MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



今年は一人だけ大学のサッカー部の後輩の就職活動を支援したが、本命に近い会社をいくつか内定をもらったとの連絡をもらって一安心だ。

自分が大学3年生の時、就職協定がなくなり企業側は前年踏襲でいくところと、独自路線を取るところと、様々な対応を学生側もせねばならず戸惑ところが多かった。その当時はインターネットで就職活動なんていうものは主流でもなんでもなく、せっせとハガキを書いて資料請求をするところがスタートラインだった。そのハガキも御丁寧に色々な“学生支援団体”なるところがいずこより我々学生の名簿を買い自宅へ就活キットが送られた中のハガキを使うのが主流だった。

それも残念ながら偏差値の高い大学だけに送られる資料請求用のハガキがあったりね…。

最近も、とある人と話をしていたのであるが、彼の持論で人間18歳の段階で最大限の努力をしないとまともな大学には行けない。逆にきちんと努力すればその年代で出逢う人間の質によってその後の人生の深みに繋がる、と。別に偏差値の高い大学に行ったからと行ってイコール高収入になる訳ではなく、と言うか保証されている訳ではない。但し、高偏差値の大学に行けば優秀な人間に出会う確率は上がり研鑽する機会も増えるのは事実だろう。確率論的に、逆に(大変失礼ながら)それなりの大学から超優秀な人材が排出されることはやはり少ない…。人間一人で生きている訳ではないから、社会の中でそれなりに貢献や自己実現を達成していくためには、ある一定の企業や地位がなければならないのは事実。現実にそれなりの大学の人が社会を動かしているのは事実。それに文句言う奴は大概運もある、などと言うが、その運もある程度以上の偏差値の大学の中でもまれてきた人のは当たる確率が高くなる。


別にこれは宝くじではないのだから万人に平等である必要性は全くないのだから。


その時に出会った人たちとの会話の中から何を掴みとるか、周りの人間の質が高ければやはり「教養」が高まり、繋がりが出て、その後の人生においても何かとお互い助け合うことが出来たりする可能性が高くなる、と。おいらはその当時はどうしても東大法学部に行って弁護士!と思っていたのだが、あっさり不合格、、、結局二浪して私大であるICUに行ったがまぁそれは結果的に意図があって選んだので非常に良い選択だったと思っている。浪人時代に読んだ憲法学の本に感銘して、その著者がどこにいらっしゃるのかを調べた結果ICUだった、と言うことで選んだから。

今でも著者である恩師奥平教授には感謝している。

しかし事実としては二浪して大学に入った訳で、その彼が言う18歳時点での努力と言うのは多分足らなかったのだろうね。。。好きなサッカーも出来なくなったしね。中学の時の高校受験では精一杯勉強した結果自分なりに納得して高校に入り、勉強、サッカーと打ち込めたが、東京の高校では勉強の話があったのはほんのごく一部だったからやはり環境と言うのは重要だったのだろう。勿論卒業した高校のクラスメートが全て合わなかった訳ではないが、「トウダイ(東大)を受ける」と言った会話をしたときに、「どこのトウダイ(灯台)?」と聞いてきたのはビックリした。そういう意味で、まぁ、高校1年生の時に無理矢理転校させられたのは大きい。何が楽しくて高校受験を二回もせねばならんのか、と思いながら東京での2年間過ごしたのであるから。東京に来てからの二年間はそれなりに勉強したと思っていたが、ある時故郷の名古屋に帰って、更にずっとお世話になっていた塾(中学から高校1年生までずっと通っていたおいらの人生にとって非常に大きな塾だった!)に行ったとき二年間の遅れを痛感した。

時既に遅しだったがね…。

実際自分はそんな二浪した人生だったが大学時代は非常に楽しく過ごした。ここではそれは割愛するが、現実として卒業したときの年齢は24歳。当たり前だ。二年大学入学が遅れたのであるから。当時はそんなことなら大学院に行って勉強、と思っていたが就職しろと親に言われ急遽就活を始めた。大学3年生の2月くらいだ。のほほんとサークルの春合宿に行く準備をしていたのだが、携帯を慌てて買った記憶があるw。その時はポケベルしか持っていなかったからね。スーツは何着か持っていたが、ベージュ、グレー、グリーン、ブルー。。。いわゆる紺色の就活スーツなんて持っていなかったので慌てて買ったな。。。

まぁその後はやる気のみ。

2月後半から5月の頭に内定もらうまでの間、120人以上OB訪問した。実際には大学の先輩に会った後にその会社の他大の人を芋づる式に紹介してもらったので必ずしも「OB」訪問ではないが、社会人を訪問したと言う意味でOB訪問をしまくった。その時思ったのは、なんでこの時期に一斉に就職活動するんだろう。なんで22歳の現役は優遇されるんだろう、など色々と疑問に思った。ある意味我々団塊ジュニア世代は何をするにも競争率は非常に高い。高校受験、大学受験にしても物凄い大変だったのだが、当然就職活動も大変な訳である。狭き門をくぐろうとすれば当然努力を人並みにしていたら人並みな結果しか得られない訳だから兎に角時間効率的に就職活動をした。人生で何を実現したいのか、真面目に考えそれがどこの会社で実現する方向に行くのかだけをOB訪問で聴きまくった。残念ながら名が通っているかどうかなんて関係なかった。自分の方がやりたいことが決まっていてある意味明確で、俺は一部上場企業の部長だ、と偉そうに出てくる社会人(OBとは限らず)もいる中で、心の中で夢もなく会社の歯車にもなっていない可能性がある癖に偉そうなこと言うな、と見切った人もいたが、逆に本当に真面目に相談に乗ってくれるOBが大勢いた。そう言う意味でICUの先輩にはホントにお世話になったが、やはり何故こんな一斉に、新卒学生なんぞに何も仕事など期待していないのに採用活動をするのか、と言うのが当時の疑問だった。

大学1年生の時に留学したEnglandのYorkで聞いた話では、イギリス人は大学卒業した後世界中旅行して回ったり、ボランティアしたりした後に就職活動をするらしい。また、MBAで行ったItalyのMilanoで聞いた話では、そもそもイタリア人は大学卒業平均年齢が28歳から29歳らしく、その後社会人になるかどうか決めるらしい…。まぁそこまで悠長なこと言っているのはある意味お国柄なのかも知れないが、一律に22歳で、しかも企業側は欧米のように大学で何を学んだかなんてカケラも期待していない状況で何を求めて新卒採用をしていくのだろうか。。。2010年3月29日のオピニオン面の「領空侵犯」のコーナーでボストンコンサルティンググループの御立さんがインタビューに答えられているが、大学の卒業時期を年に4回くらいに分けてそれぞれで採用するのはありではないだろうか。大学側だけではなく、企業側にも多様性があれば、本当に優秀な人間がセレクトされる可能性は高い。海外で放浪している中で何かを見出したりした奴の方が、サークル活動だけやっていて事実上飲み会ばかりしていた奴よりも恐らく優秀だろう。仮に偏差値が低い大学でも就職活動を始めよう、と思った瞬間までの経験やスキルが高ければそれだけ良い機会を得る可能性は上がるだろうし。それならば、前言の話と矛盾はするが18歳の努力ではなく23-4歳くらいまでの努力でその後の人生を決められる可能性だって広がる。

子供の人数が少なくなってきている中で、企業側としても選ぶ人数が同じであれば優秀な人の確率は下がるのは統計的に必定。そう言う意味で同じ人数を同じタイミングで採用しようとするところが間違っている。別のタイミングで、別の経験をした人間を採用した方が優秀な人に当たる確率が上がるのではないかね。だからと言って文科省の言うような決められた路線でのインターンやボランティアなどではなく、本当に多様性のある大学生活を送れるような、それを社会的にも需要できるような仕組みや流れが必要なんだろうなぁ。。。



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