京都府京田辺市にある酬恩庵一休寺に行ってきました。
一休寺と言うとおり、宗祖の6代の法孫に当たる一休禅師が、元弘の戦火で復興ならずにいた寺を再興した寺で、宗祖の師恩に報いる意味で「酬恩庵」と命名したそうです。エヘン!(^^)!
・・と、パンフに書いてありました
テレビでも放映されましたね。
↓一応、写進化なので注意書きの2行目が気にかかり、住職に許可を得ようとしたが、気軽に撮影を許可された(爆)
重要文化財の一休禅師木像です。
テレビ漫画のイメージとは違いますが。。
一休禅師は88歳で亡くなりましたが、逝去の年に高弟に命じて等身の像をつくらせ、頭髪と髭はみずからのものを植えつけられたものだそうです。
庭園右側の建物は「虎丘庵」で、一休禅師が京都東山から移して居住したところです。
左側の建物は「御廟所」で、一休禅師のお墓です。
一休禅師は小松天皇の皇子で、このお墓は宮内庁の管轄だそうです。
↓正面から。
この日の見学はこれで終わり、京都市内のホテルへと向かいました。
翌日は本山へお参りし、帰りに土産物店へ立ち寄りました。
コアネーから、京都の油取り紙をお土産に頼まれました^^;
今年の1月にお父さんを亡くした幼なじみの女性も参加していたので探してもらいましたが、ここには売っていないようでした。
ハンカチにネームを縫いつけてくれるコーナーがあり、妻や子どもの名前を縫いつけてもらったのをお土産にしました。
もっとも、母や親戚には食べ物を買いましたが(笑)
この団参は、父はもとより、幼いころ地域でお世話になった故人を偲ぶ有意義なものでした。
今回は画像が多くなりましたが、以上で京都の本山参りの記事は終わります。
ごらんいただきありがとうございました。
アニメの一休さんは世代ですので見てましたが
そこらへんは知りませんでしたわ!
で!
さすが京都!
どこを撮っても和の香りですね!
絵になってます~~!
いい所でした。^^
私が春に京都に行った時は雨で散々だったのですが、雨男の怪長の時に雨が降らないのはおかしい。
どうも私の日頃の善行を全部吸い取られているようです。(爆)
でも、少しでも紅葉が見られたら良かったですね。
京都らしさを感じていただき、ありがとうございます^^
京都や奈良は、本当に日本の香りを感じるところですね。
私もここへ行くまでは、一休禅師が天皇の皇子だったとは知りませんでした。
テレビ漫画が放映されていたころは、コアニーが小さいときで、アニメの一休さんに似ていたようで、近所からは一休さんと呼ばれていました。
どうりで、似ていると言われたのも理解できましたよ
この寺でも緑色のモミジがあちこちで見かけましたから、あと1か月ほど遅く行ったら紅葉がきれいだなと思いましたね。
でも、そのころは京都の旅館やホテルは予約で満員でしょうね。
そういえば、takesanさんも今年行かれましたね。雨のレポートは覚えていますよ。
いつの間にか、私が雨男になっているようで(爆)
やはり我々一行は、功徳を積みに行ったのだから天も味方していただいたのでしょう。
この寺の住職さんが言っておられたが、前日の台風で、庭に葉っぱなどが落ちて我々が来るまで一生懸命掃除をしていたそうですよ。
翌日、本山に参ってお堂の中に通され、30ページ以上にわたるお経の本を渡されたが、引率したすべての住職は本を見ないでお経を唱えてましたね。
古賀メロディで好きな歌は、字幕なしで歌えるのだが、これだけは私にはできないと思いましたね^^;
このところ、朝晩の冷え込みで山陰は街路樹も少しずつ色づき始めました。
写進化活動の意欲がわいてくる時期になりました(笑)
着いた日は2箇所お寺巡りをしましたが、法要を目的に訪れたのは初めてでしたから、ちょっと観光気分とは違う感慨も覚えましたね。
肉親を亡くした者同士が一堂に会して団参するのは、お互いの心の傷を慰めるいい機会だと感じました。
瓦のコケがいい感じですね~
>きちんと許可を得る所なんかさすがプロですね(笑)
おぉ!ツッコミありがとうです(笑)
これを几帳面と言ってほしいなぁ(爆)
この張り紙は上がり口のところに貼ってあったのですが、本当は帰るときに気づいたのですよ(笑)
室内撮影禁止の施設ならあちこちにわかるように貼ってあるし、入口にもよく目につくようにしてあるのが普通ですが、堂内ではそれが目につきませんでした。
庭園前の縁側で住職の説明が終わってから、撮影の可否を聞いたら、遠慮なくどうぞと言われました。
後でこの張り紙を見て、プロの写進化の風格がなかったのかとがっくりと来ましたが