県功労者表彰第1号
(21号:2011年7月10日)
山口県ミニバス連盟も発足から32年になります。それを記念して、昨年、県ミニバス連盟功労者表彰の規約を作り、これまで山口県のミニバスの発展に尽くしてきた人に感謝の意を表そうということにしました。その第1号の方が昨日の夏季決勝大会で表彰されましたので、この欄でも皆様にご披露したいと思います。
その方は上宇部ミニバスの萬代英男氏です。氏は当年74歳、今だ現役で子供たちの指導に、子供たちとのふれあいに、味のある言動で関わっておられます。私もだいぶ昔から氏とは顔見知りで、いろいろな会場でお会いしています。どこで会っても萬代氏から滲み出るそのお人柄はいつも変わることはありませんでした。どこかひょうひょうとしていて、関わる人を惹きつける魅力に溢れています。
では最も惹きつけられている人は誰かと言いますと、それは子供たちであります。市内のバスケットボール関係者ならだれでも「なぜかわからんけど子供には人気のある指導者」と不思議がられているそうです。今でも小学生の教え子が練習のない日は「団長、お茶しよう」と家にまで遊びに行くそうです。でもこれは不思議でも何でもないのです。一度萬代氏と話してみればその魅力はすぐにわかろうというものです。
ミニバスの指導を始められたのが昭和47年。それから現在まで「子供に惚れろ」と一貫した信念のもと今日までミニバスに関わってこられました。最初は新川教室から始まり、8年後には現在の上宇部ミニバスを立ち上げ、チームは常に市内でも県でも上位チームとして活躍中です。
氏はミニバスチームの指導や運営を若い人達と一緒に行っています。若いと言ってももう50代の人もいますが、その指導者たちも萬代氏の「子供に接するときの天才的なコミュニケーション力」にはどうしても勝てないと脱帽です。氏の指導方針は基礎・基本を大切にしたところにあります。あまり多弁ではなく、ややぶっきらぼうなところもありますが、子供を惹きつけ、「子供に惚れる」というその指導者としてのあり方は我々全ての指導者に大きな示唆を与えてくれているような気がしています。
上宇部のチームが毎年素晴らしいのは、世代が違う何人もの指導者が萬代氏を中心としてまとまり、志を高く掲げているからに違いありません。
先日行われた上宇部ミニバス創立30周年記念マラソンバスケットボール大会では氏のシュートと同時にタイムアップとなりましたが、その瞬間参加者全員から万雷の拍手が沸き起こり、若いコーチの一人は涙が出そうになったそうです。
練習会場に少しの時間でも来て子供たちに関わって欲しい。そしていつまでも、何年でも続けてほしいと関係者はみんな願っています。

(21号:2011年7月10日)
山口県ミニバス連盟も発足から32年になります。それを記念して、昨年、県ミニバス連盟功労者表彰の規約を作り、これまで山口県のミニバスの発展に尽くしてきた人に感謝の意を表そうということにしました。その第1号の方が昨日の夏季決勝大会で表彰されましたので、この欄でも皆様にご披露したいと思います。
その方は上宇部ミニバスの萬代英男氏です。氏は当年74歳、今だ現役で子供たちの指導に、子供たちとのふれあいに、味のある言動で関わっておられます。私もだいぶ昔から氏とは顔見知りで、いろいろな会場でお会いしています。どこで会っても萬代氏から滲み出るそのお人柄はいつも変わることはありませんでした。どこかひょうひょうとしていて、関わる人を惹きつける魅力に溢れています。
では最も惹きつけられている人は誰かと言いますと、それは子供たちであります。市内のバスケットボール関係者ならだれでも「なぜかわからんけど子供には人気のある指導者」と不思議がられているそうです。今でも小学生の教え子が練習のない日は「団長、お茶しよう」と家にまで遊びに行くそうです。でもこれは不思議でも何でもないのです。一度萬代氏と話してみればその魅力はすぐにわかろうというものです。
ミニバスの指導を始められたのが昭和47年。それから現在まで「子供に惚れろ」と一貫した信念のもと今日までミニバスに関わってこられました。最初は新川教室から始まり、8年後には現在の上宇部ミニバスを立ち上げ、チームは常に市内でも県でも上位チームとして活躍中です。
氏はミニバスチームの指導や運営を若い人達と一緒に行っています。若いと言ってももう50代の人もいますが、その指導者たちも萬代氏の「子供に接するときの天才的なコミュニケーション力」にはどうしても勝てないと脱帽です。氏の指導方針は基礎・基本を大切にしたところにあります。あまり多弁ではなく、ややぶっきらぼうなところもありますが、子供を惹きつけ、「子供に惚れる」というその指導者としてのあり方は我々全ての指導者に大きな示唆を与えてくれているような気がしています。
上宇部のチームが毎年素晴らしいのは、世代が違う何人もの指導者が萬代氏を中心としてまとまり、志を高く掲げているからに違いありません。
先日行われた上宇部ミニバス創立30周年記念マラソンバスケットボール大会では氏のシュートと同時にタイムアップとなりましたが、その瞬間参加者全員から万雷の拍手が沸き起こり、若いコーチの一人は涙が出そうになったそうです。
練習会場に少しの時間でも来て子供たちに関わって欲しい。そしていつまでも、何年でも続けてほしいと関係者はみんな願っています。


■大会名
平成23年度 山口県ミニバスケットボール夏季決勝大会
兼 第35回全関西ミニバスケットボール交歓大会 予選会
■期日
2011年(平成23年)7月9・10日(土・日)
■場所
ソルトアリーナ防府(9日)
防府市立牟礼小学校体育館(10日)
■結果
【男子】
優勝 上宇部
2位 豊浦
3位 湯田
【女子】
優勝 名池
2位 岬恩田
3位 江浦・光わかば
勝ち上がり表 PDF版はこちら

※優勝した上宇部と名池は8/12~14に広島市で行われる第35回全関西ミニバスケットボール交歓大会に山口県代表として出場します。
1日目が終わり男子 湯田・上宇部・豊浦、女子 江浦・岬恩田・名池・光わかばが2日目に進出しました。
■1日目の結果 PDF版はこちら

2日目[7月10日] 牟礼小学校
E1 10:00 男子決勝L 上宇部vs豊浦
E2 11:05 女子準決勝 江浦vs岬恩田
E3 12:10 女子準決勝 名池vs光わかば
E4 13:15 男子決勝L 湯田vsE1負
E5 14:20 女子決勝 E2勝vsE3勝
E6 15:30 男子決勝L 湯田vsE1勝
明日も結果は速報ブログにてお届けします(但し、都合上1回目の更新は12:00頃予定)
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大会が始まりました。

湯田ミニバスと平川ミニバス キャプテンによる選手宣誓

山口県ミニバス連盟功労者表彰第1号を受賞された萬代英男氏(上宇部ミニバス)
速報は「山口県ミニバス速報ブログ」をご覧ください。
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■大会名
平成23年度 山口県ミニバスケットボール夏季決勝大会
兼 第35回全関西ミニバスケットボール交歓大会 予選会
■期日
2011年(平成23年)7月9・10日(土・日)
■場所
ソルトアリーナ防府(9日)
防府市立牟礼小学校体育館(10日)
組合せはこちらから
取り決め事項はこちらから
■1日目の結果 PDF版はこちら

2日目[7月10日] 牟礼小学校
E1 10:00 男子決勝L 上宇部vs豊浦
E2 11:05 女子準決勝 江浦vs岬恩田
E3 12:10 女子準決勝 名池vs光わかば
E4 13:15 男子決勝L 湯田vsE1負
E5 14:20 女子決勝 E2勝vsE3勝
E6 15:30 男子決勝L 湯田vsE1勝
明日も結果は速報ブログにてお届けします(但し、都合上1回目の更新は12:00頃予定)
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大会が始まりました。

湯田ミニバスと平川ミニバス キャプテンによる選手宣誓

山口県ミニバス連盟功労者表彰第1号を受賞された萬代英男氏(上宇部ミニバス)
速報は「山口県ミニバス速報ブログ」をご覧ください。
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■大会名
平成23年度 山口県ミニバスケットボール夏季決勝大会
兼 第35回全関西ミニバスケットボール交歓大会 予選会
■期日
2011年(平成23年)7月9・10日(土・日)
■場所
ソルトアリーナ防府(9日)
防府市立牟礼小学校体育館(10日)
組合せはこちらから
取り決め事項はこちらから
前会長の死を悼む
(20号:2011年7月4日)
平成13年度から平成20年度まで山口県ミニバス連盟の会長であられた中村幸男氏がつい先日お亡くなりになられました。70歳を少し過ぎたばかりで、早過ぎるのではとの思いが消えません。
中村氏には突然の依頼で会長になっていただきました。平成13年、その前の会長さんが中国大会を目の前にして急逝され、その後任をどなたかにということでミニバスにもご理解の深い中村氏を是非にとなったのです。
氏は旧新南陽市のご出身でした。会社を退職後は自分の田畑で農業をやるんだととても張り切っておられました。大きな温室も建てたと言っておられました。中国大会の折には真っ赤に実ったいちごをたくさん持って来られ、役員一同ありがたくいただいたこともあります。
中村氏は元々実連(山口県実業団バスケットボール連盟)の出身でした。若い頃から実連の理事長、会長をされ、同時に県バスケットボール協会の理事長も昭和から平成にかけて長い間その重責を引き受けて来られました。
このような経歴からはミニバスとはあまり関係ないようにも見られますが、実は昭和50年代前半頃はミニバスの指導にも関わっておられたのです。私もそのチームの一員でしたが、氏の指導スタイルは「子供の自主性を尊重する」というものでした。あまり多くのことを子供たちに言うこともなく、怒鳴ることもありませんでした。実業団のバスケットボールを見てきているため、きっと我々よりも長い目で子供たちを見ておられたことでしょう。バスケットボールとの関わりが小学生時代だけでは寂しすぎます。ミニバスは運動人生のスタート地点に立ったことを意味します。長い人生、スポーツをとおして楽しく、たくましく生きていって欲しいと願っておられたのではないでしょうか。
ここ数年、氏は体調を壊しておられました。しかし、何かの大きな大会や行事があるときはどんなに無理をしてでも参加をされていました。お顔を見るたびに私たちは安心をしたものですが、もうそれもかないません。
70余年の人生をバスケットボールに捧げた中村氏のご冥福をお祈りします。
(20号:2011年7月4日)
平成13年度から平成20年度まで山口県ミニバス連盟の会長であられた中村幸男氏がつい先日お亡くなりになられました。70歳を少し過ぎたばかりで、早過ぎるのではとの思いが消えません。
中村氏には突然の依頼で会長になっていただきました。平成13年、その前の会長さんが中国大会を目の前にして急逝され、その後任をどなたかにということでミニバスにもご理解の深い中村氏を是非にとなったのです。
氏は旧新南陽市のご出身でした。会社を退職後は自分の田畑で農業をやるんだととても張り切っておられました。大きな温室も建てたと言っておられました。中国大会の折には真っ赤に実ったいちごをたくさん持って来られ、役員一同ありがたくいただいたこともあります。
中村氏は元々実連(山口県実業団バスケットボール連盟)の出身でした。若い頃から実連の理事長、会長をされ、同時に県バスケットボール協会の理事長も昭和から平成にかけて長い間その重責を引き受けて来られました。
このような経歴からはミニバスとはあまり関係ないようにも見られますが、実は昭和50年代前半頃はミニバスの指導にも関わっておられたのです。私もそのチームの一員でしたが、氏の指導スタイルは「子供の自主性を尊重する」というものでした。あまり多くのことを子供たちに言うこともなく、怒鳴ることもありませんでした。実業団のバスケットボールを見てきているため、きっと我々よりも長い目で子供たちを見ておられたことでしょう。バスケットボールとの関わりが小学生時代だけでは寂しすぎます。ミニバスは運動人生のスタート地点に立ったことを意味します。長い人生、スポーツをとおして楽しく、たくましく生きていって欲しいと願っておられたのではないでしょうか。
ここ数年、氏は体調を壊しておられました。しかし、何かの大きな大会や行事があるときはどんなに無理をしてでも参加をされていました。お顔を見るたびに私たちは安心をしたものですが、もうそれもかないません。
70余年の人生をバスケットボールに捧げた中村氏のご冥福をお祈りします。