声をかけても反応は薄かったが、何か食べたか聞くと、食べたよと答えた。
そして、「前から少ししか食べていなかったんだから、あの程度食べれば十分だよね?」と同意を求めてきた。
そこで、「そう。少ししか食べられなくなってたよね」と答えた。
右手の手袋を外したら、管を入れた鼻がかゆいのか、鼻に手を持って行く。
そして、管にも手をかけるので、やめるように言うと、、またベッドの手すりを握っていた。
そうこうしているうちに、「リハビリをしますがよろしいですか?」と母の担当者が訪れた。
そして、「私の名前わかるかな?」と聞くと、正しく答えたようだ。
「よく覚えたね」と担当者が言うと、「当たり前だよ」と答えたようだ。
言い方が、少しぶっきらぼうになっているようだ。
そして、昨日姉が持ってきた熊の握り用具を見せて、「これをつかんでごらん」といって、目の前にかざした。母はつかもうとしたが、つかむ前に、少し左にずらすと、母はすぐにつかむのをあきらめてしまった。
同じようなことを何回か行ったが、母はつかむまでには至らず、すぐあきらめる。
そして、疲れたといって目を閉じた。
リハビリのNさんは、足を動かしたり、手を動かしたりした。足は、ひざの関節を動かすとすごく痛がっていて、強い口調で、「痛い、痛い」という。そして、「膝が痛いの?」と聞くと、「当たり前だよ」と答えていた。
それから上体を起こして、ベッドに座らせた。ここのところで、座り方がだいぶしっかりしてきたという。
そして、私が誰だかNさんが尋ねると、「怖い人」と答えていた。
「名前は?」と聞き返すと、正しい名前を答えていた。
それから私の娘夫婦の写真を見せて、「これは誰かな?」と尋ねると、
「孫」と答えた。「どちらがお孫さんかな?」と尋ねると、「女」と答えた。
「名前は?」と尋ねると、下の姉のところの娘の名前を答えていた。
このような言い間違いは、元気だったころもあった。
私の娘の名前を告げると「そうだよ」と答えた。
ベッドに座っているとき、右手だけでなく、左手でも体を支えているように見えた。
ここまで来ると、母は盛んに眠りたがった。
そして、足枕にしていたタオルの束の上に寝転がろうとする。
「枕はあっちだよ」と反対側をさすが、「いいの。こちら側に寝るから」という。
この押し問答をしばらくして、ようやく、元の枕の方向に寝た。
そしたら、すぐに目を閉じた。
寒いといっているようで、看護師さんが掛布団を2枚にしてくれた。
そして、排便排尿の時は呼んでね、と左手にナースコールを握らせた。
ナースコールを押せるのか尋ねたところ、押せなくても、握らせることが訓練だそうだ。
聞いたところでは、今日はゼリーを半分ぐらい自分で食べたそうだ。
皿に残ったゼリーの小片を寄せ集める手助けはしたものの、大き目の塊は自分で食べたそうだ。
リハビリのNさんも、来週になると、口からご飯が食べられるかもしれないとの明るい見通しを提示してくれた。
母の右手に手袋をして帰ることにした。
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