時々眺める富士山

父が死んだことをまた忘れた

今日の訪問時は、ホールで車椅子に座っていた。
いつも通り、こちらの顔を見ると「お帰りなさい」という。
孫の手を渡すと、さっそく自分で背中を掻いた。

喜んでいた。
ただ、ここにおいていくか尋ねたら、
「長いものは怖いから、持って帰って」とのことだった。


「若い子にお小遣いを渡そうと思うが、細かいお金がない」
「お父さんが帰ってこないから、お金がどこにあるかわからない」
などという。

東北大震災の年にお父さんは死んだんだというが、東北大震災もわからない。

今日は、今年が2014年だということもわからない。
当然とうほく大震災が2011年という感覚もない。
だから父が3年前に死んだといってもキョトンとしている。

こちらがいろいろ説明しても、そっぽの方を向いて、
「あの人はちゃんとしている」と女性看護師を指していう。

お父さんの戒名を教えてあげたが、唱えることはできない。

今日も、介護の方を小百合ちゃんと間違えている。
そこで、間違えられている方に来てもらって、小百合出はなく三佐子さんであることを説明してもらう。

名前を書いて読ませると、読むことができる。
その名前を一緒に唱えて、2、3秒後に、なんていう名前だった?と尋ねると、もう再現はできない。

そして、小百合ちゃんという。

昼食の準備期間中に「右手が痛い」といった。
右手のどこ?と尋ねると、不自由な左手をゆっくり持ち上げて、左手で、右手の甲の人差し指と中指の間あたりを指した。

「よく使ったからね」といった。

今日の昼食のおかずの肉豆腐はよく食べていた。
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