今朝、阪急・オリックス球団に功績を残してきた人の訃報を知りました。
ブレーブスのブレービー、ブルーウェーブの初代ネッピーとして活躍した島野修さんです。
ドラフト1位から球団マスコットに転身 島野修さん死去(asahi.com)
今でこそマスコットは球団の顔。
でも、その常識が定着したのも、阪急ブレーブスに始まり、島野修さんが活躍したからこそ。
バギーに乗ってフィールドを走り回ったり、選手がホームラン打つと喜んで登場してスタンドを盛り上げたり・・
こういうパフォーマンスは、島野さんが最初に第一歩を踏み込んだと言っても過言ではありません。
島野さんがいなけりゃ、今のドアラもいないのです。
それに、島野さんのネッピーは18年間、1175試合のホームゲームを出場し続けたんですよ。
ゴーヤがこの前、全イニング間フル出場!とかやってましたけど、初代ネッピーには到底もう果てしなくかなわない数字でしょ。
1991年にオリックスが神戸に移ってきてから、総合運動公園駅にはネッピーのほか、海賊のプクプクとかフック船長といったキャラが飾られていて。
子供だった自分にとって、グリーンスタジアム神戸って外から見たら小さな遊園地みたいなとこに思えたんですよ。
地下鉄のホームから野球場までは見えないので、総合運動公園駅を降りたらどんな世界なんだろうって、電車の中から想像していましたよ。
それがネッピーのあの笑った顔が作り出した世界でした。
ちなみに、島野さんの活躍を綴った児童書もありましたね~。
あのスカイマーク球場長だった球団職員(今も京セラドームに出向中?)の花木さんが著者です。
この本、大人になってから図書館で見つけて読みました。今もあるのだろうか。
島野さんは1998年のシーズンまで活躍するんですが、本の最後は1996年9月23日の日本ハムファイターズ戦。
D.Jが9回2アウトからまさかの同点ホームラン、そして10回裏にイチローがサヨナラタイムリーを打って優勝決めたときのこと。
もう、選手達よりも真っ先にベンチから猛ダッシュで飛び出してきたのは、ネッピーでしたよね~。
今とは違う、つるっとしたネッピーでした。
花木さんの文章では、あの時ネッピーの中で島野さんは泣いていたそうです。
私はこの時まだ野球場で見る習慣は無く、テレビで見ていました。(カンテーレの特別中継でした)
あぁ、懐かしいなぁ・・・と同時に、もう14年、15年前って、果てしなく帰ってこない日々なんだなぁと。
この再現だけは、もう二度とできないんだよね。
せっかく、今の球団がようやく成し遂げた5月30日のたった1日、BW復刻記念日になるというのに、
島野さん扮するネッピーには、これからもう二度と会えないんだよね。
こういう球団職員やスタジアムアナウンサーなど裏方の活躍まで注目できる世界はオリックス独特なのかもしれませんよ。
1995年、96年って、私にとっても永遠に帰ってこない15,16歳の頃。
みんな震災で人生のどん底で悲しんだり、復旧作業で死ぬほど働いてましたよね。
そんな人たちを励ましてくれたのは、田口壮やイチローたちだけではありません。
同じように活躍されてきた島野さん、ありがとうございました。
心よりご冥福お祈りします。
にほんブログ村
お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
ブレーブスのブレービー、ブルーウェーブの初代ネッピーとして活躍した島野修さんです。
ドラフト1位から球団マスコットに転身 島野修さん死去(asahi.com)
今でこそマスコットは球団の顔。
でも、その常識が定着したのも、阪急ブレーブスに始まり、島野修さんが活躍したからこそ。
バギーに乗ってフィールドを走り回ったり、選手がホームラン打つと喜んで登場してスタンドを盛り上げたり・・
こういうパフォーマンスは、島野さんが最初に第一歩を踏み込んだと言っても過言ではありません。
島野さんがいなけりゃ、今のドアラもいないのです。
それに、島野さんのネッピーは18年間、1175試合のホームゲームを出場し続けたんですよ。
ゴーヤがこの前、全イニング間フル出場!とかやってましたけど、初代ネッピーには到底もう果てしなくかなわない数字でしょ。
1991年にオリックスが神戸に移ってきてから、総合運動公園駅にはネッピーのほか、海賊のプクプクとかフック船長といったキャラが飾られていて。
子供だった自分にとって、グリーンスタジアム神戸って外から見たら小さな遊園地みたいなとこに思えたんですよ。
地下鉄のホームから野球場までは見えないので、総合運動公園駅を降りたらどんな世界なんだろうって、電車の中から想像していましたよ。
それがネッピーのあの笑った顔が作り出した世界でした。
ちなみに、島野さんの活躍を綴った児童書もありましたね~。
それゆけネッピー!―プロ野球マスコットにかけたゆめ (おはなしノンフィクション) | |
花木 聡 | |
くもん出版 |
あのスカイマーク球場長だった球団職員(今も京セラドームに出向中?)の花木さんが著者です。
この本、大人になってから図書館で見つけて読みました。今もあるのだろうか。
島野さんは1998年のシーズンまで活躍するんですが、本の最後は1996年9月23日の日本ハムファイターズ戦。
D.Jが9回2アウトからまさかの同点ホームラン、そして10回裏にイチローがサヨナラタイムリーを打って優勝決めたときのこと。
もう、選手達よりも真っ先にベンチから猛ダッシュで飛び出してきたのは、ネッピーでしたよね~。
今とは違う、つるっとしたネッピーでした。
花木さんの文章では、あの時ネッピーの中で島野さんは泣いていたそうです。
私はこの時まだ野球場で見る習慣は無く、テレビで見ていました。(カンテーレの特別中継でした)
あぁ、懐かしいなぁ・・・と同時に、もう14年、15年前って、果てしなく帰ってこない日々なんだなぁと。
この再現だけは、もう二度とできないんだよね。
せっかく、今の球団がようやく成し遂げた5月30日のたった1日、BW復刻記念日になるというのに、
島野さん扮するネッピーには、これからもう二度と会えないんだよね。
こういう球団職員やスタジアムアナウンサーなど裏方の活躍まで注目できる世界はオリックス独特なのかもしれませんよ。
1995年、96年って、私にとっても永遠に帰ってこない15,16歳の頃。
みんな震災で人生のどん底で悲しんだり、復旧作業で死ぬほど働いてましたよね。
そんな人たちを励ましてくれたのは、田口壮やイチローたちだけではありません。
同じように活躍されてきた島野さん、ありがとうございました。
心よりご冥福お祈りします。
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お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
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