最近は、『働かなくてはいけない』から『働きたい』に意識が変わってきた。
親に頼れない私にとって、高校出てからも、『なんとか一人で生きていかなければ。なんとか働かなければならない。』という義務感は、人1倍強かった。
でも、鬱病になり働けなくなり、『傷病手当』『失業保険』などの経済的援助を受けた。そして、今も前の会社で働いていたときの社長と交流があり、会社辞めた今でも支えてもらっている。
社長は、私のそのままの私を応援してくれ、とても安心するのだ。この人は障害がある人と見るのではなく、障害を経験したことによる心の成熟もまた、私である。素晴らしい人なのだということである。
障害を経験しなけば理解できないことを知っているということは、強みなのだ。
心に寄り添うことを諦めないでいてくれているのだ。
神様から与えられたカードは、時として不公平に思えることがある。
生まれた両親が毒親である。生まれた環境が、貧困である。体が不自由だ。なんかそういう不公平カードを与えられたら、人と比べて不公平だと思うものだ。
しかし、そのような中でも生きてきたことは、深い根のようなものが成長しているようにも思うのだ。それは、大きな財産になる気もする。