時々眺める富士山

父とパソコン(9)

WINDOW95は、その名前からわかるように1995年夏に発売された。日本では、アメリカから3か月ほど遅れて勤労感謝の日の午前0時に発売された。まだ今より若く、東京に住んでいた私は、新宿西口で行列して購入した。

もっとも、私はそれ以前から、50万円もするカラーノート機を初めとして、WINDOWS3.1が動くいわゆるDOS/V機を何台か所有していた。WINDOWS95が発売された当時、95は速いということが宣伝され、そういって買っていく客の姿がTVに映っていた。これは、設定が簡単で早く動かすことができるという意味で、処理スピードが速いという意味ではなかった。AUTOEXEC.BATやCONFIG.SYSに色々なことを書き込まないとCD-ROMやPC-CARDが動かせないという点が改善されていたが、能力の低いPC9801では、WINDOWS3.1の方がよほど速く動いた。

父は当時80歳になっていたが、ニュースで流される新しいWINDOWSには大変興味を持って、強く欲しがった。ソフトを買い替えれば、便利になり、それも速く動くという宣伝効果が効いていた。NECでは、WINDOWS95が快適に動くAfクラスのマシンも用意されていたが、RAで動かそうというのである。私の余った外付けハードディスクをさらに提供して、トロトロした動きではあるが、なんとかWINDOS95が動くようにしてあげることはできた。

WINDOWSにすると、ソフトはすべてWINDOWS版に交換しなければならない。父は、そんなことも分からなかった。また、ソフトはただであるという感覚である。マイクロソフトのワードとエクセル、それに一太郎を用意した。

一方で、N88BASICが動かないと困るとか、UBASICが動かないと困るとかの注文もうるさかった。DOS窓での操作方法を教え、当時は何とかそれを使いこなしていた。

動きは遅かったが、時間はあるから遅くてもいいと、その点の妥協だけはしっかりとしていた。

父が一番よく使ったソフトは一太郎であった。暦をきれいに印刷するということにこだわっており、一太郎は行をそろえて印刷する機能は、WORDより優れていた。WORDは勝手に文字間隔を調整してしまうので、印刷するとずれが生じてしまうのでだめだった。

EXCELもマニュアルを見ながら、少しずつ使い方を覚えていった。年賀状用の住所録の大きな表を作り出していた。

ただ、RAも、私が提供した周辺機器も10年選手となると、次第に動作が不安定な部分が現れてきた。

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今日は、ずいぶん蒸し暑くなっている。
昨日病院に行って、昼寝をしなかったということで、今朝、母は寝坊をしていた。

午前7時半から蝉がにぎやかに鳴いていたが、9時前におとなしくなった。

昼過ぎから再び鳴きだした蝉は、暗くなる前まで鳴いていた。

暗くなると、あたりは秋の虫の声に包まれた。
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