古代史ファンY

日本や世界の古代史に興味があり、セミナーに参加したり訪れたりして楽しんでいます。

蘇我一族の軌跡めぐり1

2006-07-30 11:38:48 | Weblog
 汗をかきながらあすかの古墳や寺寺を回りました。
 初日は日本最古の金銅仏である飛鳥寺の釈迦如来坐像から石舞台古墳の周囲の柱石遺跡、島庄遺跡、甘樫丘遺跡を巡りました。蘇我蝦夷、入鹿の屋敷跡ではないかといわれているが、それにしては柱の太さが細いなどまだ決定はできないとのことでした。
 翌日は勢力を伸ばしていった蘇我氏を支えた渡来系の人たちの基盤であった河内の跡を訪ねました。蘇我馬子が聖徳太子と共に物部守屋を破った地の大聖将軍寺(タイセイショウグンジ、下の太子)、野中寺(ヤチュウジ、中の太子)、聖徳太子の廟のある叡福寺(エイフクジ、上の太子),そしていくつかの天皇の古墳を回りました。仁徳天皇と大きさを競う応神天皇の古墳(といわれている)も以前は神社を祭り、人々が上り下りしていたそうです。蘇我系の用明、推古天皇の古墳は馬子の古墳と同じく方墳です。河内から奈良へ戻る途中竹内街道をちょこっと歩きました。
 右上の写真は八尾市にある物部守屋の墓ということです。地域では手厚く祭っているようです。今日はここまでにします。

蘇我一族パート2

2006-07-08 22:51:19 | Weblog
 蘇我一族に関するセミナーに先日参加しました。最近奈良盆地では6世紀の頃の遺構が見つかったり発掘されたりして、日本書紀の記録と照合されますます興味が深まってきました。唐や朝鮮半島の百済や新羅や高句麗との関わりが、ようやく国としてまとまりつつあった日本に大きく影響した頃です。とくに大きかったのが仏教の伝来です。これも当時の百済国が意図的に日本に伝えたようです。日本では先進国だった唐や半島の文化を受け入れることが急務だったのです。強大な唐の下で流動的だった東アジアの中にあって国として安定することが必要でした。仏教をめぐって古来からの日本の八百万の神々の崇拝を主張する物部氏などとの勢力争いに勝った蘇我氏は、文化的にも軍事的にも大きな力を持ち、天皇家と結びつき国家形成に大きな役割を果たしました。
 飛鳥寺(右上の写真の飛鳥大仏があります)や住居跡からはその影響を示す異物が、たくさん見つかっているようです。今月末、そのような遺構を見学する予定なので、楽しみにしています。