2004〜6年くらいのWWEで、
[4月の協賛期限当日にお振込みをしたので素敵トートバッグがついてます]
多分タイミング的には
NO WAY OUT(レッスルマニア前のイリミネーションチェンバーを行うPPV)
あたりの時期…だったかな?
RAWで行われていた試合形式に、
“ピックユアポイズンマッチ”という試合がありました。
これは、PPVでの対戦相手同士が、互いにシングルマッチの対戦相手…
特に、その選手にとっての“天敵”たりうるような対戦相手を指名する、
という、試合形式というか、対戦カードの決定方式。
たしかランディ・オートンがHHHの対戦相手に
(再三タップを奪われている)クリス・ベノワを指名したりして、
中々熱い対戦カードの生まれる試合形式だったので、
個人的にはとても好きでした。
…というかなんというか、
そもそもなんとなく、
“Pick your Poison”というその語感が好き。
口唇破裂音が小気味よく響く感じ。
しかしまあよくよく調べてみれば、
…“poison”って入ってますのでお察しの通り、
あまりいい意味の言葉ではないようです。
直訳で言ってしまえば“お前の毒を選べ”。
…つまりは、
“どれを選んでもロクな選択肢がない”ことを暗に示していて、
基本的にはお酒の場でさらにお酒を勧めるときのくだけた表現として
用いられているようです。
たしかに。
下戸の私からしてみれば、
全部毒に違いない。
“どれを選んでもロクな選択肢がない”というのは、
いわば“究極の選択”に類するもの。
しかし現実には、往々にしてそういう状況は生まれるもので。
特にこの3〜6月のプロレス…
のみならず、
エンターテイメントにライブイベントに外食産業に。
“密”な状況を避けざるを得ないために迫られた已む無い選択は、
おそらく無数にも及んでいることは想像に難くありません。
その難しい選択を迫られる中、
それでも、
“やる”という決断をし、
集まり、
戦った人達のことを。
2020年6月5日。
日本のどこかで行われた、
『毒人11』について、
綴っておきたいと思いました。
…ちなみにあらかじめ申し上げておきますが、
試合結果や“X”の存在などのいわゆる“ネタバレ”は、
主催者の意向に沿って、致しません。
書ける範囲での感想のみ、ここで記載いたします。
[4月の協賛期限当日にお振込みをしたので素敵トートバッグがついてます]
遡ること半年以上。
2019年11月に行われた毒人10。
主催者のHUB選手は、“神”とまで崇めるディック東郷選手と、
この毒人において実に3度目となるシングルマッチを戦い…
ついに、勝利するに到りました。
憧れの存在からついに勝利を奪った歓喜からか、
感情を爆発させ、涙すら溢れさせるHUB選手を、
一人。
身につけたサングラスの奥から、ジッと見据えている選手がいました。
それが、この日第1試合でエイサー8を破った、
藤田ミノル選手でした。
自身の主催興行の最後、記念撮影を終え、
一人ひとりと握手を交わすHUB選手。
その前に、無言で立ちはだかり、ジッと目を見据えた藤田ミノル選手は、
直後Twitterで毒人11でのHUB選手との対戦相手に立候補。
HUB選手から2020年5月10日の毒人開催がアナウンスされ、
しはしののち。
HUB選手から発表された、メインイベントの対戦相手は、
おそらくは、あの会場で雰囲気を感じ取っていた人々の期待通り。
藤田ミノル選手と発表となりました。
二人のシングルマッチはこの毒人シリーズの中でも一度行われています。
2015年に開催された毒人4で行われた二人の一騎打ちでは、
藤田ミノル選手が勝利。
私はまだこのころライトな(?)プロレスファンだったので、
週プロモバイルで結果を追うのみの人間でしたが、
その週プロモバイルを見てみると、
この試合で二人のシングルマッチが1勝1敗となったこと、
藤田ミノル選手が「次が決着戦」と嘯いたこと、
HUB選手が、万全の状態でこの日を迎えられなかったこと…
などが雰囲気としては読み取れました。
会場でこの試合をご覧になっていたファンの方からのお話を伺うと、
なんとなく、ですが。
この二人ならば“もっと先”がある。
そんな期待感を懐き続けていらっしゃるような印象も受けました。
5年前のこの“決着戦”という言葉と今回が繋がりを持っているかどうかはまた、
考える余地のあるところかとも思いますが、
しかし。
それ以前に、この毒人11開催を前に、
あまりに大きな障害が…
世界中に、立ちはだかります。
新型コロナウイルス…Covid-19の感染拡大。
状況についてはもはやいまさら言うまでもなく、
プロレス業界においても、数多のプロレス興行が開催中止や延期等、
多くの変更を余儀なくされることとなりました。
毒人11は比較的早い段階から、
この興行を無観客で行う方向にシフト。
毎興行で行っていらっしゃいますが、協賛者を募り、
その協賛者に“のみ”興行DVDを配布し、
試合結果のリリースも出さず、
興行後のDVD販売も行わない、という方式となりました。
どんな選択をしても、苦しい選択となる情勢。
その中にあっても、何が何でもこの試合を、この興行を、
このメンバーで、やる。
この選択に個人的には、
そうしたとてもとても強い意志や決意、覚悟を感じました。
しかしそうした強い意志をよそに、
国内の情勢は混沌とし、4月には非常事態宣言が発令。
一旦の期限が5月6日に設定され、
近い日程の5月10日に予定されていた毒人11は、
再びの変更を余儀なくされることとなります。
それでも、毒人は止まらない。
いや、止めなかった。
一旦の日程変更をアナウンスすると同時に、
日程再調整中であることについても公表。
そして調整の結果、6月5日に毒人11が行われることとなります。
場所は、もはや誰にも咎められることのない、
“日本のどこか”。
とにかく、
やる。
その意志はなお、明確だったように思います。
一方でやはり、多くのプロレス興行がこの緊急事態宣言前後の
いわゆる“自粛”期間中、その歩みを止めることを余儀なくされることとなりましたが、
しかしそれでもなお、プロレスを続けようという意志は、
様々なところで、様々なカタチで動き続けていました。
それは、この毒人11へ参戦することとなっていたビリーケン・キッドが主催する
「プロレス教習所」であり、
影山道雄選手を始めとする名古屋の選手達の活動であり、
2AWは最上九選手が中心となって行った「モガキューライブ」であり、
DDTやNOAH、大日本プロレス、全日本プロレス、アイスリボンetcetc
様々な団体による無観客試合配信であり。
そしてまあ、このブログ的には言うまでもなく、
我闘雲舞による配信“のみ”プロレス団体・チョコレートプロレス。
そのチョコプロを中心に、5月、“止まらないプロレス”の中にいたのが、
毒人11のメインを務める、
藤田ミノル選手でした。
毒人というプロレスの“場”を守り、
決して止めない意志を示し続けたHUB選手。
4月以降様々なプロレス関連配信に出没し、
プロレスラーの中で、というよりかは、
むしろプロレス関連配信について日本屈指の詳しさで、
とにかくプロレスを止(と)めなかった、藤田ミノル。
5年前のメインイベントととの繋がりについて、
私には語ることはできません。
ただ、この二人が辿り着いた6月5日のメインイベント。
この試合があったことで…
少なくとも、私にとってのプロレスは、
止まっていなかった、
進み続けていたことを理解できました。
素晴らしいシングルマッチが5試合続いた後の
大熱戦のメインイベント。
最後5分間、比喩ではなく、まばたきすることを忘れていました。
でもやっぱり。
これが“決着戦”であっては欲しくない、とも思います。
これだけ強い意志を持ってこの試合に辿り着いた二人の歩みが、
これで止まるとは到底思えない。
というか。
みたい。
生で見たい。
目の当たりにしたい。
また再び、その素晴らしい戦いをその場で見届けられる日々が戻ってくることを切に願います。
しかし何より。
日々を、プロレスを止めないでい続けてくれたプロレスラーたちが居て、
そしてその戦いがあったという事実を、
ここに、記憶として残しておきたいと思います。