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市役所を出て、図書館に向かいます。
横須賀中央から図書館の方にいく坂は「平坂」です。平坂書房(横須賀の人は知っている本屋さん)はこの平坂にあったのです。平坂の下が「下町」平坂の上が「上町」です。昔は下が横須賀、上は豊島だったと聞いています。(うろ覚えなので、間違っているかも知れません)明治39年に豊島町は横須賀町に編入されたそうです。(wikiで調べました)
写真のように、なんだか細い道と、デンと太いまっすぐな道が所々にあります。きっと、旧道と新道なのでしょう。新道といっても、横須賀市電が構想された頃から戦時中にかけて整備された道だと思います。新道のルートはきっと市電が通る道だったのでしょう。
このあと図書館に行きましたが、横須賀市電に関する資料は見つけられませんでした。その代わり、地元の小学校の記念誌などを見つけ、昭和初期の情報がいくつか手に入りました。横須賀市電、そして、その後の横須賀軌道の計画の大本は海軍であり、関東大震災であったようです。
東急武山線を追って、色々調べてきましたが、だんだん話は広がってきて、大正~昭和にかけた三崎街道の交通文化が少しずつ見えてきたようです。ちょっと手を広げすぎたかなぁ。
横須賀中央から図書館の方にいく坂は「平坂」です。平坂書房(横須賀の人は知っている本屋さん)はこの平坂にあったのです。平坂の下が「下町」平坂の上が「上町」です。昔は下が横須賀、上は豊島だったと聞いています。(うろ覚えなので、間違っているかも知れません)明治39年に豊島町は横須賀町に編入されたそうです。(wikiで調べました)
写真のように、なんだか細い道と、デンと太いまっすぐな道が所々にあります。きっと、旧道と新道なのでしょう。新道といっても、横須賀市電が構想された頃から戦時中にかけて整備された道だと思います。新道のルートはきっと市電が通る道だったのでしょう。
このあと図書館に行きましたが、横須賀市電に関する資料は見つけられませんでした。その代わり、地元の小学校の記念誌などを見つけ、昭和初期の情報がいくつか手に入りました。横須賀市電、そして、その後の横須賀軌道の計画の大本は海軍であり、関東大震災であったようです。
東急武山線を追って、色々調べてきましたが、だんだん話は広がってきて、大正~昭和にかけた三崎街道の交通文化が少しずつ見えてきたようです。ちょっと手を広げすぎたかなぁ。
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