プロ野球はキャンプまっさかり。
オリックスは宮古島で第2クールで紅白戦なども徐々にヒートアップしてるようですし、
いよいよ再来週からは1軍が高知に移動もしてきます。
地味に日高がキャッチャーで出場していたり、
地味に住友金属に所属していた小島選手も盗塁を決めていたりと、私なりのポイントがあるんですが、
いかんせん自分の目で確認していないので、確信めいたものが無く、ここで取り上げるのはやめときます。
というのも、また高知に行ってみて、期待してる選手の活躍っぷりが見られたらいいと思ってますので。
さて。
その高知でのキャンプインを前にして、ちょっと四国とオリックスとの関わりを紹介してみます。
というのも、ちょっと去年の暮れに高松まで遊びに行ってました。
遊びがてらなので、岡山県玉野市の宇野港からフェリーに乗って高松へ。
宇野駅前。
宇野港。
そして、瀬戸の島山を抜けて・・
高松に到着。
かつて、オリックスは香川県の代表企業である穴吹工務店と提携し、2軍チームが「サーパス神戸」(2006~2008年の間は「サーパス」)として
あじさいスタジアム北神戸を本拠地をしながらも、年に2試合ほどは高松の現サーパススタジアムで主催試合をしていた時期もありました。
しかし、今や「サーパス」というチームがあったことすら知らない人たちが増えてきたようで、
わずか2~3年でも時代の変化を感じますね。
発足の2000年当初は、球団のHPに「オリックスの選手名鑑」と「サーパスの選手名鑑」の2つが作られていました。
当時イチローはサーパスでの選手名鑑にいなかったように記憶しています。
確かにシーズン終盤にケガで一軍登録抹消されましたが、結局サーパスの試合には出ずに一軍に復帰してましたし。
そういう意味で、高松とオリックスには、かつて関わりがあったといえます。
ただ今はほとんど無いかな。
でも、貴重な繋がりはあるといえる場所が存在してました。
それが、高松市内の繁華街にあるこちらのお店で。
「野球鳥おかむら」さん。
かつて阪急ブレーブスに所属していた、岡村浩二さんがオーナーを務める居酒屋さんがあります。
立ち寄ってマスターに断り中を見せてもらうと、
見事に野球のグッズの数々が展示されていました。
四国の高校をはじめ関東大学や社会人野球の名門チームのユニフォームもぎっしりありますが、
中でも、阪急・オリックスに関わるユニフォームが目立ちました。
今のオリックス・バファローズにも関わりが深いようで、
2010年のタイトルホルダーであるT-岡田とカブレラのサイン色紙などもありました。
そういう状況の中、ビールと焼き鳥を頂くことに。
私が焼き鳥をほおばっている間、マスターの心遣いでビデオを見せてくれました。
このお店のオーナーである岡村さんが選手をされていたときの有名なエピソードについての番組。
それが、日本シリーズ初の退場事件に関するもの。
岡村さんが所属していた頃の阪急は、まさに暗黒と呼ばれた弱小球団だった頃から
西本幸雄の献身的な指導でリーグ屈指の強豪に生まれ変わる過渡期になります。
しかしながら、強くても人気の面で苦労し続けたわけで、その最大の相手である巨人との戦いでの1シーン。
Wikiからの抜粋によると・・
・4回裏、B3対0Gと3点をリードされた巨人は、無死一、三塁という好機を迎えた。
・ここで巨人は、一塁走者王が二塁に向けてスタートをきり、阪急の捕手岡村浩二が二塁に送球したのに対して、
三塁走者土井が本塁突入を図るといういわゆる重盗を試みた。
・その際に、打者長嶋茂雄は三振に倒れ、送球は、二塁手山口富士雄が手前でカットして本塁に返球した。
この返球は、本塁ベース上に腰を落とすようにしてブロックしている岡村のミットにショートバウンドで納まった。
・この返球を捕らんとしている岡村のミットの下の本塁ベースに突入した土井は、岡村に跳ね飛ばされたように見えたが、
岡田功球審は、これをセーフと判定した。
この判定に対して、ブロックに自身を見せていた岡村が猛然と抗議。
岡田球審をミットで殴打し、日本シリーズで初の退場処分を受けることに。
しかし、翌日の新聞で走者の土井が岡村の股の下に足を踏み入れホームインしている写真が掲載され、判定が正しかったことを裏付けられた、ということでした。
西本監督は、それでも「土井の足がホームに届いているかではなく、判定は岡村がタッチしたかどうかについて問いたい」と反論して、
最後まで岡村をかばったわけですが、結局、岡村や西本監督、阪急球団の意見は聞き入れられず。
この件について阪急側は圧倒的不利な状況で世間から冷たい視線を浴び、
さらに30年以上経った後でも、この件はバラエティ番組に取り上げられたりして語り継がれてしまうことになります。
正捕手の岡村を失った阪急は、その直後から崩れて試合は惨敗し、
続く試合も山田久志が王貞治にサヨナラ3ランを打たれるなどして、日本シリーズを敗れ去りました。
その後、阪急は人気面で苦労し、結果経営が成り立たずオリックスへ身売り。
そして、因縁の走者だった土井正三がオリックス・ブルーウェーブの初代監督に。
彼も、プロ3年目までのイチローを2軍に幽閉した起用法について、世間から厳しい視線を浴びたわけですが、
後日談として、イチローがその後活躍できたのは、それまでの3年間があるからなどという意見も出てきたり。
後にも先にも日本シリーズでただ1人の退場者となってしまった岡村浩二さんですが、
土井正三のホームインした写真を見て「自分が下手だった」というコメントを残しています。
それは、チームの正捕手として、プレー中は本気でブロックを成功させたと確信したからの猛抗議だったに他ならないわけですね。
それぐらいの本気と本気のぶつかりあいの勝負だったということです。
そんな悲劇を経て、岡村さんは東映フライヤーズ~日本ハムへ球団を移ることになりますが、
それでも阪急、オリックス、そしてサーパスとしての岡村浩二#29のユニフォームが店内に飾られているのは、
いつまでも阪急~オリックスというチームに関わりをもっていたいと希望されてのことなのかもしれません。
そして、今の「大阪夏の陣」などのグッズまで展示されており、オリックスを応援してくれています。
しかし、土井正三が監督を務めた頃のオリックスも応援されていたわけですから、不思議な縁に感じたりもしますね。
昨年亡くなった西本幸雄さんとは、こうしてチームの枠を超えての仲だったようですし、
改めて、西本さんの懐の大きさも感じました。
で。高知にも、姉妹店があるようですので、高知に行った際は、立ち寄ってみようかな、と思った次第です。
焼き鳥、すごくおいしかったですよ。
高知に行かれる方は、ご参考に。
にほんブログ村
お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
オリックスは宮古島で第2クールで紅白戦なども徐々にヒートアップしてるようですし、
いよいよ再来週からは1軍が高知に移動もしてきます。
地味に日高がキャッチャーで出場していたり、
地味に住友金属に所属していた小島選手も盗塁を決めていたりと、私なりのポイントがあるんですが、
いかんせん自分の目で確認していないので、確信めいたものが無く、ここで取り上げるのはやめときます。
というのも、また高知に行ってみて、期待してる選手の活躍っぷりが見られたらいいと思ってますので。
さて。
その高知でのキャンプインを前にして、ちょっと四国とオリックスとの関わりを紹介してみます。
というのも、ちょっと去年の暮れに高松まで遊びに行ってました。
遊びがてらなので、岡山県玉野市の宇野港からフェリーに乗って高松へ。
宇野駅前。
宇野港。
そして、瀬戸の島山を抜けて・・
高松に到着。
かつて、オリックスは香川県の代表企業である穴吹工務店と提携し、2軍チームが「サーパス神戸」(2006~2008年の間は「サーパス」)として
あじさいスタジアム北神戸を本拠地をしながらも、年に2試合ほどは高松の現サーパススタジアムで主催試合をしていた時期もありました。
しかし、今や「サーパス」というチームがあったことすら知らない人たちが増えてきたようで、
わずか2~3年でも時代の変化を感じますね。
発足の2000年当初は、球団のHPに「オリックスの選手名鑑」と「サーパスの選手名鑑」の2つが作られていました。
当時イチローはサーパスでの選手名鑑にいなかったように記憶しています。
確かにシーズン終盤にケガで一軍登録抹消されましたが、結局サーパスの試合には出ずに一軍に復帰してましたし。
そういう意味で、高松とオリックスには、かつて関わりがあったといえます。
ただ今はほとんど無いかな。
でも、貴重な繋がりはあるといえる場所が存在してました。
それが、高松市内の繁華街にあるこちらのお店で。
「野球鳥おかむら」さん。
かつて阪急ブレーブスに所属していた、岡村浩二さんがオーナーを務める居酒屋さんがあります。
立ち寄ってマスターに断り中を見せてもらうと、
見事に野球のグッズの数々が展示されていました。
四国の高校をはじめ関東大学や社会人野球の名門チームのユニフォームもぎっしりありますが、
中でも、阪急・オリックスに関わるユニフォームが目立ちました。
今のオリックス・バファローズにも関わりが深いようで、
2010年のタイトルホルダーであるT-岡田とカブレラのサイン色紙などもありました。
そういう状況の中、ビールと焼き鳥を頂くことに。
私が焼き鳥をほおばっている間、マスターの心遣いでビデオを見せてくれました。
このお店のオーナーである岡村さんが選手をされていたときの有名なエピソードについての番組。
それが、日本シリーズ初の退場事件に関するもの。
岡村さんが所属していた頃の阪急は、まさに暗黒と呼ばれた弱小球団だった頃から
西本幸雄の献身的な指導でリーグ屈指の強豪に生まれ変わる過渡期になります。
しかしながら、強くても人気の面で苦労し続けたわけで、その最大の相手である巨人との戦いでの1シーン。
Wikiからの抜粋によると・・
・4回裏、B3対0Gと3点をリードされた巨人は、無死一、三塁という好機を迎えた。
・ここで巨人は、一塁走者王が二塁に向けてスタートをきり、阪急の捕手岡村浩二が二塁に送球したのに対して、
三塁走者土井が本塁突入を図るといういわゆる重盗を試みた。
・その際に、打者長嶋茂雄は三振に倒れ、送球は、二塁手山口富士雄が手前でカットして本塁に返球した。
この返球は、本塁ベース上に腰を落とすようにしてブロックしている岡村のミットにショートバウンドで納まった。
・この返球を捕らんとしている岡村のミットの下の本塁ベースに突入した土井は、岡村に跳ね飛ばされたように見えたが、
岡田功球審は、これをセーフと判定した。
この判定に対して、ブロックに自身を見せていた岡村が猛然と抗議。
岡田球審をミットで殴打し、日本シリーズで初の退場処分を受けることに。
しかし、翌日の新聞で走者の土井が岡村の股の下に足を踏み入れホームインしている写真が掲載され、判定が正しかったことを裏付けられた、ということでした。
西本監督は、それでも「土井の足がホームに届いているかではなく、判定は岡村がタッチしたかどうかについて問いたい」と反論して、
最後まで岡村をかばったわけですが、結局、岡村や西本監督、阪急球団の意見は聞き入れられず。
この件について阪急側は圧倒的不利な状況で世間から冷たい視線を浴び、
さらに30年以上経った後でも、この件はバラエティ番組に取り上げられたりして語り継がれてしまうことになります。
正捕手の岡村を失った阪急は、その直後から崩れて試合は惨敗し、
続く試合も山田久志が王貞治にサヨナラ3ランを打たれるなどして、日本シリーズを敗れ去りました。
その後、阪急は人気面で苦労し、結果経営が成り立たずオリックスへ身売り。
そして、因縁の走者だった土井正三がオリックス・ブルーウェーブの初代監督に。
彼も、プロ3年目までのイチローを2軍に幽閉した起用法について、世間から厳しい視線を浴びたわけですが、
後日談として、イチローがその後活躍できたのは、それまでの3年間があるからなどという意見も出てきたり。
後にも先にも日本シリーズでただ1人の退場者となってしまった岡村浩二さんですが、
土井正三のホームインした写真を見て「自分が下手だった」というコメントを残しています。
それは、チームの正捕手として、プレー中は本気でブロックを成功させたと確信したからの猛抗議だったに他ならないわけですね。
それぐらいの本気と本気のぶつかりあいの勝負だったということです。
そんな悲劇を経て、岡村さんは東映フライヤーズ~日本ハムへ球団を移ることになりますが、
それでも阪急、オリックス、そしてサーパスとしての岡村浩二#29のユニフォームが店内に飾られているのは、
いつまでも阪急~オリックスというチームに関わりをもっていたいと希望されてのことなのかもしれません。
そして、今の「大阪夏の陣」などのグッズまで展示されており、オリックスを応援してくれています。
しかし、土井正三が監督を務めた頃のオリックスも応援されていたわけですから、不思議な縁に感じたりもしますね。
昨年亡くなった西本幸雄さんとは、こうしてチームの枠を超えての仲だったようですし、
改めて、西本さんの懐の大きさも感じました。
で。高知にも、姉妹店があるようですので、高知に行った際は、立ち寄ってみようかな、と思った次第です。
焼き鳥、すごくおいしかったですよ。
高知に行かれる方は、ご参考に。
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お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
署名が2万人以上集まったそうで2月に署名をオリックスに提出したそうです。
オリックスは鹿児島移転について「地元の盛り上がり次第」と言っているそうです。
もし鹿児島に移転なんかしたらショックで立ち直れません・・・
TB張っておきますね
私は幼き頃の思い出として、親にねだって西宮スタジアムでブーマーを見たからこそ、今でもその名残としてのオリックスが好きなのです。
12年前から始まった北神戸に対しても、そこで支えたファンがいて今があるわけで、
本来、本拠地や名称をコロコロ変えるべきものじゃないと思います。
そうでなければ、鹿児島に移転したところで、熱が覚めるとまた移転となる可能性が高まります。
ですから、北神戸のファンの意見を聞かずしての移転はありえないと思いますし、
短期間のうちに簡単に移転することも反対ですね。
こちらにはmrbravesさんのブログ記事なども拝見して前から行きたかったのですが、
自ら行動しなければ始まらないと思い、今回の旅行を決行した次第です。
また観戦仲間も連れて行ってみたいと思った次第です。
焼き鳥は本当に絶品でした。