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死と生

2015-03-11 | 日記

鳥羽院の北面の武士として仕えていた佐藤義清(さとうのりきよ1118-1190)は、23歳の時、友人の死に接して、無常を感じ、出家したという。西行法師である。

西行はその後、諸国を行脚して歌を読み、歌集「山家集」を編んだ。そして1192年の

満開の桜のもと、亡くなった。

「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」

身近な人の死を通して、人は変化する。私の場合、大学生4年生の冬、親友が自殺した。葬儀の日、私は彼の頭をかかえ、彼の亡骸を棺に納めた。彼の体は大きく、棺は小さかった。彼の兄が「首を曲げてもいいです」と言い、私は涙をぼろぼろ流しながら、彼の亡骸を棺に納めた。窓には不思議なことに黒猫がいた。焼却場で彼の兄が言った。弟は弱かった。あなたたちには精一杯彼の分も生きてほしいと言われた。

以来、私の心には彼がずっと生きている。人は死を乗り越えてたくましく生きて行く。否、人の死を乗り越えなければならないと思う。死は身近にある。被災地の人たちの心は私の場合と比べられるものではないが、身近な死に接して、人は変わる。死の反対にある生を前向きにとらえなければならないと思う。

テレビで見た。お婆ちゃん、両親、妹を失い、今、おじいちゃんと二人で仮設住宅で生活しているという男の子が出ていた。明るかった。元気だった。元気に見せているのかもしれない。そうするしかないということかもしれない。しかし、私には彼がすばらしい大人になると予感した。死に接して、人は前向きに生をとらえられると信じているからだ。逆に言えば、「死」に接しなければ、「生」を前向きにとらえるのは難しいのではないかと思っている。

 



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