといってその構造が変わるわけではなく、
“マッチョマン”ランディ・サベージや、
アルティメットウォリアー、
ハルク・ホーガンらが絶大なる人気を誇り、
“墓掘人”アンダーテイカーの事実上の引退に
多くのレスラー、ファンから敬意が払われたことは記憶に新しいところです。
一方で、WWEにおいてはなんとなく“人間”の台頭が早くから見られた気がします。
代表格は(個人の見解ですが)“ストーンコールド”スティーブ・オースチン。
もちろんプロのレスラーですから、鍛え上げられた肉体を誇るわけですが、
しかし前述のレスラーたちのような圧倒的な肉体を誇ったわけでもなく、
いくつかの団体を流転した彼が世界最高峰にたったのは…
“一般人”との対立。
それも、オーナーたるビンス・マクマホンという
…大概に怪物ではありますが、それでも本来プロレスラーではない一般人…
への、徹底的な、反逆でした。
WWEは“アティテュード”と呼ばれる、
人間ドラマを主軸とした方向性でさらなる急成長を遂げるわけですが、
一方で。
日本においては(やっぱり個人の見解ですが)、
プロレスは、超人のものだったように思います。
…具体的な事例を挙げると余分な誤解を与えそうですし、
私もこの時期のプロレスあんまり詳しくないのでアレですが…
IWGPヘビー級王座にボブ・サップが君臨したのが、
その一端でしょうか。
それはボブ・サップが人気先行だったとかプロレスがどうとかいう話ではなく。
デカくて、いかにも強そうで、でもちょっぴりコミカル…
…例に挙げといて自分で否定するのも何なんですが、
ああ、なるほど、
この頃から“超人”は成立しなくなってたんだな…
な“ビースト”は、やっぱりそれはそれは象徴的だったのではないかな、と。
さて、さくらさんです。
さくらさんはチョコトーークの中で「怒られた」という話を何度も、
それはそれは何度も仰っています。
怒られた話は大体挙げていくとたぶんこんな感じ。
たぶんもっとあるかも。
・さくらえびキッズ
・真琴のデビュー
・インターネット配信団体旗揚げ
・マッスルビーナス
今となってはキッズレスラー的な存在も、
デビュー時点ではまだまだできることの乏しい選手もあり得ることでしょうし、
インターネット配信はそもそも今のプロレス界を支えるプラットフォームの一つだし。
映画連動の形で多くの女優が選手としてデビューすることになった
マッスルビーナスに関して言えば、
藤本つかさ、志田光、松本都という三人を輩出したことをかんがえれば、
どれだけの…なんだろう。
プロレス界への影響だったのかは言うまでもなく。
しかしまあ、これらの試みが行われていたのは
2002年とかから2011年とか。
“先駆的”といえば聞こえはいいけれど、
多くの“炎上”が生まれる現代SNS社会と比しても、
おそらくは少なくないより直接的な批判が届いたであろうことは想像に難くありません。
というか、よく怒られたの一言で済ませられますねさくらさん。
そもそもの起点にあるのは、おそらくは、“アクション体操”。
ごくごく普通に体育が苦手なお子様や
運動の苦手な様々な年代の方を対象に開講されていた、
さくらさん主催の体操教室。
“他のスポーツは学校で触れる機会があるのに、
どうしてプロレスは学ばないのだろう”
どこかの段階でこんなことも仰っていたようないないような。
細かいところ間違ってるかもしれないけれど。
そこで行われていたのは、
プロレス的な動きに別のネーミングを与えてみたり、
プロレス的なトレーニングを一般的な“体操”に分解し、
置き換えた体操。
“普通の人”が(競技としての)プロレスに触れる機会の提供。
…これも多分、“超人”のプロレスの、解体の一端。
とはいえ、
さくらさんは別にプロレスを…
いわば私が勝手に呼んでる“超人のプロレス”を、
別に壊そうだとか否定しようだとか、
そういう話ではおそらくない気がしていて。
さくらさんはかねてより自身の望む理想の女子プロレス団体を
宝塚歌劇団に形容していたように思います。
少女達が高い関門を乗り越えて、
長い下積みと厳しい研鑽の果てに築かれる、綺羅びやかな世界。
ある意味では選ばれし者の、超人の世界。
でもたぶん、理想を理想どおりにいきなり作ることはできない。
そこで出来上がったのが…
誰もがプロレスに触れることのできる世界。
今の誰でも女子プロレスに繋がる、
全ての人間にプロレスラーになる可能性を
開放する世界。
我闘姑娘時代、おそらくは“選手1号”と呼べる存在だったのは
Ray選手だったのかなあと思います。
元々はフィットネスインストラクターをされていたという
Ray選手のその身体能力と抜群の運動神経に目をつけ、
“プロレスやらない?”と誘った…的な話をどこかで見聞きした記憶があります。
そうして開かれた扉からは、
次々とプロレスラーが生まれました。
小学生、中学生、高校生、大学生、
専業主婦に社会人、
すでに人前に立つ仕事をしている人や、
一度はプロレスラーの道を諦めた人、
とにかく、“プロレスをやってみた”という人は誰でも。
開かれた扉から輩出されたプロレスラーたちは…
(さくらさんの手を離れながらも)プロレス界で、
そして世界で、現在も活躍を続けています。
個人的な見解ではありますが、
別にさくらさんは何も悪いことをしたわけでも、
特別なことをしたわけではないのだろうと思います。
ただ、普通のことを疑問に思い、
普通のことが普通でないことを疑問に思い。
プロレスに、普通を持ち込んだ。
…いや、まあ。
もしかしたらそんな大げさなことでも本当はないのかもしれないし、
もしかしたら、もっと深刻に“怒られた”のかもしれない。
でも事実。
さくらさんから指導を受けたりした選手は多分3桁くらいになり、
もはや“孫弟子”とも言える世代もたくさん存在。
その個々の活躍については、もはや枚挙にいとまがない。
(競馬好きの私と私の兄は影でさくらさんを
“女子プロレス界のサンデーサイレンス”と呼んでる)
18歳を迎え、高校を卒業したくらいのころでしょうか。
なんかのタイミングで、さくらさんが里歩選手を
“普通の女の子”という形容をしていた気がします。
そしてまた、里歩選手当人もご自身について“普通”とか“普通っぽい”という形容を
よく用いているように思います。
(そして世界から“普通”のハードルを上げるなという嘆きの声が聞かれる。)
事実、里歩選手は本質的にはたぶん、普通。
体格も大きいわけではなく、運動神経もよくて
機敏ですが特別身体能力が高いということもなく、
目立ったスポーツ歴や実績があるわけでもなく。
でも、8歳からプロレス的なものに触れ、
プロレスラーとしてデビューを果たしたこと。
そして、続けて今に到ること。
また、続けていく中で顕になっていった、ある種の天性。
それが、一人の少女を…“ELITE”に。
ある種の、超人にした。
“怒られた”先に、さくらさんは2009年、
6年間“該当者なし”が続いていた女子プロレス大賞を受賞。
低迷下にあった女子プロレス界に、
一つの道筋を示しました。
…なんといいますか…
それでもやっぱり、
さくらさんは“超人”側の人間な気がします。
少なくとも、というか少なからず
(まるで言葉を選ばなければ)普通じゃない。
思い出されるのは、佐藤光留選手の言葉。
「“プロレスでハッピー”って言ってるのに、さくらえみ自身が全然ハッピーじゃない」
この言葉をいつ耳に(目に)したのかもまた思い出せませんが、
しかし妙にしっかりと脳に刻み込まれた状態で生きていて、
2017年10月1日。
その時の様子を、ネットプロレス大賞2017の投票記事として
下記にここでも記してます。
当該部分を以下抜粋します。
※ ※ ※ ※ ※
2位の投票はまさかの市ヶ谷。
10.1我闘雲舞は、事前にサムライのカメラが入る旨予告があり、
何かの発表ごとの予感を抱いての観戦でしたが、
それはそれとして、どの試合もえらく盛り上がりました。
が、座談会が一段落したところで、
さくらさんが語り始めます。
「昨年40歳を迎えまして、記念興行としてたくさんの方に祝って頂いて…」
「母の病で実家に帰る機会が多くありましてですね。その中で、地元の同級生と会う機会がございまして。
皆には内緒にしていたんですが、ワタクシさくらえみ、お付き合いしてる方がいました!」
“おお〜〜〜!”
レスラーの私生活独白でメッチャ盛り上がる市ヶ谷。
これはもしかして。
「“さくらはモテない、結婚できない”とか言われながらも、内心“へへ〜ん”って余裕をもって過ごしていました。
私、10月4日が誕生日なんですが・・・
誕生日を前に!!」
“おおっ!?”
「さくらえみついに!!」
“おおっ!!?”
「・・・ フ ラ レ ま し た ! ! ! 」
“エエエエエエエエエエエエエエ!?”
・・・このためだけにサムライのカメラを呼んださくらさんは何かの天才だと思います。
※ ※ ※ ※ ※
このとき同時に“誰でも女子プロレス”創設の計画を発表、
思いつきだろうと思いきやその思いつきをすぐ行動に移し、
結果、駿河メイがダレジョ生え抜き1号としてデビュー。
杏ちゃむ、梅咲遥、マドレーヌ、そして新人6人一挙デビューにまた
繋がっていきました。
ああ、
この人はたぶん、なにかに。
限りなく“魔”的な何かに幸福を捧げて、
プロレスの、女子プロレスの発展に尽力してるのでは…
えー
書きたいことをまるで全部書けたわけでもないのですが、
ここでこのgooブログの文字数制限がやって参りました。
というわけで迎えるさくらさんの25周年。
翌日の自分の誕生日を休みにして楽しむ準備は万端。
さあ、みんなで盛大に祝いましょう。
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