MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



誰が使い始めたか、不要不急と言う言葉。

 

通常に、ニュースで使う言葉かいね?不勉強なだけなのやも知れぬが、あまり耳慣れぬ言葉であった。然し、如何にも、日本人的な曖昧さに満ち満ちた言葉である。誰も定義出来ない言葉をニュースで言い続けることで、外出自体がダメなように聞こえるようにしているのであるから。

 

今は外出を完全に規制する法律なんぞ何もないのは事実。良いかどうかはさておき。

 

飲食店に対してもそう。

 

8時以降は営業するな、とか、そもそも昼間も営業するな、とか、店先に貼り紙とかすること自体、逆にそれが犯罪だ。ともすると、威力業務妨害罪。外出禁止とか営業禁止の法律は無いけど、店先に嫌がらせの貼り紙するのは完全に、1億パーセント違法。真っ黒だからね。

 

こう言う馬鹿な行為、つまり、私刑履行が正義だと勘違いしている愚行を許す風潮があることが気持ち悪い。全然その資格なんぞないのにな。須らく、due processとaccountabilityですべき。今、精神論的な話ばかりで本当に気持ち悪い。きちんと説明出来る政治家が1人も居ない。本当に1人も。ヤバいよな、この状況…。政治屋しか居ないんだもの。

 

基本的にsmall governmentでの国家運営しか求めておらず、自由主義的な思想に加えて法原理主義者に近いので、明文化されている事項に違反したら厳に罰せられるべきだが、そうでない限り自己責任でお上に干渉さるるべからず、と思っている。大体において、たかが政治屋に四の五の言われる覚えはない。その世界しか知らぬ知性の低い輩ばかりが蔓延る昨今、自分でも律しきれないくせに、『不要不急の外出は避けて』なんて言うのは烏滸がましい。やる事、つまり外出禁止令を出しそして補償金を払う、と言うことまでした上で、何かを言えと。

 

ICUで故奥平康弘教授に師事し、学べた事を元に、上述のようなスタンスを取り続けている。

 

もっと言えば、学生時代に学んだことから導出されたmottoとしては、常にalternativeを与えられる存在になる、と言う事だった。故に、誰かに選択肢を狭められるような事態には辟易とする。此処で法律論など論じることはしないが、公共の福祉に反しない限り、と言うことは基本である。疫学的に、外出しなければ、ウィルスを撒き散らす事がないと言うのは明々白々であり、罹患者を多くしないように、と言うのは当然の結論である。

 

故、罹患者を増大させない為の施策=公共の福祉に資する、と言う図式を明確に示せれば、現に外出禁止令を出しても良いと思っている。補償金を払うことで、取るべき選択肢が1つ増え、それが今の上述では正しい選択肢なのだと言えるようにするべきだ。

 

現にヨーロッパではその政策を取っている。日本はそのあたり、説明責任を果たせる政治屋も居ないし、過度に個人の自由を守ると言うスタンスに靡くあまり、法制化することに至らない。いや、もちろん、誰とも触れない、何にも触れないような外出を禁止する謂れはないのだがね。実際、FranceでもItaliaでもNZでも散歩やランニングは禁止などしていない。

 

みらんちゃんとのお散歩すら、中々に気を遣っての行動になっているが、必要であればそれすら自粛する。完全に自粛するのは買い物とかに行く以上無理だけどさ。

 

世知辛い世の中だけど、仕方ない。



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