日本キリスト教団 清瀬信愛教会 と わたし

わたしを永遠に見捨てない方・・・に出会いました。
「神は愛(アガペー)」(ヨハネによる福音書4:8)

2020年5月31日(日)「ペンテコステ(聖霊降臨日)」

2020年05月31日 | ペンテコステ礼拝

2020年5月31日(日) 「ペンテコステ(聖霊降臨日)」  

                 牧師 竹前 治

新約聖書  使徒言行録 2章1-4節

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

 

主にあって愛する皆さん。

今日はペンテコステ(聖霊降臨日)であります。主イエスが十字架におかかりになられ、三日目に復活し40日間弟子たちの前にみ姿を現わされ、その後、天に昇られました。主イエスは天に昇られる前に弟子たちに聖霊が与えられることを約束しました。弟子たちは祈りつつその時を待っていました。すると「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」と聖書は伝えます。

炎は神顕現を示す言葉であります。舌とは言葉です。私たちは話しをするときに上手に舌を使いながら話します。ですから聖書が伝える舌とは神様の言葉と言えるのです。神様が現れ、弟子たちに神様の言葉を授けるという出来事が起こったのです。

すると弟子たちは様々な国の言葉で話しだしたのです。何を話しだしたのか。それは主イエスの救いの出来事を、国・地域を越えて伝わる言葉で神様の愛を話しだしたのです。()

この弟子たちの言葉を聴いた人々は神様を信じて洗礼を受けたのです。そして神様を信じる群れが誕生したのです。神様を信じる群れ、それは教会です。ですからペンテコステ(聖霊降臨日)は教会の誕生日でもあるのです。

よく聖霊は分かりづらいと言われる方もいらっしゃいます。聖霊も神様です。霊なる神様とも言われます。神様は父(主として創造)として、また子(主として和解)として、そして聖霊(救いの完成)として私たちに関わり続けて下さるのです。このことを教会は三位一体という言い方で表現するのです。

聖霊は主イエスの救いの愛を指し示します。

子なる主イエスは教えを説くだけでなく全身全霊をもって十字架で命を注ぎだして愛を示してくださいました。

父なる神様は愛する独り子主イエスを十字架にかけ罪人の身代わりの犠牲とすることによって、わたしたちに愛を示されました。

神様はお一人だけれども三つの愛の働きをもって私たちと関わり続け愛し救ってくださるということなのです。

コロナ渦の中にあっても神様は三つの愛のあり方をもって私たちと関わり、守り続けてくださっているのです。

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2020年6月7日(日)より主日礼拝と日曜学校再開

2020年05月28日 | 新型コロナウィルスについて、教会からのお知らせ

清瀬信愛教会に連なる皆さまへ  牧師 竹前 治

皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。

早いもので5月31日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。主イエスが天に昇られ、神の右に座し、私達のために執り成しの祈りをささげておられます。

そして今、約束の聖霊を送って下さり、私達が声高らかに神のみ業を語り伝えるための教会が誕生した記念の日を迎えようとしています。この祝いの日を共にすることはかないませんでしたが、ようやく6月7日(日)より、日曜学校・主日礼拝を短縮した形ではありますが、再開することといたしました。

様々な制限はありますが、主の礼拝に共に与ることができますことを感謝いたしたいと思います。どうぞ無理のない範囲でお越し下さい。

『主の祈り』から、共にみ言葉を聴いております。変わることのない神の豊かさに全幅の信頼を寄せつつ、神のみ言葉によって、日々新たにして頂きながら、共に祈り合い、この難局を乗り越えてまいりましょう。

皆さまの健康と生活が守られますように。

『どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。』  (エフェソの信徒への手紙6:18)

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泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌(手話通訳)

2020年05月24日 | 礼拝メッセージ〔手話通訳〕 牧師 竹前 治

2020年5月24日(日)

「泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌」

                        牧師 竹前 治

旧約聖書  詩編 302-6

 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしをあなたは癒してくださいました。主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ墓穴に下ることを免れさせわたしに命を得させてくださいました。主の慈しみに生きる人々よ主に賛美の歌をうたい聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。ひととき、お怒りになっても命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。

 愛する皆さん。先週から「主の祈り」より御言葉を聴き始めました。最初の祈りは「天にまします我らの父よ」であります。神の国におられる神様の名前を呼ぶことから始まりました。

今日は「み名があがめられますように」という祈りであります。「み名」とは神様の名前のことであります。神様が名前を持っておられるということは、神様は物を言わない神様ではなく人格を持ち生きて働かれ、私たちと関わりも持ち続けるお方であるということです。神様は旧約聖書で「わたしはある。あるというものだ」、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と神様が存在し続け人々と関わり続けてくださっていることを明らかにされました。新約聖書では先週も触れましたが、主イエスが神様のことを「父よ」と呼びかけ、十字架でご自身の命をかけてまで、私たちに神の名を示され、私たちにも「父よ」と呼ぶことをお赦しになられたのです。その「父」と言う名を正しく知り、正しく呼びかけ信じ、賛美出来ますようにと祈るのです。

さて、上記の旧約聖書は詩編の30編であります。「主の慈しみに生きる人々よ主に賛美の歌をうたい聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。」と歌います。詩人は「聖なる御名を唱え」と歌います。これこそ「み名をあがめる」ということです。詩人が信じてやまない神様は、この私に命を得させる。これは生も死も超える命であります。神様は、この世に生きる生だけでなく、死の先にある新しい命へと、キリストにあって導かれる。そして神様は共におられ生きて働かられ、どんな苦難をも守り導かれるお方である、そのような神様の御名をたたえ、感謝の祈りを献げよと歌うのです。

今、コロナ渦の中に置かれている私たちであります。だからこそ神様が必ず私たちと共におられ、救いへと導かれるお方であると信じて、聖なる御名を唱え、感謝の祈りを捧げる者でありたいと願うのです。

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2020年5月17日(日)「アッバ、父よ」〔手話通訳〕  牧師 竹前 治

2020年05月15日 | 礼拝メッセージ〔手話通訳〕 牧師 竹前 治

2020年5月17日(日) 「アッバ、父よ」  牧師 竹前 治

 聖書 ルカによる福音書 23章34節

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

 

愛する皆さま。主のみ名を賛美します。

昨今のコロナ渦において不安や恐れを抱き、希望を失いかけています。また、様々な言葉が飛び交い自分がどこに立てばよいのか分からないような状態にあります。だからこそ、今、自分が立ち続けなければならないところがどこにあるのか「主の祈り」を通して思い巡らしていきたいと願います。

「主の祈り」は4月26日(日)のショート・メッセージで大まかなことは触れました。今回から少し丁寧に聴いて行きたいと思います。

主の祈りは「天にましますわれらの父よ」という祈りから始まります。「天」とは決して空のことではありません。別の言い方をすれば「天の国」であります。でも、どこかにそのような国があるわけではありません。「天の国」とは、神様の愛で支配されているところをいいます。

主イエスは宣教の第一声で「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われました。「神の国」これこそ神の愛の支配、「天の国」であります。主イエスが来られたことにより神の支配、「天の国」が近づいた、と言われたのです。

主イエスは十字架におかかりになる直前、ひどく恐れもだえて「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯(十字架)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。「アッバ」とは、子どもが親しく、信頼をこめて「おとうちゃん」と呼ぶ言葉です。主イエスは、さらに十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、―――「お父ちゃん、あなたに背いている人間を赦して、あなたの子としてください」と血を流しつつ苦しいさ中で祈られました。この執り成しの祈りが、私たちが「父よ」と祈ることが出来る原型です。だからこそ私たちは全幅の信頼をこめて、命の創造主であられ生も死も貫いて守り続けてくださる神様に「父よ」と呼ぶことができるのです。

私たちが立ち続け呼び続けなければならないのは、この「天におられる父」なのです。神様は、いつも神様の名である「父よ」と呼び求めることを、私たちに求めておられます。 今このような状況で、私たちは本当に「天におられる父よ」と呼び続けていますでしょうか。

私たちの生も死も貫く神様は、主イエス・キリストにあってこの名を呼び続ける私たちを必ず良き道へと導いてくださる。このことを信じて共に神様の名「父」を呼び続けていきたいと願います。

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2020年5月10日(日)「慈愛に満ちた神」〔手話通訳〕  竹前 治 牧師

2020年05月10日 | 礼拝メッセージ〔手話通訳〕 牧師 竹前 治

2020年5月10日(日)「慈愛に満ちた神」  竹前 治 牧師

聖 書  コリントの信徒への手紙二 1章3-6節

わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。

 

主にあって愛する皆さん。

新型コロナウイルスの影響により、会堂で共に礼拝を献げられないのはとても残念であります。5月の第二日曜日からの礼拝再開をと願っておりましたが、それもかなわないのでとても残念であります。しかし、それぞれの皆さまが各ご家庭で共に思いを一つにしてみ言葉を聴き、祈り会うことによって、私たちは主のみもとで一つにされているのです。

さて、今朝のみ言葉は第二コリントであります。使徒パウロは言います。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」と。

まず神様は、慈愛に満ちたお方、慰め主であられると言われています。皆さまも家で過ごされる方が多いと思います。たとえ外に出ても様々な制限があり、不安や苦しみの中で過ごされているのではないかと思います。神様は私たちの全ての不安や苦しみを、十字架で愛する独り子主イエス・キリストに背負わせることによって、私たちに慰めを与えて下さいました。神様は、私たちがどんな不安、苦しみの中にあっても、主イエスを通して私たちを見捨てず、共におられ慰めてくださるのです。私たちのために苦しみを受けてくださった主イエス・キリストが、私たちのために祈り続けて下さっているのです。ですから、私たちは希望を持つことができるのです。

神様からこの慰めを受けているからこそ、私たちはその慰めを伝えていくのです。

私たちも不安の中にありますが、医療従事者たちはもっと不安と闘っていることと思います。また、コロナにかかってしまったことで、中傷誹謗を受ける方々もおられ苦しみと不安を抱えています。私たち一人ひとり、このことを憶え、神様の慰めが豊かにあるように常に祈り続ける者でありたいと思います

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