時々眺める富士山

父とパソコン(15)

父は新しいパソコンを一切使おうとしなかった。
父が以前興味を持っていた古文書関係のインターネットサイトを紹介しても、私がいる間は見ていても、私がいなくなると、すぐにパソコンのスイッチを切って席を外した。

パソコンの終了の仕方だけは分かっていた。

「こんな面白いサイトがあった」、と紹介しても、ちょっとして戻ると、父はパソコンのスイッチを切ってTVを観ていた。

私の書いている守常ブログの記事などを見るつもりは一切なかった。

パソコンのスイッチを入れるのと、TVのスイッチを入れるのとで、その作業に大して変わりはないように私には思えたが、父にとっては、それは全然違う作業のようであった。

「暴れん坊将軍」は見ることができても、パソコンの文字は読めなかった。

マウスがうまく扱えないこと、だからといってショートカットキーを覚えることはできないこと、ショートカットキーをメモしておいてあげても、その意味を理解できないこと、などから、ウィンドウズパソコンを扱うことは難しくなっていた。

ただ、私には、うまく操作できないから、操作法が分からないから使わないとは一切言わなかった。体調が悪いから後にするとしか言わなかった。そして、介護の人には、新しいパソコンは以前のパソコンと操作法が違うから使うのをやめたといっていたそうだ。

その一方で、頭の中はパソコンを使えたころの記憶でいっぱいだった。だから、やろうとすれば、すぐにでもパソコンが使えるつもりでいた。1日少しずつでも使えば、パソコンの操作法を維持できると私は考えていたのだが、父は一切使おうとしないので、全く使えなくなる道を進んで行った。

年賀状の時期になると、自分で年賀状の印刷ができたころの記憶から、すぐにできるつもりでいた。それは無理であった。すべてこちらが印刷した。自分でできなくなったのだから、出すのをやめることを勧めたが、出さないと死んだと思われるから出すといい続けた。

結局、年賀状はこの正月まで私が印刷した。何か一言書く文章がないのか?と聞いても、そのような文章が返ってくることはなかった。

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葉がすべて落ちて枯れたようになった屋上の百日紅に新芽が吹いてきた。



天国で、父が生き返ったものと思いたい。
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