2020年5月10日(日)「慈愛に満ちた神」 竹前 治 牧師
聖 書 コリントの信徒への手紙二 1章3-6節
わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。
主にあって愛する皆さん。
新型コロナウイルスの影響により、会堂で共に礼拝を献げられないのはとても残念であります。5月の第二日曜日からの礼拝再開をと願っておりましたが、それもかなわないのでとても残念であります。しかし、それぞれの皆さまが各ご家庭で共に思いを一つにしてみ言葉を聴き、祈り会うことによって、私たちは主のみもとで一つにされているのです。
さて、今朝のみ言葉は第二コリントであります。使徒パウロは言います。
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」と。
まず神様は、慈愛に満ちたお方、慰め主であられると言われています。皆さまも家で過ごされる方が多いと思います。たとえ外に出ても様々な制限があり、不安や苦しみの中で過ごされているのではないかと思います。神様は私たちの全ての不安や苦しみを、十字架で愛する独り子主イエス・キリストに背負わせることによって、私たちに慰めを与えて下さいました。神様は、私たちがどんな不安、苦しみの中にあっても、主イエスを通して私たちを見捨てず、共におられ慰めてくださるのです。私たちのために苦しみを受けてくださった主イエス・キリストが、私たちのために祈り続けて下さっているのです。ですから、私たちは希望を持つことができるのです。
神様からこの慰めを受けているからこそ、私たちはその慰めを伝えていくのです。
私たちも不安の中にありますが、医療従事者たちはもっと不安と闘っていることと思います。また、コロナにかかってしまったことで、中傷誹謗を受ける方々もおられ苦しみと不安を抱えています。私たち一人ひとり、このことを憶え、神様の慰めが豊かにあるように常に祈り続ける者でありたいと思います。