I think therefore I Ambinet,and I will chill.
アンビエント=環境音楽を定義するならば、日常の環境に溶け込むほど静かな音楽とも言えるだろうか。
その提唱者であるブライアン・イーノが病院のベッドで聴いていたという壊れかけのラジオ。片チャンネルが駄目になったそのラジオから流れるささやかな音量にイーノがアンビエント。ミュージックというコンセプトのヒントを見つけたという逸話は有名だが、イーノが規定したアンビエントとはエリック・サティ(Erik Satie,1866年-1925年) の家具の音楽というよりも『Music for Airports』に明らかなように聴く場所を限定し、その場所の一部として機能するような音楽を想定していた。
その後オブスキュアやEGといったイーノのレーベルから蒔かれたアンビエントの種はかつてEGのA&Rを勤めていたアレックス・パターソン率いるThe Orb「A Huge・・・」の世界的ヒットにより一気に花咲く。
その果実は93年のアンビエント・サマーで熟し、後のエレクトロニカやフォークトロニカ、ポスト・ロックへつづく道を拓いていった。
ここまでが前段。
重要なのはThe Orbが謳った「アンビエント・ハウス」とイーノの「アンビエント」は似て異なるものだということ。
The Orb以降のアンビエントはチル・アウトとセットで捉えるべきである。
つまり、今日のアンビエント観はチル・アウトというコンセプトを打ち出したKLF『チル・アウト』を嚆矢とするといっていいだろう。
プレスリーやカントリーのレコード、自分たちの作品の断片やフィールド・レコーディングの音素材を組み合わせて紡がれたこのアルバムをもし今はじめて聴く人がいたのなら、その名声に比べて楽曲としての完成度の低さに驚くだろう。
しかし、このアルバムの真の価値は楽曲としてのまとまりのよさ(メロディが良いとか、ハーモニーが美しいとかグルーヴがある)にはない。
前述したとおり「チル・アウト」というコンセプトを打ち出し、それを見事なまでなプレゼンテーションで示したことにあるのだ。
時は隔てて20年。
あの時代のイギリスのように強きをまもり、弱きをくじく社会となった日本でこのコンセプトを受け継いで洗練したアルバムが発表された。
DJ YOGRUT & KOYAS『チル・アウト』がそれだ。
ヒップホップ的手法のカットアップを駆使してチル・アウトのコンセプトを具現化したKLFに比べ、DJ YOGRUT & KOYAS版はハウス以降の音楽観でスムーズにチル・アウトのコンセプトを具現化する。
惜しむらくはご丁寧にKLFへの礼儀を重んじすぎたところ。
チル・アウトのコンセプトを踏襲したトリビュートであるから、このジャケ、このタイトルなのだろうが、それが2010年版KLFだけ(焼き直し)であるかのような誤解を生む余地にもなってしまっている。
AMAZONのカスタマレビューを読んでも、そういう誤解が生じているようだし、正直これは勿体無い!
KLFなぞドコゾのもんじゃい的なフテブテさがあってもよかったんじゃないか。
このアルバムのプレゼンテーションについてはそう思ってしまう。
もっとも、だからこそのアルバム全体を包む柔かい音像とどこかジェントルな響きなのだとも思う。
AMAZON | DJ ヨーグルト&コヤス 『CHILL OUT』(XECD-1127)
アンビエント=環境音楽を定義するならば、日常の環境に溶け込むほど静かな音楽とも言えるだろうか。
その提唱者であるブライアン・イーノが病院のベッドで聴いていたという壊れかけのラジオ。片チャンネルが駄目になったそのラジオから流れるささやかな音量にイーノがアンビエント。ミュージックというコンセプトのヒントを見つけたという逸話は有名だが、イーノが規定したアンビエントとはエリック・サティ(Erik Satie,1866年-1925年) の家具の音楽というよりも『Music for Airports』に明らかなように聴く場所を限定し、その場所の一部として機能するような音楽を想定していた。
その後オブスキュアやEGといったイーノのレーベルから蒔かれたアンビエントの種はかつてEGのA&Rを勤めていたアレックス・パターソン率いるThe Orb「A Huge・・・」の世界的ヒットにより一気に花咲く。
その果実は93年のアンビエント・サマーで熟し、後のエレクトロニカやフォークトロニカ、ポスト・ロックへつづく道を拓いていった。
ここまでが前段。
重要なのはThe Orbが謳った「アンビエント・ハウス」とイーノの「アンビエント」は似て異なるものだということ。
The Orb以降のアンビエントはチル・アウトとセットで捉えるべきである。
つまり、今日のアンビエント観はチル・アウトというコンセプトを打ち出したKLF『チル・アウト』を嚆矢とするといっていいだろう。
プレスリーやカントリーのレコード、自分たちの作品の断片やフィールド・レコーディングの音素材を組み合わせて紡がれたこのアルバムをもし今はじめて聴く人がいたのなら、その名声に比べて楽曲としての完成度の低さに驚くだろう。
しかし、このアルバムの真の価値は楽曲としてのまとまりのよさ(メロディが良いとか、ハーモニーが美しいとかグルーヴがある)にはない。
前述したとおり「チル・アウト」というコンセプトを打ち出し、それを見事なまでなプレゼンテーションで示したことにあるのだ。
時は隔てて20年。
あの時代のイギリスのように強きをまもり、弱きをくじく社会となった日本でこのコンセプトを受け継いで洗練したアルバムが発表された。
DJ YOGRUT & KOYAS『チル・アウト』がそれだ。
ヒップホップ的手法のカットアップを駆使してチル・アウトのコンセプトを具現化したKLFに比べ、DJ YOGRUT & KOYAS版はハウス以降の音楽観でスムーズにチル・アウトのコンセプトを具現化する。
惜しむらくはご丁寧にKLFへの礼儀を重んじすぎたところ。
チル・アウトのコンセプトを踏襲したトリビュートであるから、このジャケ、このタイトルなのだろうが、それが2010年版KLFだけ(焼き直し)であるかのような誤解を生む余地にもなってしまっている。
AMAZONのカスタマレビューを読んでも、そういう誤解が生じているようだし、正直これは勿体無い!
KLFなぞドコゾのもんじゃい的なフテブテさがあってもよかったんじゃないか。
このアルバムのプレゼンテーションについてはそう思ってしまう。
もっとも、だからこそのアルバム全体を包む柔かい音像とどこかジェントルな響きなのだとも思う。
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