訪問時母はベッドで横になっていたが、何ともおかしな状態だった。
ベッドの背もたれが35度程度起きており、それでずり落ちたのだろう。ベッドの下半分にベッドの短辺方向に寝ていた。頭がベッドから落ちそうだ。
そこで、頭の位置を少し修正した。
車いすに乗ろうか?と促すと
「くさいだろ?このままでいる」とのこと。
パッド交換はまだなのか尋ねると、「さっき交換したばかりだけど、すぐに漏れるのよ」とのこと。
そこに、母が小百合ちゃんと呼ぶ三佐子さんが来て、サエさん、セーターは脱いじゃったの?と聞いた。
カーディガンを来ていたが、それはテーブルの上に置いてあった。
さっきお兄さんが来たから、と三佐子さん。
自分でテーブルの上に置くことはできないはずだ。
母をしばらく寝かしておいて、父がもう死んでいることを尋ねたら、
「私がお父さんがまだ生きていると思っているということが噂になっているようだね」
といった。「死んだことは知っている。」と答えた。
父が死んだ後の写真を見せたら、それなりにその写真が何を意味しているかを答えた。
夕食の時間が迫ってきたので、車いすに乗せることにした。
すると、ひざが痛いと大声を上げた。
膝を伸ばすと痛いらしい。結局、ひざを曲げたままの状態で車いすに乗せ換えた。
今日は介護に男手がないようで、この作業をすると喜ばれる。
車いすに乗せた状態で、相撲のTVを見た。すると、昨日、相撲取りが来たというようなことをいった。
今相撲は九州でやっているから相撲取りはここまで来られないよ。と答える。
ここは九州じゃないよ、どこか知ってるの?と尋ねると「山口県」との答えだった。
訪れた直後に、「昨日幹子が来て」というようなことをしゃべっていたので、
幹子は何かいってた?と尋ねると、「幹子は来てない。電話もかけてこないから、どうなっているのかわからない」とのこと。
何を話したか覚えていないから、都合が悪くなって、話を変えたことが分かる。
兄も2日にわたってきたようだが、そのことを聞くと、やはり「来てない」との答えになった。
三佐子さんが廊下を通ると、小百合ちゃんと声をかける。
食事の時間が近くなり、皆がホールに集まってきているので、車いすを押してホールに連れて行った。
すると、いつものお決まりの、周囲の人が昔からの知り合いのような話とか、相撲の観客の中に知り合いと似た人がいるとか、自分勝手の話をする。それにつきあるのも一つの方法なのだろうが、頭の体操をしてもらおうと、数を数えさせてみた。
1の次は何?と聞くと、わからなかった。だいぶ時間が立ってから「3かね?」と答えた。
2だよ。3は2の次、それじゃ3の次は?と聞いても、一さ堪えられないことが判明した。
ただ、指を1本出すと「1」と答える。2本出せばちゃんと「2」という。3から9までは、租のようにするとちゃんと答えられた。しかし、両手を出して10を示したところ、答えられず、10といっても復唱できなかった。
すぐに、自分の世界の話を、独り言のようにしゃべりだしてしまう。
しゃべることは、それなりに意味のあることなのだろうが、短期記憶が全くダメになっており、周囲が自分の思いどおりでないと困る状態となっており、その状態が維持できなくなった時のパニックが恐ろしいように感じられる。
一時かなり良くなっていると思われた認知機能が、ここにきて下り坂になってきている。
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