MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



毎朝のことですが、保育園へ向かう姿が楽しそうで。

お迎えに行った帰り道に色々と話しをしますが、必ず今日は楽しかった?と聞いてまして。ほぼ100%楽しかったぁ!!って答えるんですね。たまに違う時があると、何か嫌なことあった?って掘り下げるんですが。そう言う時は、必ず、何か嫌なことがあったらパパが守るからね、と伝えています。絶対的に親は味方だと小さい時から意識付けしたい。バカでもアホでも親は親。どう見られているのかは分からんが、少なくとも親としては絶対見捨てることはないと。


そして彼にとって理不尽で耐えられないような何か嫌なことがあったとき、相手に対しての攻勢としては、物理的なことを除外して、徹底的に相手を論破して、論理的に逃げ道ない状態で、必ず最後は蟠り無くみらんくんに謝ってもらう状態を作る。


相手が子供ならやらないけど(と言うか子供が理不尽なこと出来るようになるにはまだ先かな、と)、仮に教師とか、その他みらんくんよりも年長の人間が、大人だから的な理不尽なことをさせたりしたら、コテンパンにやる、論理的にね。ビデオ撮りながら、論理矛盾を全て突く。親の気持ちや希望を過度に押し付けるのは嫌だけど、ネガティブなことが彼に発生した時は、フルスペックで論理攻撃をする。これがおいらの親としての最低限の責務だと思っているんで。

なんと言われようがその信念は曲げない。



まぁ、今の処、保育園ではそれはないっぽいし、寧ろ逆に、本当に楽しく保育園で過ごしてくれているようだし、親の立場から見ていてもとても良い保育園に見えますんであんまり心配はしていないんだけどね。良い保育園だと思ってますし、寧ろ、感謝しています。



見ていて分かるけど、保育園に行きたくないーとかなったこと殆どないもんねぇ。まだ言葉にして上手く伝えられない時に、多少なりとも感情的に登園したくないと言うようなことがあったかもだけれども、ここ最近、今の処感じられないんでね。お友達も先生も良い環境で恵まれているんではないかなぁと。



仮に何か嫌なことが発生していたとして、それを見逃していたら100%親の責任だよねぇ。だからこそ、可能な限り色々と話しをするようにしている。As-Isの把握を常に怠らない。自分の子だからね。大切だし、良い子に育って欲しいのだったら、親子としての会話はきちんとオープンな形で責任を取れる状態に常にしておかないといけないと思ってるんで。



可愛すぎて、盲目的になっている部分はあるんだけど、Hot heart cool mindで接しないといけないと思っているのよねぇ。

別に冷めた氣持ちでなんて言うつもりはないけれど、子供のため、子供のため、とそればっかり言っているようでは親としては失格。子供と親と、またそれ以外の家族と、更にそれ以外のうちの子を知ってくれている人と、全くの他人と、その適切な距離感、会話、コミュニケーション、あらゆる感覚で、自分の子供だけに着目して家やその他のことを疎かに、、、なんて言う話あってはいけないと思っています。だからこそ、常に何かやれてないことがあるんではないかなと思ってますね。母親には母親にしか出来ないことあるだろうけど、父親だからこその、父親への期待値やRole And Responsibilityがあるだろうな、と。



どこかに行くときに運転をするのはおいらで、その時に奥さんもみらんくんも寝たければどうぞ、と言うようなこともそれは一つのRole And Responsibilityだと思うんですわ。そう言う棲み分けがあって然るべきと。そうこうしているうちに、みらんくんなりに、親への接し方を変えて、都合よくすることもあろうけど、それで良いと思っています。

楽しんでくるんだよー。
愛してるよ、みらんくん❤



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