MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



おいらのBlogは「ミラノ通信」なんだけどもサブタイトルとして「我が為すことは、我のみぞ知る」と付けている。

これ2004年にBlogを書き始めた当初から付けているんだけども、昔から竜馬が大好きでその関連の読み物や漫画を多く読んでいて、その時取りも直さずこのサブタイトルが浮かび付けた。付けた心境、背景は今でも変わらない。

当時は外資系コンサルティング会社にいて(途中から外資系ではなくなったけどw)そこを辞めてまで行くミラノでMBAってなんなの?と少なからず言われた。心境的には誰かに完全に納得してもらおうなんて思わなかったけど、少なからず自分はブレたくないなと思っていた。HarvardとかInseadとかLBSとかなら兎も角ミラノのMBAってなに?!と言われていたけどね。そう言う問題じゃなかったのです。別にHBSやSloanに行ったところで将来的にやりたい仕事には何ら関係はないなら何故行くの?キャリアチェンジでMBAに行ってIBやコンサルに行くため?!帰ってきたら年収1500万円目指す?!今時そんなこと言われても無理でしょう…。MBAに行けば潰しが利くなんて有り得ないから。

留学ってお金掛かるんです。なのに自分の将来に関係ない方向性に1000万円以上のコストをかけていきますか?と内心思ってましたわね。。自費での留学にそんな無駄なことは出来ない。逆に関係があると信じていたから年収○○○○円を捨ててまでミラノに行った訳。そんな時に一々誰かに説明するのもなぁと思って、ミラノ生活を書き記すこのBlogのサブタイトルを「「世の人は我を何とも言はば言え 我が為すことは我のみぞ知る」から下の句を取った。

大政奉還させられたと感じる幕府側は勿論、薩長や土佐からもある意味誤解や恨みをされた竜馬。誰からもサポートされていたかと言えば、当時の状況から言えば完全なるパラダイム転換を図るために東奔西走した竜馬。ややもすると既得権益を失いかねない幕藩体制の中心にいた幕臣や各地の藩主やその近臣に疎ましがられていたかも知れない。それでも熱心に説き伏せて、最終的に自身忸怩たる思いのある政敵後藤象二郎に大政奉還の建白書を出させた訳だ。結果的には大政奉還がなければ日本はここまで発展しなかったかも知れない訳だ。明治新政府を見ることなく近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺されたが、33歳にして充分に活躍出来たと死に行く際に思えたのだろうか…。いや、そんなことないんだろうな。天寿全う迄働き尽して死にたかった筈だ。生涯働きたかったんだろうなぁ。おいらも死ぬ迄勉強していたいし、仕事していたいな、と思っている。

自分の夢、今は奥さんに支えられて実行出来ているけど誠実にクライアントに対してコンサルしていきたいな、と。



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