ホールでは、皆で言葉の遊びを行っていた。
母はこちらの顔を見て分かったように思えたのだが、
「常雄も朝早くから来た」
といった。私を、兄と間違えている。
兄はあまり来ないのだが、もう来てもいいこれだと感じる兄が来たと思って合理化するのだろう。
小百合ちゃんが来ないのに、小百合ちゃんがそばにいて自分の世話をしてもらえているという合理化と似ている。
常雄だよ、というと、「そんなことわからなくてもいいじゃないか」と合理化した返事が返ってきた。
「木谷さんなんか、裏から勝手に入ってくるから、そんなの相手にしているとわからなくなっちゃて当たり前だよ」とのこと。
私が来たところで、ホールでは歌を歌うことになった。
夕焼け子焼き、里の秋、赤とんぼ、青い山脈、鐘の鳴る丘の5曲。
歌詞の印刷されたものが配布された。
母は、それにおり目は付けたが、ほとんど歌えない。
歌えないし、歌詞の歌っている場所を目で追えない。
そして、それをごまかすかのように、べらべらしゃべる。
ここを歌っているのだよ、と歌詞の場所を指示したりすると、あくびをする。
それから、口腔体操になった。
口の体操で。言葉遊びや口を膨らませたりするのだが、母はほとんど、それについてけず、関係ないことをしゃべっている。
「お父さんは歌もできない」
「でもそのうちできるかも」
「お前のところに電話したのはいつだったかね。夜だたかね?」
人のいうことを聞かずに、勝手にしゃべっているのは昔からだが、昔の状態に戻ったともいえる。
これまで、口から先に生まれてきたような性格だったのに、言葉を失ってかわいそうと思っていたが、昔通り、口から先に生まれてきた性格に戻った。
ここで、録音で安田祥子と安田章子の歌を流した。
すると、「安田祥子とは幼稚園の同級だ」といいだした。
齢が全然違うじゃないかというと、今度は別の入居者を指して、「あの人はミーちゃんと幼稚園d一緒だった」といいだした。
後でその人に尋ねたところ、昭和10年生まれだそうだ。
ミーちゃんは大正12年生まれだろうか?
「あの体がよれた人がいるから、おp風呂には入らないの。あの子と一緒にお風呂に入ると大変だからね。」
ここで、赤い靴の歌が流れた。その時は、歌詞を少しは聞いていたのだろう。
「異人さんが名にしちゃったんだって?」と聞いてきた。
女の子をアメリカに連れて行ったんじゃないの、というと、いうそばから、もう別の方角を見て、「江南の裏の方から人が入ってきたよ。黒と白の何かを持ってきた」
といいだした。
「にぎやかなんだ」
「お父さんが物々交換で設ければよかったのに」
物々交換て何を交換するの?と尋ねると
「せーたを上着と交換すると儲かる」
「今朝階に行った。払ってもらった」
「古い服は着ない。あの男の人だって」
そして、また井出さん、井出さんといいだした。
これまで、自分の面倒を見ていてくれた人は井出さんなのだ。
母が井出さんといっている人に名前を尋ねた。
すると齋藤さんだということがわかった。
齋藤さんは大きな声で、それを答えたので、母も齋藤という名前は耳に入った。
「齋藤さんがどうしたって」と聞いてきた。
あの人は井出さん出はなく 齋藤さんだってというと、母は苦笑した。
「小学校の古屋とか醤油屋は仲良くしてくれた。
あの人たちは・・・・」
今日は、椅子に座っていたが、車いすの座面が短いので、母はずり落ちて大変なことになりそうだったので、できるだけ車いすではなく、座面の広い椅子の方がよいと思っていると齋藤さん。
母は、そのような会話を聞いてか聞かずか、
「お尻の穴が痛いので、この椅子の方がいい」といった。
今日の昼食はお寿司だ。
先ほど、お寿司が搬入されていた。
その配達の人を見て、母は江南の人が黒と白をもって云々といっていたわけだ。
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