岡山県へ行ってきました。
遠距離なので、今回は月光仮面号でなく、「里無人号」です(笑)
真庭市にある旧遷喬(せんきょう)尋常小学校です。
山陰の写進化仲間のゆるポタさん、ぽん太さん(いつかさん、れびんさんも行ったことあるかな(笑))らは既に行っているのですが、私だけ行ったことがありませんでした。
旧遷喬尋常小学校は、1874年(明治7)に久世村の津山藩の御蔵(年貢米倉庫)を校舎として開校され、1907年(明治40)に、増加する生徒数に対応するため移転新築されました。
TOP画像の建物が、今に残る小学校本館です。校舎外観は、シンメトリーなデザインになっています。
遷喬小学校は1990(平成2)に役目を終え、1999年(平成11)に国指定重要文化財となり、現在は公益財団法人が管理し、一般公開(無料)されています。
遷喬尋常小学校の校名は、教育者山田方谷が、中国の古典、詩経の一節「出自幽谷、遷于喬木」(幽谷より出でて喬木(きょうぼく)に遷(のぼ)る)から2文字をとって「遷喬」と名づけられました。
ウグイスが深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移ることに例えて、学問に励み立身出世するという意味だそうです。エヘン!(^^)!(パンフより抜粋)
受付の方に、どこから来られましたかと言われ、鳥取から来ましたと言ったら、鳥取市にも遷喬小学校(現在も存在)があり、そことかつては姉妹校になっていたと説明を受けました。
鳥取市の遷喬小は海が近く、真庭市は山間部に位置していて、海と山との同名校ということで交流をされていたそうです。
卒業生が制作した作品が廊下に展示されています。
私が小学生か中学生のころに、テレビで木下恵介アワーの「記念樹」という番組を見ました。
養護施設に入所している子どもたちと、保母さんとの交流を描いた番組でした。
保母は、馬淵晴子が演じていましたね。
主題歌は、小坂一也が歌っていました。
桜の苗が 大きく育つころ 僕らはみんな 大人になるんだ・・・
日照りが続きゃ どうしているだろと おまえのことが気にかかる・・・
みんなで植えた 桜に春が来て 今年も花が優しく匂う・・・
歌詞は私の脳裏に残っている、うろ覚えで記載したので、間違っているかもしれません。ご了承ください。
中学校の美術の先生が「記念樹」のことを話され、歌詞を知っている人は手を挙げてと言われ、だれも手を挙げる同級生がおらず、私が恥を忍んで黒板に書いたことがありました。それをみんなで歌ったことを思い出します。
その美術の先生は女の先生で、よく授業を脱線されました(笑)
螺旋状の階段を上って2階へ行ってみました。
私が小学校のときの学舎も木造でした。
当時の机は画像のようなものではなく、すべて木製で、2つにつながっていました。
先日、ローカルニュースで、既にこの時期に大型スーパーでは来年入学用のランドセルの注文が始まっていると報じていました。
しかも、値段が14~5万円のもあるようですよ。
ウ・ウ・ウ~~ム。。。
これから貯金しないと、これでは孫が入学するときに買ってやれないなぁ。。。
私の小学校では各教室にオルガンがありました。
1年生のときの担任はT先生という女性の先生で、2年生まで教わりました。
先生は、その日の授業の前に、みんなを椅子の後ろに手を回させ目を閉じると、やがてオルガンでフォスターの「故郷の人々」を引いてから授業を始められました。
蛇の目傘も懐かしいですね~。
私の小学校のころばかり話して恐縮ですが、廊下の上にこのように番号を振って蛇の目傘が架けてありました。
雨雨降れ降れ 母さんが 蛇の目でお迎えうれしいな・・・
下校時に雨が降っていると、傘の貸し出し簿に名前を書いて、蛇の目傘を借りて帰りました。
この歌詞のように、玄関に親が出迎える光景もありましたが、私の場合は両親とも働いていたので、傘を借りて帰ることが多かったですね。
旧遷喬尋常小学校を訪ね、幼いころをいろいろ思い出しました。
さて、岡山での写進化活動は、実は遷喬小学校は一番最後に訪ねたところでした。
次回は、最初に訪ねたところを紹介させてもらいます。
カメラ:OLYMPUS OM-D
僕の垂れ流しブログとは質が違います。
ココは廃校の中でもいちばんのお気に入りで
もう4回行きました。
何度行って飽きない味わいのある校舎ですね。
最近、撮影をご一緒できなくて残念ですね
たまにはどっか行きましょう。
最近のことは何をしていたか、昨日のことさえも忘れてしまうのですが、不思議と子どものころのことは覚えていますね(笑)
ぽん太さんは4回行かれましたか。私は一昨日行きましたが、また行ってみたくなりました(笑)
>僕の垂れ流しブログとは質が違います。
いえいえ、ぽん太さんはすばらしい画像ばかりですから、UPされるだけでいいのですよ。
確かに、画像は用意できても文章が思い浮かんでこなくて、UPが滞ってしまうこともありますよね。
すばらしい画像が撮れたのに、親父ギャグが思い浮かばずUPできないのは返す返すも残念なので(爆)、そういうときは私も文章はほとんど書かないことが多いですね。
そういえば、今年は新年会でお会いしてから会ってないような(笑)
桜撮影のときも日程が合わなくて、私は失礼させてもらいましたが、またどこかで写進化活動もしたいですね。
いつも以上の大作記事に、その感動具合が伝わってきますよ(笑)
ここは、何年経っても変わらない良い場所です。
ほんとに昔を思い出しますよね。
>いつも以上の大作記事に、その感動具合が伝わってきますよ(笑)
おいらは常に大作記事を掲載すべく、健筆を振るってるつもりなのだが、それがなニカッ
まあ、ここへ一度は行っておかないと、いつ怪長不信任決議案を提出されるかわからないからね(爆)
岡山県は、昔から教育に情熱を注いでいるのがわかりましたよ。
閑谷学校、吹屋小学校やこの遷喬小学校が当時のまま保存され、教育の大切さが伝わってきますね。
無料で中に入れるのも最高です^^
鳥取市の遷喬小学校と姉妹校というのは知りませんでした
さすがヲアニーさんいろいろと知識を仕入れていますね
そういえばいつかさんも、ゆるポタさん、ぽん太さん、れびんさんらと一昨年勝山の雛祭りに行ったときに、ここへも立ち寄られましたね。
鳥取市内にも遷喬小学校があり、もしかしたらと思っていたら、かつて同名校ということで交流をしていたようです。
ただ旧校舎を残すのでなく、こうして公開されることで、我々世代もいろいろと考えさせられることがありますね。
どうでもいいことなのジャが、オヌシのこのコメントがちょうど9,100件目だったのジャよ。
コメントも1万件を超えたら、怪長職も後進に道を譲ってもいいと思っているのジャが。。。
これを読んだ某お方も、最近ブログ怪説10周年を迎えたそうで、怪長職を虎視眈々とねらっているということを仄聞するのジャが。。。
次期怪長職をねらう某お方は、それを聞くと1件の記事に怒濤のように迷惑コメントを書き込みことが予想されるジャて、くれぐれもここだけの話にしてほしいのジャよ。
ムハハハハ~~~~