末兼が描き出した日本恋愛史の流れとは、中古王朝時代(平安朝期)から源平時代までを「自由情交」(自由恋愛)の時代、源平以降足利時代までを「自由情交と干渉情交」が相争う時代、そして応仁の乱から豊臣氏滅亡までを「情交ナル者アル事ナク、只是レ暴力ノ拘盗威逼ノミ」(恋愛不毛の掠奪時代)続く
続き と規定した彼は、次いで江戸時代(封建制下)について「男女ノ間ヲ全ク隔絶シ、陽々相恋ノ醜風ヲ以テ之ニ代ヘタリ」と述べている。 『武士道とエロス』氏家幹人著より抜粋。
戦国時代以来女性は「純然タル器物」のように扱われ、したがって男女間に健康的な恋愛習慣は発達せず、かわって「陽々相愛」、男が男に恋する(略)時代だというのであるー『武士道とエロス』氏家幹人著より
織田信長と森蘭丸は知ってたけど、、武士道突き詰めると衆道(男同士)に至ったんだなと知る
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