天竜峡を散策中、「モンテンルパの碑」と書いてある標識が目に入った。これを見て、ある歌を思い浮かべた。
渡辺はま子が歌った「ああモンテンルパの夜は更けて」である。
この碑につられて、私だけちょっとみんなの歩くコースを外れてみた。
フィリピンのマニラ郊外のモンテンルパ刑務所では、終戦後、日本のB・C級戦犯が収容されていた。作詞がB級戦犯死刑囚の代田銀太郎さん、作曲がB級戦犯死刑囚の伊藤正康さんで、作詞者が長野県の出身の方だと、この旅行で初めて知りました。
私にとって、この旅行での長野県の新発見でした。
渡辺はま子は、戦後7年を経過した昭和27年にこの刑務所を慰問し、酷暑の中を振り袖を着て「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌い、この歌が流れると会場の中からすすり泣きが聞こえたそうです。
翌年、オルゴールでこの歌を聞いた当時のフィリピンの大統領は、モンテンルパの収容所の戦犯が作詞作曲したと聞いて、こんなに優しい哀しい歌をつくったことに感激し、死刑囚を含むすべての戦犯が大統領の特赦を受けて釈放され、帰国が決まりました。
横浜港で、釈放された人たちの帰国を待ちわびる群衆の中に、渡辺はま子さんの姿もあったそうです。
数か月前、仕事の関係で他機関の職員数人と飲む機会があり、二次会で米子市内のスナックに行った。そこには3人ほどフィリピンから働きに来ている女性がいた。
モンテンルパのことを話すと、その地名は知っていた。
そして、カラオケでこの歌を歌ったら、歌詞の意味がわかったらしく、彼女らは涙を流して聞いてくれた。私も、途中で詰まりかけたが何とか最後まで歌えた。
♪モンテンルパに 朝が来りゃ 昇る心の 太陽を・・・
強く生きよう 倒れまい 日本の土を 踏むまでは
生きて本国の家族に会おうという強靱な意志が伝わってきます。
いろいろとたくさんの唄が出てきますね。本当にびっくりします。また、その関係のことはよくご存じで感心しています。
どこに行っても昔の唄の碑があり、同じように旅しても私たちよりも楽しみが多いですね。これまたうらやましい限りです。
父が実家から持ってきていた蓄音機を、小さいころ聞いていて懐メロを覚えました。
子どものころ聞いた歌で、いい歌は、いつまでも心に残るものですね。
モンテンルパのことを更に知ることができて、今回の旅行は意義があったと思っています。
父の長兄は、フィリピンで戦死しました。実家に連れていかれると、最初に必ず仏前で手を合わせるよう言われました。今でもその癖がついています。
妻の母の兄弟も同じですが、義母は数回フィリピンに慰霊に行っています。
私の息子と娘の、不要となった服や靴をことづけて、現地へ置いて帰ってもらったこともあります。
今日は雨降りで寒かったです。明日は、日中から徐々に天気は回復してくるようで、明日の夜9時のマークはお月さんになってますよ~~^^
また、身近な関連でのお話も興味深く拝見
させて頂きました。
またまたですが、朝日新聞に戦前の弔問団の記事も
出ており、偶然ではありますが、戦前・戦後の
ご苦労を背負った先人達への想いに耽りました。
本文には詳しく書かなかったのですが、渡辺はま子も虜囚となり一年も収容所に入っていたそうです。
当然フィリピンから入国許可は降りないことがわかっていながら、逮捕されて戦犯としてモンテンルパの刑務所に入れられるのを覚悟で、香港経由で強行入国したそうです。
渡辺はま子がフィリピンに行かなかったら、戦犯の釈放がなかったかもしれませんね。すごい歌手だったのだなと改めて思いました。
作詞された代田(しろた)銀太郎さんは、今年6月、92歳の天寿を全うされてお亡くなりになったそうです。