時々眺める富士山

父とパソコン(12)

父はインターネットの契約をしたものの、インターネットを使う気配はなかった。接続業者も、インターネットに接続できる設定は行ったものの、インターネットで何ができるかは教えていかなかったようである。インターネットを使用しそうもない人に、接続環境を売りつけることは商売として重要であろう。

ただ、父の場合は少し違って、インターネットにはずいぶん色気があった。インターネットをやりたいとは前から言っていた。ただ、インターネットに書き込むようなことはできそうにないので、TVを利用して、情報を見るだけのインターネットの使用法を勧めていたのだ。ところが、父はそれではいやだといっていた。

インターネットに接続できるようになって、メールの使い方を教えたが、つきっきり状態でないとメールを使えるようにはならなかった。そのため、メールを出しても、返事が戻ってくることはなかった。

インターネット閲覧ソフトは、この青い「e」というアイコンをマウスでクリックすると起動することを教えた。「こうかい?簡単じゃないか}とは言っても、次の時には忘れていた。

新聞社のサイトはこうやって開き、ニュースを読むことができることを示しても、横にいるときはそれをしても、一人でやることはなかった。

そのうち、疲れたから後にするという言葉がすぐに返ってくるようになった。

そこで、パソコンの電源を入れるとインターネットエクスプローラが立ち上がるようにした。しかし、そのうち、パソコンの電源すら入れなくなったのだ。

メッセンジャーソフトが立ち上がるようにしておいて、父がどれだけパソコンの電源を入れるかを監視できる状態とした。その結果、ごくたまにしかパソコンにスイッチを入れていないことが分かった。そして、メッセンジャーソフトで呼びかけると、最初は日本語で返事が返ってきたのに、ローマ字でしか返ってこないようになった。日本語入力をONにする方法が分からなくなってしまったのだ。左上の半角/全角キーを押すと日本語入力がONになるとメッセンジャーで教えても、ONにならないとっローマ字で返ってきた。

押しているといっても、実際は操作が違っていたに違いない。その頃こちらは東京に住んでいたので、すぐに確認することはできない。

最初のころは、こちらが仕事でアメリカに行ったときに、メッセンジャーでやり取りして、「これは便利だ」という返事が戻ってきたことがあった。メールを出せば、返事が来なくても、読んではいたようだ。ところが、父は90歳になったころから、こちらがアメリカに行った際に、様子をメールで出すからといっても、一切読まなくなった。アメリカから戻ってきて尋ねると、パソコンを付ける気力はないといった返事であった。このころから、パソコンはまったく使わなくなっていたのだ、唯一の例外は、年末の年賀状作成時期であり、逆にその頃は大騒ぎとなった。
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