時々眺める富士山

66年目を迎えた真珠湾攻撃の日の朝の富士山

今週末は、たまたま真珠湾攻撃の日と重なった。富士山の遠くから眺める姿は、当時も今もあまり変わらなかったはずだ。当時の人たちは何を思ってこの富士山を見ていたのだろうか?(真珠湾攻撃は現地時間の12月7日午前7時から8時頃であり、日本時間では12月8日未明。アメリカでは今でも12月7日を真珠湾攻撃の日としている)。



今朝は、東の空は雲がかなり多いが、蜘蛛の間から日が差している間の富士山を撮影した。「見よ東海の空あけて、旭日高く輝けば、天地の正気溌剌と、希望は躍る大八洲、おお晴朗の朝雲に、聳ゆる富士の姿こそ、金甌無欠揺るぎなき、わが日本の誇りなれ」

この詩は好きだし、あの曲もよい曲だと思う。ただ、戦争を行ってはいけなかった。

街中ではクリスマス色が深まっている。この頃流れるビング・クロスビーのホワイトクリスマスは、クリスマスソングの代表曲として子供の頃から親しんできた名曲である。クリスマスの頃の恋の歌ぐらいにしか思ってこなかったのだが、1942年のこの曲は、日本軍との戦闘のために南洋に派遣された米国軍兵士が、熱帯の酷熱の下での苦しい戦闘の日々の中、1,2年前まで本土で過ごしていた、雪に覆われたクリスマスらしいクリスマスを夢見た心を唄ったものである。

戦争を始めた方の歌、受けて立って結局勝利した側の歌、ともに芸術性は高く、あの戦争の歴史がなければ生まれなかったかもしれないものだが、ここに不戦を強く願い富士山を眺めるものである。
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