その後、話したことをそのまま記す。
話がどんどん飛び、意味をつかむことは難しいが、昔のことを話しているのだろうとは思う。
時間の感覚はなくなっているのだろう。
「馬鹿だね」
「私のノートは?」
「3つぐらい、忘れそうなことを書き留めたい」
「うちの隣の女の子は、なんだか日本女子大に行って、それでわかんないけど」
「うちのお母さんと美保子おばさんがよく知っているというけど、違うかもしれない」
「そんなもんだけど」
「お金のことは明日じゃなくていいよ」
「いろんなお金があるでしょ」
「井出さんがずっと世話やいてくれていて、昨日も1日。よくできているのに」
「うちの近所の人も、その人だけど、いろいろ良くやってくれる」
「私もあんたにお金を差し上げるから、もらっといて」
「この人、なんかだって」
「私は、昨日の12時までいたんじゃないかな?」
どこにと聞くと、
「ここにいたの」
「あの先生じゃなかったの?」
「佐々木さん」
「昨日の東京の人」
「要法寺のなかまだからね」
「あのおじいさんもそうだからね」
「向こうのおじいさんが、一緒に下着を見に行ってくれるといってくれたから」
机の上の、飲み終えたコップを向うに押しやった。
邪魔なものを押しやる感じだ。
そんなことはしなくてもいいのにと思うのだが、昔からの習慣が出てくるのか?
「昨日の朝いちばんで九州に帰った。そうでしょ」
「お風呂で温まったらいいのかもわかんないけど」
「お貸ししたものがなし」
「分かるでしょ。お父さんの。お貸ししたものがなくて、みんなここのもの」
「みんなでいいことしたんでよかったよ。○○○が悪いことをするのを止めてくれた」
「そんなことしてもどうってことないと皆は言うけどよかった」
TVで息子に対する自殺教唆のニュースをやっていたのを見て、息子が親を殺すとは、というので、その逆で親が息子に自殺を迫ったのだと告げると、
「世話ないね」といって、満面の笑みを浮かべた。
続きのニュースを見て、
「オランダの国王が来られるね。最近天皇家の話など、みんな興味ないけど」
「昨日はあの先生なかったの?私の先生」
何先生か聞くと、思い出せないようだ。
いろいろ先生の名前を挙げたが、すべて首を横に振る。
最後に「土屋先生」といった。
土屋先生は思い当たるところがない。
「ここでもお習字をする。一番大事なのはお習字だね。お習字をしないと」
ここで兄嫁が来た。
母は手を振った。
ここで帰ることにした。
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