地震といえば、いちばん怖かったのはやはり2011年3月11日の東日本大震災だ。
当時、豊島区の日本語学校で教師をしていたが、変則的な休日の取り方をしていて、金曜日に休み、日曜日に出勤していた。あの日、家にいて、テレビを見ていたと思う。突然揺れ出し、これはいつもと違う、かなり大きいぞと思い、家具類を押さえながら、一緒に暮らしている母に「あわてないで!大丈夫だから。」と声をかけたのを覚えている。
あの時の地震は今回の熊本の地震と違って、余震がそんなに長く続くことはなかった。夜になって、交通網が遮断されたため、帰宅難民というのが出て、大勢の人が家に帰れなくなった。東京で働いている兄から、バスの情報を教えてくれと電話がきた。だが、全くどうにもできない。兄は会社に泊まった。
翌日、土曜日、東京の職場に出勤したら、男性の教師と学生は、長テーブルをベッドにして睡眠を取り、女性教師や学生はカプセルホテルに泊まったそうだ。それから各地の被害状況が明らかになったが、地震による被害はそれほど多くなくて、津波による被害が大変なものだということが明らかに、そして福島原発の事故も発生し、放射能漏れに対して、多くの風評被害が出た。
驚いたことがある。日本人社会では考えられないことだが、中国人たちはみなツイッターで、東京は放射能がいっぱいだ。と噂を流しあっていたことだ。中国人の教師も学生もみな、また、中国人の友人も、その多くが地震の後で、帰国したのか、いなくなってしまった。団地の中に住んでいた中国人の知り合いも旅行バッグを抱えて出かけていたので、尋ねれば、国へ帰りますと言う。
学校は学生がほとんどいなくなり、臨時休校を余儀なくされた。不思議なことに給与もカットされた。約3週間、花見に行く気分にもなれず、買い物や散歩に出かけるくらいだった。四月に入って、横浜中華街に行くと、多くの店で料理人がいないため、店を閉めていた。
あれから5年、今年は熊本で直下型地震だ。活断層に沿って、熊本を中心に前震、余震、本震と発生し、すでに最初の地震から四日目になるが、未だ余震が続いている。そこへ台風のような強風、豪雨が九州を襲っている。死者41人と聞いている。倒れた家屋、家を亡くした人たちの未来への不安、今もおびえながら避難生活を続けている人、さらに増え続ける被害と避難生活者。ただ祈るほかない、大地よ、沈まれ!
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