帝釈天参道商店街を約200mほど歩くと、帝釈天二天門に突き当たります。
帝釈天は、日蓮宗「経栄山題経寺」が正式な呼び名で、江戸時代初めに開創されたそうです。
(余り大きな声では言えませんが、本堂前の賽銭箱に賽銭を入れたのですが、帝釈天は神社か寺かわからず、手をたたくのか合わせるのか迷ってしまいました。他の方の作法を見たら手を合わせていたので、それに習いました(笑))
私は地元では、この元旦祭まで神社役員を務めさせてもらいました。今も寺の役員を仰せつかってはいますが、これではいけませんね~
本堂前の松の枝が長く伸びています。瑞龍松と言うそうです。
画像真ん中上に白いものが見えますが、レンズにゴミが付着しているのではなく、飛行機です(笑)
帝釈天から約3~400mほど歩くと、矢切の渡しに着きます。
この光景も、映画のシーンによく出てきましたね。
柴又公園の上からは、スカイツリーも見えます。
実は、友人たちと翌日にスカイツリーに行きましたが、残念ながら翌日は東京は積雪がありました(笑)
(山陰写進化狂会怪員で雨男と呼ばれる方がいますが、関東地方の友人にも雨男がいるのかなぁ。。。)
友人が、あらかじめスカイツリーの展望入場券を購入してくれていたので展望台には上りましたが、雪と霧で全く下界は見えませんでした
葛飾柴又と千葉県松戸市矢切を結ぶ江戸川の渡し船が「矢切の渡し」です。
その歴史は江戸時代にまでさかのぼり、幕府が地元農民のために設けた利根川水系河川15箇所の渡し場の一つだそうです。
今も渡しとして、手こぎの舟が江戸川を往来していますが、かつては公営で運行されその後民営となり、今は個人で運行されているそうです。
利用客の大半は観光客ですが、夏季は毎日、冬季は土日、祝日と「庚申の日」のみの運行となっているようです。
庚申の日は、帝釈天の縁日のようですね。1779年に帝釈天本堂が修理された際、板本尊が庚申の日に発見されたため、以後庚申の日を帝釈天の縁日と定めたそうです。エヘン!(^^)!
(と・と・ところで、「庚申の日」とはいつの日でしょうねぇ)
時間の関係で、渡し船乗り場まで行きませんでした。
江戸川の土手からパノラマで。(NikonCOOLPIXで撮影)
大きく見るには → こちら
帝釈天、矢切の渡しの見物を終え、次は「寅さん記念館」へ行ってみました。柴又最後の見学地です。
続く・・・
(カメラ:OLYMPUS OM-D)
天気の良い日に出向けて、良かったです。
暖冬とはいえ、夫婦共々、少しの寒さに
ちょっと怯んでしまっています。