MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



名古屋で過ごした小学校4年か5年だった時、名古屋市教育委員会が主催する市内の小学生を岐阜県の瑞浪市に連れて行き、化石掘りをすると言うイベントに参加したことを今でも覚えている。

化石掘りなんて言ったところで、出てくるのは貝殻の化石ばかりで、行きしなのバス車中では、サメの歯だとか、ひょっとすると恐竜の骨が見つかるかも知れませんねぇ、なんてこと言われた覚えがある。そんなもん見つからないでしょ、って今なら口に出して間違いなく言ってしまうところ、その頃は純粋でw、え、恐竜の化石見つかったらどうしよう!って一緒に行った土方くんと話をした。学校が代わりに申し込んでくれたので、おいらがいた小学校は鉄ノミって言うんですかね?先が尖っている棒状の物とトンカチを貸与してくれて、送り出してくれた。瑞浪市を流れる川の河川敷に到着後、簡単な説明を受け、さぁ、掘るぞ!といきんだ時の感動はなんか幼心にも身震いしたものを今でも思い出す。


化石掘りってロマンなんだよなぁ…。


岐阜県は未だに化石発掘の地としては結構有名な筈で、その時も確か化石博物館に行って見学をした。所詮出てきたものは貝殻だけだったかも知れないが、ここに太古の世界が石として残っており、昔は全く違う風景で山奥なのに1700万年前は海の底でサメが泳いでいたんだ、なんて事に物凄く不思議さとロマンを滅茶苦茶感じたのであった。それが高じた訳ではあるまいが、小学校の卒業文集には将来野球選手になりたいとかサッカー選手になりたいとか書いたのではなく、Oxfordに行って考古学を選考したい、と書いた。何処でOxfordを知ったのか全く分からないが、確実にイギリスで考古学を勉強することを視野に入れた文章を書いたのはこの化石掘りが発端だったと言えよう。


今は全く違う世界で生きているのであるが…w。


尤も、化石掘りはこの一度だけに留まった筈で、その後何処かで化石掘りをした覚えはない。。しかし、大人になってからもずっと化石掘りはしたいと思っていたし、恐竜の展示会があったりすると今でも本気で行きたいと思ってしまう。多分これは女子には余りない衝動であろう。周りで化石が好き過ぎて死ぬ、的な女性、会ったことないし。ティラノサウルスが実はスカベンジャーだったのではないか、なんて話をいつぞや聞いた時はユニバーサルスタジオのアトラクションであったようなREXと言うイメージが実は大人が作り上げたイメージだったのか、なんてこと大学生になってから思ったり、始祖鳥が実は鳥から地上竜に進化したのではなく、逆に鳥へと進化したのではないか、と言う説など、新しい学説等があるとそれに付随してまた夢を馳せたり。。。


但し、考古学などは社会科学系とは異なり、ただ見つけただけでは何も意味がないことをもっと大人になってから知ったりもした。


学説的に異なる類型の発見をした場合には、その筋の権威と呼ばれる人を否定することになりかねず、とても政治的な判断に基づいて発見したものを学会発表するんだ、と言うことをとある人から聞いたりした。ある意味学会で認められなければ何も発見していないのと同じであるという事などは、大人になってから聞いたので然程驚いたりはしなかったが、然りとてそう言う世界もあるんだな、と妙な感慨を感じたりした。


斯様に、考古学、特に化石関連の話には実は非常に興味以上のものがあり、ただビジネス書を読んだりするだけではなく、実はこっそりと本屋でその手の書籍を立ち読みしたりすることが今でもままある。いや、最近は日常の業務に忙殺されておりそんな余裕もありゃしない。在りし日の憧憬を忘れることは大人になることとイコールでは無いはずで、いくつになっても小学生の時に感じた感動と言うものは心の何処かに捨てずに置いておきたいな、と本気で思った丸ビルでの邂逅であった。







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