金髪。
長髪。
オールバック。
たくわえられた口髭。
分厚い肉体。
鋭く重く、躊躇のない蹴り。
しかし目元はどこか優しく、
響く声には落ち着きがあり、
安心感があり、
大変真摯で真面目。
…少なくとも、傍からはそう見える。
そのギャップが豊橋。
ダイワエンターテインメントプロレス(DEP)でのデビューから11年。
現在も名古屋でチームでらの一員として活躍する
影山道雄選手が、8月9日、自身の“10周年記念ツアー”のラストとして、
露橋スポーツセンター大会を迎えます。
最初に影山選手を知ったのはいつ頃だろう。
2009年くらいだとまだプロレス会場に足を伸ばしていませんでしたが、
DDTが気になりだして週プロモバイルで試合結果を
頻りに確認していた時期だったので、
もしかしたら若手通信の試合結果とかかもしれないし、
サムライTV「インディーのお仕事」かもしれないし、
はたまたマッスルのDVD企画「プロレスキャノンボール2009」で
男色ディーノ選手がDEPに道場破りに行っていたので、
そこで名前を見たのかもしれません。
名前を認識はしていてもしかし、
やっぱりあまりまだ会場まで足を運ぶことの少なかった私が、
“影山道雄”という名前をバッチリ記憶したのは…
何故か、仕事上での出来事でした。
私は仕事は事務職なのですが、
何故か(主に土日に)イベント事の運営をすることが多く、
2014年だったか2015年だったか、
関東地方に豪雪の降る中でその日も元気に(死にそうな目で)、
イベント開催に従事しておりました。
そして何故かその日に限っては懇親会もイベント事に設定されており、
お酒を全く飲めもしない下戸の私は、
雪の中翌日朝早く出勤しなきゃいけないこともあり、
早く終われ早く終われと願いながら、
残念ながら願いは叶わず、何故か二次会まで連行されることになりました。
仕事の飲み会、しかも主催者側なので、
お酒は入っていなくても、お酒の入った陽気な方々とお話はする必要ございます。
ただ、私そのテンション2時間しか保たないので、
二次会とあってはもう、ほぼほぼ電池切れ。
しかし何とか(静電気程度の)エネルギーを振り絞って、
陽気な方々とお話をする中、1次会を抜けて2次会までの間に
“エーブリエータス(矢野通選手のお店)に行ってきた”という、
中々チャレンジャブルな方と同席しました。
同僚がその方に私がプロレス好きであることを伝えると、
その方…理学療法士の方でしたが…は、
嬉々として様々な写真を見せて下さいました。
見せて下さったのは(おそらくプライベートでの)
様々なアスリートとの交流。
当時福岡ソフトバンクホークスに在籍していた某投手や、某内野手、
自身の結婚式に頂いたという某超有名プロレスラーからのメッセージ、
そして直前に行ってきたエーブリエータスでの矢野通選手との2ショット。
野球にもプロレスにもちょっとだけ明るい私が色々と話を拾うことが
調子を上向かせたのか何なのかはあれですが、
その方は、
「実は空手の後輩に、プロレスラーがおるんよ。知らんと思うけど。」
と仰って。
“へー凄いですね。なんて選手なんですか?”
「いやー知ってるかな…“影山道雄”っていうんだけど」
無駄に知識だけあった私は、
あ、インディーのお仕事で知った名前だ、
と思い、
“あー名古屋のプロレスラーですよね影山道雄。
蹴りとか得意で、最近東京(ガッツワールドとかHEAT-UPとか)でも試合してる。
でも今怪我で確か入院(たぶん)されてますよね?”
「…!?知っとんの!?凄いぞ道雄!!
東京にもお前のファンおるぞ!?」
と、大変気をよくされたその“先輩”は、
夜も深まった23時。
おそらくは病床にいるであろう影山道雄選手の携帯電話に
(病院職員なのに)直電するという暴挙を働き、
(名前を知ってるくらいなのにファンと言われてどうしよう)
という私の不安渦巻く中、
無事、影山道雄選手が携帯電話をとらず(入院中だったら余裕で消灯時間)に
安堵するのでした。
その“先輩”の方は仕事で一回お会いしただけなので
その後の交流は一切ありません。
ただ、“影山道雄”という選手の名前がガッチリ脳に刻み込まれることとなりました。
実際、影山道雄選手の試合を目にするようになったのはここ最近で。
個人的には2018年頃から目にすることになりましたが、
明確にちゃんと試合ぶりやらなんやらを知ることになったのは、
昨年6月のロリマンプロレスでした。
「藤田ミノル選手のマットプロレス珍しいから、行ってみませんか?
周年興行だからガッツリ戦いそうですし。」
という提案を頂き、
平日、名古屋、マット(Bar)という
中々のハードルの高さでしたが、
ちょうどその日を代休にしていた私は、
その主催者が影山道雄選手であることを見て、
前述の引っかかりから、即断。
平日名古屋日帰りを決行しましたが…
行ってよかった。
冒頭で並べた言葉は、
その時初めてしっかりと見て、
その後、石井慧介とのインディーJr戦や、
今年3月に決行された「スクールオブ闘争」や
ツイキャスでのなぞなぞ配信等々で見ることになる、
影山道雄選手の個人的印象。
大変個性の強い名古屋の先輩たちに囲まれ、
名古屋(愛知)の一部プロレスファンからは“名古屋の良心”とも、
親しみを込めて“みっちゃん”とも呼ばれる影山道雄選手。
自身の周年興行にシングルマッチとして迎えるは、
ZERO1所属、日本人初ECWヘビー級王者にして、
前KO-D無差別級王者・田中将斗選手。
対戦相手が絞り出す全力、全開、それ以上の力を、
さらなる全力で上回る弾丸戦士。
昨今のこの情勢下で、
とりわけ愛知県においては大会直前に緊急事態宣言も発令となり
主催者として悩ましい心情や、難しい判断を
…ある意味では、“強いられる”状況にあろうことと思います。
(個人的には行こうかなという心持ちもありましたが、
自分ルールで首都圏外への移動を縛ってるので断念。無念。)
それでも、
世界を止めずに動き続けようとするその決断を支持したい。
とにかく支持したい。
影山道雄選手の10年記念県内ツアー最終戦、
無事の成功を心よりご祈念申し上げます。