時々眺める富士山

身近な人の区別は付かないようだ

今日の訪問時、母はホールで車いすに座って、皆と軽運動をしていた。

私の顔を見ると「お帰り」といった。

ほとんど体を動かさない母には、介護の方が付き添っていた。

「今日はお風呂に入ったんだよ」と自分から言った。

かかとを上げたり、足を上げたり、手を握ったり、万歳をした利なのだが、母は、自分からはほとんど体を動かさない。ところが、頭の中では、皆と同じ動作をしている気になっているようだった。

体操が終わると、「小百合ちゃんはよく働くね。すごいよ」
といった。

小百合ちゃんが来るの?と尋ねると、

「あの人、小百合ちゃんでしょ。朝、誰もいない時から働いている」

「あの子もよく働く。結局、小百合ちゃんのいとこかなんかなんだよ」

それから、あの黒板の下のボートをもらっていって」
という。

黒板とは、スイッチの入っていない大型液晶TVのことである。
ボートとは棒を意味し、壁にかけてある液晶TVの下の手すりのことである。

「間のあの方は、九州に何度も一緒にいっている人なので、ご挨拶して」

「下記の実が・・・・」
と矢継ぎ早にしゃべった。ここでしゃべることをやめた。

小百合ちゃん(兄嫁)と思われている介護の方にあいさつしたところ、今日はたまたま早番だっただけで、皆(働きは)同じですよ、とのことだった。

朝、母を風呂に入れたそうだ。

そして、母が兄嫁と勘違いをしていることも伝えた。

母のところに戻ると、
「みんな、割とうまくいってる」

他の入居者を指して、「あんなに体が動かない人も、ここにはいる」
といっていたが、母と状態は同じようなものなので、自分も同じだよ、というと母は笑ったが、自分自身は普通に動き回っていると頭では考えているようだった。

「あの紫色のフックの人は、江南(女学校)の上級生だった」といった。

小百合ちゃんのいとこといわれていた人(倉見の人ともいう人が、
「45度ぐらいになることもあるので、私はもっとすごい暑さを経験している」といったことを入居者と話していたので、どこの方ですか?と尋ねるとフィリピンの人だった。

母に、小百合ちゃんのいとこではなく、フィリピンの人だよというと、キョトンとしていた。

介護の方が、歌の録画をTVで見せることになった。
司会をしている綾小路きみまろはわかり、
「きみまろが来ているような赤い服を向か士持っていたが、お母さんが誰かにやっちゃったので今はない」といった。

「昨日は帰ってくるのに時間がかかった」というので、
どこに行ったの?と尋ねると、
「本店」とのことだった。
「にぎやかで楽しかった。たまにはいい」

先ほどの朝番の介護のMさんに聞いてみると、玄関から外には出ていないとのことだった。

「ボートで背中を掻きたい」といった。
背中がかゆいとは来たときからいっていたので、少し掻いてあげたのだが、自分で掻きたいらしい。

「脇田さんが平塚を大きくしてくれた。その前にこれらの人(目の前にいる入居者のこと)が東北の方に働きに行き、町を大きくしてくれた」

今日の昼食の前にはペーパーおしぼりが配られた。すると「すごいサービスだね」といった。

今日は表情がオフになっている。

「皆、人がいいよ」
食事のために左横に座った人のことを「お父さんが好きな先生。みんな須賀の出だから、気があう」

「隣」といってから「隣といったらおかしいけど」まで話て、話が途切れた。

「かゆいのはや」
まだかゆいの?と尋ねると「まあいいんだよ」と答えた。

ただ、脳梗塞になる前から、これとあまり変わらない話をしていた。
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