美学入門 (中公文庫) | |
中井 正一 | |
中央公論新社 |
人文科学の分野で論文を書き、縁あって情報とのコラボレーション研究に関わるようにもなり、そんなことより音楽が好きなのであるけれども、そうした中で本当に美学という学問を知っていなければ、何も論じられないのではないかと、最近本当に恐怖するようになった。
ところが、美学はそれ自体きちんと大学で、一般教養でも学んではいない。確か哲学は受講しなかったし、史学科の日本・西洋・東洋の美術史は単位をとったはずだが、美学などという言葉と結びつけて学ぼうなど、当時の私はそんなレベルであろうはずがなかった。
というわけなので、美学に接しようにもできるだけわかりやすい啓蒙書のほうがありがたい。書店で、文庫や新書のコーナーをまわり、美学の入門編的な本を何年も物色していたが、いずれの本も前半が哲学の歴史である。予備校で思想史を概説したことはあるが、それを美学というより芸術に関わる理屈を列挙されてもピンとこない。だがそうした本が多い。
結局、最近意を決して読んでみた本は、1951年の初版で文庫として再販したものらしい。半世紀前のものだが、思想自体が多少古くても問題はないだろう。何もわかっていないのにポストモダンだ、デリダだ、どうだ、、、といったことまで、きっと消化できない。
それでこの本を手に取った理由は前半に「気分」的なことが書いてあるからである。自然のなかで、スポーツのある瞬間に、映画のカット割で、どういうときに「美」を感じるか、それを解説している。珍しいパターンである。
「美意識は人によりそれぞれだ」という人がいる。確かにそうなので、その前半部分は著者の言い分に付き合ってやらねばならない。それが嫌ならもうどうしようもないが、自分の目的達成のためなら、その前半部分で陳列されている「美への感触」を把握した上で、それがだから、どう哲学史・美学史と関わるのか、見極めければならない。
そして後半を読むわけだが、やはり哲学史的な内容である。下手をすると、他の入門書・啓蒙書よりも大雑把かもしれない。しかし、大雑把な中にも著者の力点が感じられるので、読み応えはある。ただ、やはり哲学史とその解説は、とても難しい。
哲学の大体を網羅するだけでも大変だが、美学書はあらゆる芸術の分野(音楽・絵画・文学・映像など)を超えていろいろな基礎知識や見聞も必要である。「あの有名な~~がそうであるように…」といわれても、それを知らなければ話についていけない。
やはり哲学、中でも美学が高尚に感じるにはそれなりの理由があるように思う。その上「美意識は人によりそれぞれだ」ということであれば、何ゆえ、その高尚で難しいことを敢えてするのか。ナルチシズムなのか。
この本を読みながら、特に後半を読んで感じたが、哲学、思想、美意識を一般化するように論じる意義は、人の想い、言葉、流行は、時代と環境に往々にして影響を受けるから、それと人様はどう関わるかにつながる点にある。もちろん人により差はある。
社会の状況はある程度人の方向性も規定するだろうし、そういう点に着目して、時代背景と人の振る舞いと表現の特徴とを関連付けて考えること、そのことが個人主義者であっても「自分は一体なんだ?」「自分の生きる時代は一体なんだ?」という問いを持ったとき、考察の一助となるのであろうと思う。
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